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観客のいない世界  作者: 亀


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第319章 失敗のあと

翌日の訓練参加者一覧には、彼の名前が残っていた。


ただし、前日の三人がそろって参加する予定はなかった。


遠距離支援役は固定チームの練習に戻り、目標確保役も別の任務を優先していた。二人とも、次回の合同訓練への参加を約束したわけではない。


彼はそれを責めなかった。


昨日の任務は失敗した。


参加した時間に見合う成果があったと感じるかどうかは、それぞれの判断だった。


端末に新しい通知が届いた。


『昨日の訓練、見ていたよ。最後に仲間を置いていった判断について、納得できている?』


送り主は、支援者向けの交流チャンネルで以前から彼を応援している人物だった。


彼は少し考えてから返信した。


『必要な判断だったと思います。でも、もっと早く脱出を決められたはずです』


返事はすぐに届いた。


『なら、次はそこを変えればいい。誰かを助けられなかったことと、助ける判断そのものが間違っていたことは、同じじゃないから』


彼は画面を見つめた。


昨日、自分がためらった理由は、仲間を置いていきたくなかったからだ。


その気持ちを捨てる必要はない。


しかし、その気持ちだけで判断すれば、結果的に二人とも失うことがある。


彼は返信を打った。


『次は、脱出条件をもっと早く決めます』


送信してから、訓練場の予約画面を開いた。


今度は、三人で行う任務ではなく、二人一組の短時間訓練を選んだ。


目的は敵を倒すことではない。


限られた情報から敵の位置を推測し、交戦を避けながら指定地点へ移動する。


戦闘能力が必要になる場面はあるが、右手が回復していない彼でも、動き方や判断を練習できる内容だった。


予約を確定する前に、彼は参加者の募集欄を確認した。


昨日の二人には声をかけなかった。


代わりに、以前から公開戦闘記録を見ていた別の参加者へ招待を送った。


返事は数分後に届いた。


『参加する。ただし、敵を見つけたらすぐに交戦する。逃げ続けるだけの訓練なら、俺には向いていない』


彼は返信した。


『交戦するかどうかは、その時点の情報を見て決めたいです。最初から戦わないと決めているわけではありません』


『分かった。なら、実際にやってみよう』


参加が確定した。


彼は端末を閉じ、右手の状態を確かめた。


昨日より痛みは軽くなっている。


だが、強く握るとまだ違和感があった。


医師から言われた注意を思い出し、無理に動かさず、左手だけで装備の確認を済ませた。


今日の目標は、昨日の失敗を取り返すことではない。


昨日できなかった判断を、別の状況でも実行できるか確かめることだった。


⸻


訓練場の開始地点で、相手は簡単に自己紹介を済ませた。


彼より戦闘経験は長いが、上位ランキングの常連ではない。


単独戦では積極的に攻める一方、チーム戦では味方の指示に従わず、自分の判断で動くことも多い。


彼が招待した理由は、その行動傾向を知っていたからだった。


「今回の条件を確認します」


彼はマップを表示した。


「指定地点まで移動し、途中で見つけた補給物資を一つ回収します。敵を倒す必要はありません。ただし、敵がこちらの進路を塞いだ場合は、交戦しても構いません」


相手はうなずいた。


「撤退条件は?」


「どちらかが模擬装甲の半分以上を失った場合、または残り時間が一分を切った場合です。ただし、敵の位置によっては、それより早く撤退します」


「了解。では、俺が前を進む」


彼はすぐに答えなかった。


相手の戦闘記録から考えれば、前進を任せるのは合理的だった。


しかし、彼は右手が使えない。


先頭を任せた相手が敵を発見して交戦を始めた場合、自分が十分な支援をできない可能性がある。


「前方の確認はお願いします。ただ、敵を見つけても、すぐに攻撃しないでください。位置と人数を確認してから判断します」


相手は少し不満そうだった。


「敵を見つけたのに、攻撃しないのか?」


「攻撃する必要があるかどうか、まだ分からないからです」


数秒の沈黙のあと、相手は肩をすくめた。


「いいだろう。まずは君のやり方でやる」


開始の合図が鳴った。


二人は建物の間を進んだ。


最初の通路には敵影がなかった。


次の角を曲がったところで、相手が手を上げた。


前方に敵が二人。


一人は補給物資の近くを巡回し、もう一人は高い位置から周囲を監視していた。


相手はすぐに武器を構えた。


彼はその腕を押さえるように、言葉をかけた。


