第308章 別々の移送先
車のライトが、搬送路の壁を白く照らした。
エンジン音は一定だった。急いで接近してくる様子はない。
彼は直人に目配せし、負傷した男を壁際へ移動させた。
「ここから先、出口はいくつある?」
作業服の男はすでにリフトで戻っていた。答えられる者はいない。
直人が周囲を確認した。
「正面の搬送路と、右の保守通路。保守通路の先は、さっきの区画に戻る可能性がある」
「なら、正面へは出ない。車の位置と、乗っている人間を確認する」
彼は壁際の金属板に映る光を見た。
車が停止した。
運転席の扉が開く音がしたが、足音は一人分しか聞こえない。
やがて、通路の向こうから男の声がした。
「移送対象を確認したい。負傷者はいるか」
直人が小声で言った。
「救助側かもしれない」
「救助側なら、ここまで来た経路と、受け入れ先を説明できるはずだ」
彼は声を張りすぎないように答えた。
「所属を名乗ってくれ」
数秒の沈黙。
「医療搬送の依頼を受けた者だ。負傷者の移送が必要だと聞いている」
「誰から依頼を受けた?」
「依頼元の情報は、こちらからは開示できない」
彼は直人を見た。
救助を装った回収なのか、正規の医療搬送なのか。この時点では断定できない。
ただ、依頼元を明かせない理由があるなら、少なくとも負傷した男をすぐに引き渡すべきではなかった。
「受け入れ先の施設名と、搬送担当者の身分を確認したい」
「それは現場で説明する」
「ここで説明できないなら、移送には応じられない」
声の主は返事をしなかった。
代わりに、車のドアが閉まった。
エンジン音が遠ざかっていく。
直人が息を吐いた。
「行ったな」
「そう見えるだけかもしれない。しばらく動かない」
三人はその場を離れず、音が完全に消えるまで待った。
数分後、直人が搬送路の先を確認しに行った。戻ってきた彼は、車両が出口から出ていったことを伝えた。
「追跡は?」
「確認できない。少なくとも、すぐ近くにはいない」
「分かった。ここを離れよう」
彼は負傷した男の様子を確かめた。
顔色は悪く、歩く速度も落ちている。移動を続けるなら、遠くへ行く前に休ませる必要があった。
「医療施設へ行く。ただし、移送記録に指定された場所には向かわない」
直人がうなずいた。
「受け入れ先を自分たちで選ぶわけか」
「そうだ。相手の指定先へ行けば、記録どおりに移送されたことになる。別の施設を使えば、少なくともその記録と現実が一致しなくなる」
彼は端末を取り出した。
「ただし、医療機関に事情を隠して受診するつもりはない。必要な情報は伝える。こちらの居場所を、回収計画の関係者へ勝手に渡さないようにするだけだ」
直人は短く答えた。
「それなら、知り合いの医師に連絡する」
*
医師の指定した場所は、駅から離れた小さな診療所だった。
到着すると、医師は負傷した男の状態を確認し、必要な処置を行った。診察の間、彼と直人は待合室で待機した。
右手の痛みが強くなっていた。
壁に触れたときの衝撃が残っている。指を動かすことはできるが、力を入れると痛みが走る。
彼は医師に右手の状態も伝え、診察を受けた。
処置を終えた医師は、無理に手を使わないように告げた。大きな動作を避け、痛みが増すなら再度受診する必要があるという。
彼は指示を受け入れた。
動けることと、動かしてよいことは同じではない。
診察室を出ると、直人が端末を見せた。
「移送記録に更新があった」
画面には、三人の情報が表示されていた。
負傷した男の移送先は、医療施設の名称が登録されていない状態に戻っていた。
彼と直人の移送先は、依然として別々のままだった。
「変更したのは誰だ?」
「記録には残っていない。更新時刻だけだ」
「更新時刻と、さっきの車両が出ていった時刻を照合してくれ」
直人が操作を始めた。
数分後、彼は画面を見せた。
「車両が出ていったあと、負傷者の移送先が未登録に戻っている。俺たち二人の指定は変更されていない」
「ということは、あの車両は負傷者の移送を実行できなかったか、移送対象の登録が取り消されたか、そのどちらかだな」
「少なくとも、実際にどこかへ運んだ記録はない」
彼はうなずいた。
回収計画が何度も更新されているのに、現実の移送は成立していない。
その食い違いが、彼らに時間を与えていた。
ただし、それがいつまで続くかは分からない。
*
負傷した男は診察室から出てくると、二人に向かって言った。
「三日前の確認役について、一つ思い出した」
彼は椅子を引き、男が座れるようにした。
「話してくれ」
「確認役は、装置を見たあと、俺に質問した。装置をどこで受け取ったのか、誰から渡されたのか、受け取ったときに封印があったか」
「普通の確認じゃないのか?」
