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観客のいない世界  作者: 亀


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第337章 却下された申請

「北西側を担当した班の記録を出してくれ」


 レイヴンの指示で、壁面の表示が切り替わった。


 北西側を担当していたのは、今回の演習に参加した別班だった。任務は外周の警戒と、中央設備への接近経路の監視。敵の主力が中央へ移動した場合に備え、一定の範囲から離れないよう指示されていた。


 その班が、演習終了の直前に予定外の経路変更を申請していた。


 申請理由は短かった。


 ――外周に未登録の通路を確認。現地確認を申請する。


「未登録の通路?」


 カイが画面を覗き込んだ。


「訓練区域の地図にないのか?」


「地図上にはない。だが、区域の外周には演習用の管理通路がいくつかある。すべてが参加者に公開されているわけじゃない」


 レイヴンは申請を出した隊員の位置を表示した。


 北西の外壁から少し離れた場所。敵が最後まで動かなかった地点にも近い。


 主人公は、敵の移動記録と申請時刻を並べた。


「この申請が出されたのは、敵が撤退を始める前だ」


「そうだな」


「ということは、あの班は敵の撤退を見て動いたわけじゃない。別のものを見つけて、確認しようとした」


 レイヴンは記録を数秒見つめた。


「申請が却下された理由は?」


「演習終了まで残り時間が少なかったこと。それと、申請地点が担当区域から外れていたことです」


 記録担当者が答えた。


「規定どおりの処理だな」


「はい」


 レイヴンはそれ以上、担当者を責めなかった。


 決められた区域から離れるには許可が必要だった。終了直前に、確認の取れていない通路へ向かうことを認めなかったのも、不自然な判断ではない。


 問題は、申請が却下されたことではなかった。


 何が見つかったのか、まだ誰も知らないことだった。


「その班の隊長を呼んでくれ。現地確認はしない。まず、何を見たのかだけ聞く」


 ほどなくして、隊長が記録室へ入ってきた。


 彼は端末を机に置き、地図を確認してから話し始めた。


「外周を巡回していたとき、壁の根元に不自然な隙間を見つけました。最初は演習用の装飾だと思ったんですが、近づくと内側に金属製の扉がありました」


「扉は開いていたのか?」


「いいえ。閉じていました。ただ、扉の前に新しい車輪の跡がありました」


 主人公が顔を上げた。


「車輪?」


「はい。輸送車両のものに似ていました。ですが、今回の演習で使った車両の幅とは少し違います」


 隊長は画面に場所を示した。


「それで、通路の存在を確認するために申請しました。扉を開けようとしたわけではありません」


「敵はその近くにいたのか?」


「姿は確認していません。ただ、扉の向こうから音がしました。金属が擦れるような音です。申請を出した直後に、通信で撤退命令を受けました」


「撤退命令を出したのは誰だ?」


「演習管理側です。終了時刻が近づいていたので」


 レイヴンは頷いた。


 その処理自体に不自然な点はない。


 しかし、車輪の跡が本当に新しいもので、扉の向こうから聞こえた音も演習の演出ではなかったなら、別の問題が生じる。


「その地点を撮影したか?」


「一枚だけあります」


 隊長が画像を送信した。


 画面には、外壁の下部と、半ば草に覆われた金属製の扉が映っていた。扉の表面には塗装の剥がれがあり、地面には二本の浅い轍が続いている。


 主人公は画像を拡大した。


 轍は扉の前で途切れていなかった。


 扉の脇を通り、外壁の向こう側へ続いているように見える。


「この車輪の跡は、外から来たものだと思いますか?」


 彼が尋ねると、隊長は首を横に振った。


「分かりません。こちら側から出てきた可能性もあります。ただ、少なくとも、今回の演習車両が残した跡ではないと思います」


「分かった。報告は以上でいい。こちらから追加の確認を頼むまでは、勝手に戻らないでくれ」


 隊長が退出すると、記録室は静かになった。


 カイが腕を組む。


「演習区域の中に、知らない通路があった。そこに、演習車両とは違う車輪の跡があった。扉の向こうから音もした」


「今分かっているのは、それだけだ」


 レイヴンは余計な推測を切り捨てた。


「本当に使われている通路なのか。演習のために設置されたものなのか。それとも、古い設備が残っているだけなのか。まだ判断できない」


「敵が最後まで動かなかった場所とも近い」


「近いだけだ。敵と通路を結びつける証拠はない」


 主人公も同意した。


 位置が近いことだけで、同じ目的だったと決めつけるわけにはいかない。


 今回の演習で敵が何を狙っていたのかも、北西側の班が何を見つけたのかも、別々の問題として扱う必要がある。


 レイヴンは記録担当者に、演習区域の管理図と過去の配置記録を照合するよう指示した。


 ただし、演習区域を閉鎖した後の確認になるため、今日中に現地へ入ることはできない。


「次の訓練まで待つのか?」


 カイが尋ねた。


「現地確認は管理側の許可が出てからだ。許可なしに入って、余計な問題を作るつもりはない」


 レイヴンは端末を閉じた。


「それより、今回の演習の評価を先にまとめる。敵の誘導に対応できなかった場面、救出に人員を割いたことで生じた損失、設備を守るために追撃を断念した判断。その三つを分けて記録する」


「俺たちの判断も?」


「当然だ。成功した部分だけ残しても、次には使えない」


 主人公は右手を軽く握ろうとして、途中で止めた。


 まだ痛みが残っている。


 今回の演習で、彼は何度も自分で動こうとした。そのたびに、手の状態が選択肢を狭めた。仲間に任せたことで助かった場面もあれば、自分が現場にいなかったために判断が遅れた場面もあった。


 その両方を、評価から消すつもりはなかった。


 記録室を出る直前、レイヴンの端末に管理側からの返信が届いた。


 北西側の扉について、過去の演習区域図には登録がない。


 ただし、区域の管理設備一覧には、同じ位置に旧式の保守区画が記載されていた。


 現在の使用状況は不明。


 レイヴンは返信を読み、画面を主人公たちに見せた。


「少なくとも、完全に存在しない設備ではなかったらしい」


「じゃあ、車輪の跡は?」


「それはまだ分からない」


 レイヴンは管理側へ現地確認を正式に申請した。


 今度は、演習参加者による独自の申請ではない。区域の管理担当が、保守区画の状態を確認するための申請だった。


 送信完了の表示が出る。


 主人公は画面を見ながら、ひとつだけ気になっていたことを口にした。


「旧式の保守区画なら、どうして敵はあの近くに最後まで残っていたんでしょう」


「偶然かもしれない」


 レイヴンはすぐに答えた。


「あるいは、敵もあそこに何かあると知っていたのかもしれない。どちらも、今の段階では可能性にすぎない」


 彼は端末をしまった。


「次に確認できるのは、管理側の返答が来てからだ。それまでは今回の任務を終わらせる。未確認の情報に引っ張られて、やるべきことを忘れるな」


 主人公は頷いた。


 救出任務は終わった。設備も復旧し、敵も撤退した。


 残ったのは、失った車両と、未確認の保守区画。それに、まだ説明のつかない敵の動きだった。


 そのうち何が今回の演習に関係していたのかは、まだ分からない。


 だが、次に動くための確認先は、ようやく定まった。

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