「待ってください。まず、あの二人がどこを見ているか確認しましょう」


相手は不満を口にしかけたが、いったん動きを止めた。


彼は周囲の地形を確認した。


補給物資の左側には低い壁があり、その先は別の通路につながっている。


右側は開けているが、監視役から視認されやすい。


正面から進めば交戦は避けられない。


しかし、左側の通路を使えば、敵の巡回役が向きを変えるまでに物資へ近づけるかもしれない。


「左から回ります。敵がこちらに気づいたら、物資は諦めて後退します」


相手は短く答えた。


「分かった」


二人は低い壁に沿って移動した。


巡回役が向きを変える。


監視役の視線も一瞬、別方向へ逸れた。


彼らはその隙に距離を詰めた。


だが、補給物資まであと数歩というところで、相手が突然走り出した。


「今なら取れる!」


彼は止めようとしたが、間に合わなかった。


相手は物資をつかみ、すぐに身を翻した。


その動きで、監視役に見つかった。


警告音が鳴る。


敵の巡回役もこちらへ向かってきた。


「撤退します!」


彼は即座に指示を出した。


相手は物資を抱えたまま走る。


しかし、最初に進んできた経路には敵が回り込んでいた。


二人は別の通路へ進路を変えた。


そこにも敵の射線が通っている。


彼は足を止め、マップを見た。


このまま物資を持って逃げれば、二人とも模擬装甲を失う可能性が高い。


「物資を捨ててください。右側の遮蔽物へ移動します」


相手は一瞬、ためらった。


「せっかく取ったのに?」


「持ったままでは速度が落ちます。今は脱出を優先します」


相手は物資を手放した。


二人は遮蔽物の陰へ滑り込み、敵の射線を切った。


そのまま後退し、別の通路へ抜ける。


数十秒後、指定地点への脱出判定が成立した。


物資は回収できなかった。


だが、二人とも装甲値を大きく失わずに任務を終えた。


訓練終了の表示が出ると、相手はすぐに彼へ向き直った。


「さっき、俺が勝手に走ったのは悪かった。でも、あの距離なら取れると思った」


「僕も、敵が気づいた後の経路を十分に確認していませんでした」


「それでも、撤退の判断は早かったな」


彼はマップを見返した。


物資を回収することはできなかった。


だが、敵に発見された後、目的を切り替えることはできた。


昨日の自分なら、物資を手に入れるという当初の目標にこだわり、回収を続けようとしたかもしれない。


今日は違った。


失敗する前に、何を捨てるべきかを選ぶことができた。


「次は、物資を取った後の退路も先に確認します」


彼が言うと、相手は笑った。


「次も俺を呼ぶのか?」


「はい。もう一度、別の条件で試したいです」


「いいだろう。ただし、次は俺の判断も聞いてくれ。君の作戦に従うだけでは、二人で組む意味がない」


彼はうなずいた。


その言葉は、昨日の訓練で目標確保役に言われたことと重なっていた。


指揮役だからといって、すべてを自分で決める必要はない。


自分が決めるべきなのは、誰の意見を聞くか、何を優先するか、そして意見が食い違ったときに何を基準に判断するかだ。


それができなければ、人数を集めてもチームにはならない。


⸻


訓練場を出る前に、彼の端末へ新しい通知が届いた。


レイヴンからだった。


『今日の訓練記録を見た。物資を捨てた判断は悪くない。ただし、最初に走り出した相手を止められなかった理由も考えておけ』


彼は画面を読み返した。


相手が勝手に動いたから、だけではない。


自分の指示が、相手にとって納得できるものになっていなかった可能性もある。


敵を見つけても攻撃するなと伝えた。


だが、なぜ攻撃を控えるのか、どこまで接近してよいのか、判断を変える条件は何なのか。


自分はそれを十分に共有していなかった。


彼は返信した。


『次は、行動の条件と、判断を変更する基準を事前に共有します』


レイヴンからの返事は短かった。


『それだけで十分とは限らない。相手が理解したかどうかも確認しろ』


彼は端末を閉じた。


今日の訓練は成功だったのか。


物資を回収できなかった以上、任務の成果だけを見れば不完全だ。


それでも、敵に発見された後の判断は、昨日より早かった。


その違いは、記録上の勝敗には現れない。


だが、次の戦闘で同じ状況に直面したとき、彼の行動を変える可能性がある。


彼は帰り際に、次の訓練の予約を入れた。


今度は、自分の指示に従ってもらうことだけを考えるのではなく、相手が自分で判断できる余地も残す。


それができるかどうかは、まだ分からなかった。

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