「最初はそう思った。だが、最後に一つだけ、妙なことを聞かれた」
男は少し考えた。
「『受領者が変わった場合、記録は誰に帰属するのか』と」
直人が眉を寄せた。
「装置の持ち主じゃなく、記録の帰属を聞いたのか」
「ああ。俺は、受け取った者の名前が残るんじゃないかと答えた。そしたら確認役は、そうとは限らないと言った」
「それ以上は?」
「それだけだ。質問の意味は分からなかった」
彼は診療所の窓を見た。
記録上の番号が一致しなかったこと。
確認役が、別の番号を入力したこと。
そして、装置の所有者と記録の帰属が一致するとは限らないという話。
これらが一つの仕組みを示している可能性はある。
しかし、今の段階で結論を出すことはできない。
「確認役は、そのあとどこへ行った?」
「施設の管理担当と一緒に、奥の通路へ入った。俺はその場に残された」
「二人が戻ってきたのを見たか?」
「見ていない」
彼は直人に視線を向けた。
「三日前の施設へ戻る必要がある。ただし、今度は確認役を探すんじゃない。記録の帰属を管理している部署を調べる」
「そんな部署が実在するか分からないぞ」
「だから、まずは施設の管理記録を調べる。確認役が何を入力したかは残っている。なら、その入力を受け付けた管理系統も、何らかの記録を持っているはずだ」
直人は考え込んだ。
「また、あの施設へ入るのか?」
「今すぐじゃない。こちらの移送先が指定されている以上、先にその二つを無効にする必要がある。放置すれば、次に来るのは説明をする人間じゃなく、連れていく人間だ」
彼は端末を開いた。
移送記録の画面を保存し、更新時刻を整理する。操作は直人に任せ、自分は必要な項目だけを確認した。
そのとき、見覚えのない番号から着信が入った。
彼はすぐには応答しなかった。
直人が発信元を確認する。
「番号は非通知じゃない。だが、登録情報がない」
「出てみる」
彼は通話を開始した。
『負傷者は、そちらにいるか』
聞き覚えのない男の声だった。
「誰だ?」
『今は名乗れない。だが、移送記録が更新された理由なら説明できる』
「先に、どこからこの番号を知ったのか答えてくれ」
相手は沈黙した。
やがて、低い声で答えた。
『医療施設からではない。移送計画の更新通知を受け取った人間からだ』
「それなら、俺たちの居場所は知らないはずだ」
『そうだ。こちらは、記録上の移送先が消えたことしか知らない』
彼は直人を見た。
少なくとも、相手は自分たちの現在地を把握しているとは言っていない。
「何を伝えたい?」
『三日前の確認役を探すのはやめたほうがいい。あの人間は、もう確認役として登録されていない』
「登録されていない?」
『役割の割り当てが解除されている。今は、別の管理系統に移されている』
「どこへ?」
『その情報は、こちらからは確認できない』
彼は通話を切らずに尋ねた。
「なぜ、そんなことを俺たちに教える?」
『移送計画が再開されれば、次に回収されるのは負傷者だけではない。お前たち二人も対象になる』
「それはもう分かっている」
『なら、もう一つ伝える。移送先が別々に指定されているのは、単に効率のためじゃない』
彼は黙って聞いた。
『二人が別々の場所へ移送された場合、互いの所在を確認できる権限がなくなる。少なくとも、今の計画ではそう設定されている』
直人の表情が変わった。
「それは、移送先を分けることで、俺たちが連絡を取れなくなるということか?」
『そうだ』
彼はすぐに答えた。
「なら、その権限設定を確認できる記録を送ってくれ」
『こちらには閲覧権限しかない。記録を送ることはできない』
「それなら、話せることはもうない」
彼は通話を切ろうとした。
『待ってくれ』
相手が言った。
『確認役の登録が解除された時刻と、回収計画の停止が承認された時刻は、ほぼ同じだ。偶然とは限らない』
「それを裏付ける記録は?」
『今はない』
「なら、事実として扱うことはできない」
彼は通話を終了した。
直人はしばらく画面を見つめていた。
「どう思う?」
「確認役の登録が解除されたという話は、調べる価値がある。ただし、相手が言ったことをそのまま信じるつもりはない」
彼は端末をしまった。
「次にやることは変わらない。移送先の権限設定を確認し、三日前の管理記録を探す。その二つがつながれば、回収計画が何を目的にしているのか、今より具体的に分かるはずだ」
診療所の外では、車が一台通り過ぎた。
彼は窓の外を見たが、車両を追いかけることはしなかった。
今、必要なのは新しい追跡対象ではない。
自分たちが別々に移送されると、何ができなくなるのか。
その仕組みを確認し、相手が利用しようとしている制約を先に外すことだった。




