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観客のいない世界  作者: 亀


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第304章 第三の選択肢

 端末の画面には、二つの選択肢が表示されていた。


 負傷者の引き渡し。


 同行者二名の回収承認。


 どちらを選んでも、相手の計画に従うことになる。


「第三の選択肢は何だ」


 俺は、端末を持つ男に尋ねた。


「回収計画を保留にする」


「どうすればいい?」


「対象の所在を確認できない状態にする。そうすれば、管理側は回収の可否を再評価しなければならない」


「つまり、俺たちが逃げればいいのか?」


「ただ逃げるだけでは駄目だ。対象の位置が追跡できる限り、回収命令は有効なままだ」


 直人が男との距離を保ったまま口を挟んだ。


「それなら、なぜお前が俺たちに教える?」


「俺も、今夜の回収を成立させたくないからだ」


「理由は?」


「今は話せない」


 直人が短く息を吐いた。


「またそれか」


 男は反論しなかった。


 背後の通路から、複数の足音が近づいてくる。


 時間がない。


「対象の位置を追跡する仕組みは、どこにある?」


 俺が尋ねると、男は端末の画面を切り替えた。


「この端末は、回収対象の指定と更新に使われている。対象そのものを追跡しているわけではない。位置情報は、別の記録から取得される」


「別の記録?」


「対象が接触した管理端末、施設の記録、移送情報。複数の情報を照合して、現在地を推定する」


 俺は、これまでの出来事を思い返した。


 施設の監視記録。


 移送先の情報。


 俺たちが移動するたびに届いたメッセージ。


 相手は、必ずしも俺たちを直接見ていたわけではないのかもしれない。


 残された記録から、行き先を推測していた可能性がある。


「なら、俺たちの移動記録を切り離せばいい」


「簡単ではない。すでに登録された記録は残っている」


「消せるのか?」


「俺にはできない。だが、登録を無効にする手続きならある」


 男は画面の下部を指した。


 そこには、短い項目が表示されていた。


 対象照合停止。


 その下には、実行条件が記されている。


 指定された管理担当者による承認。


 対象番号の確認。


 そして、回収計画の一時停止。


「承認する人間が必要なのか」


「そうだ」


「その人間はどこにいる?」


「今夜は、ここにはいない」


 直人が男の手元を見た。


「それなら、どうして端末を持っている?」


「俺は管理担当者ではない。だが、停止要求を送ることはできる」


「要求を送っても、承認されなければ意味がないだろう」


「そのとおりだ」


 男はあっさり認めた。


 つまり、第三の選択肢は確実な解決策ではない。


 成功するかどうか分からない手続きに賭ける一方で、追跡者から逃げ続ける必要がある。


 それでも、二つの選択肢を受け入れるよりは、自分たちで結果を変えられる余地があった。


「停止要求を送れ」


 俺は言った。


 男は端末を操作した。


 画面に確認表示が出る。


『回収対象二名。停止理由を選択してください』


 男は入力を止めた。


「理由を選ぶ必要がある。誤った理由を選べば、要求が却下される」


「何が選べる?」


「対象情報の不一致。担当者の連絡不能。回収条件の未達成」


 俺は少し考えた。


 対象情報の不一致は、こちらの位置が完全には確認できていない以上、可能性がある。


 担当者の連絡不能も、事実として報告されている。


 だが、どちらを選べば停止につながるかは分からない。


「担当者の連絡不能を選べ。確認できている事実だからだ」


 男が入力した。


 送信ボタンを押す。


 画面が切り替わった。


『停止要求を受理しました』


 その下に、処理中の表示が現れる。


 残り時間は、二十秒。


 背後の足音が、すぐ近くまで迫っていた。


「ここを離れるぞ」


 直人が言った。


 俺たちは出口へ向かった。


 外の道路には、車が一台停まっていた。運転席には誰もいない。


 直人が先に近づき、周囲を確認する。


「乗るな。鍵がない」


 俺はうなずいた。


 車があるからといって、使えるとは限らない。誰かが置いていった車なら、待ち伏せの可能性もある。


 俺たちは車を避け、道路の反対側にある歩道へ向かった。


 そのとき、男の端末が鳴った。


 全員が足を止めた。


 画面には、停止要求の結果が表示されていた。


『回収計画の一時停止を承認』


 その下に、短い注意書きが続いている。


『停止期間中、対象情報の更新を禁止する』


 直人が画面をのぞき込んだ。


「これで追跡が止まるのか?」


「少なくとも、この計画では更新できない」


 端末を持つ男が答えた。


「ただし、別の計画が存在する場合は別だ」


 俺はその言葉を聞き逃さなかった。


「別の計画があると知っているのか?」


「可能性を否定できないだけだ」


 男は端末をしまった。


「今夜の回収は止まった。だが、俺たちが安全になったわけじゃない」


 その直後、背後の建物から怒鳴り声が聞こえた。


「停止要求が通ったぞ!」


 別の声が続く。


「誰が承認した? 担当者の連絡が取れないはずだ!」


 男の表情が変わった。


 直人が俺に目を向ける。


「承認した人間が分かるのか?」


「分からない。だが、あの反応を見る限り、全員が同じ情報を持っているわけではない」


 俺は男に尋ねた。


「停止を承認した人間は、今の騒ぎを知っているのか?」


「分からない。自動処理ではないはずだ。誰かが承認した可能性が高い」


「その人間は、俺たちを助けるつもりなのか?」


 男は首を横に振った。


「そこまでは分からない。計画を止めたかっただけかもしれない」


 それなら、今夜の出来事は終わっていない。


 誰かが回収を止めた。


 しかし、その理由はまだ分からない。


 俺たちは歩道を進み、道路の明るい場所へ出た。


 負傷者の歩調は、さっきよりも遅くなっていた。直人が肩を貸し、俺は周囲を警戒する。


 端末を持つ男は、少し距離を置いてついてきた。


「お前は、これからどうする?」


 俺は男に尋ねた。


「俺も、ここには残れない。停止要求を送った記録が残っている」


「なら、一緒に来るか?」


 男はすぐには答えなかった。


「俺を信用するのか?」


「していない。だが、今のところ、お前は俺たちを売っていない」


 男は小さくうなずいた。


「それで十分だ」


 俺たちは、街灯の下を通り過ぎた。


 そのとき、俺の端末に新しいメッセージが届いた。


 送信者は不明。


 文章は一行だけだった。


『停止を承認したのは、回収計画の担当者ではない』


 俺は足を止めた。


 続けて、もう一通届いた。


『承認権限を持つ人間が、計画の外側から介入した』


 直人が画面を見て、眉を寄せた。


「計画の外側?」


 俺は返事をしなかった。


 停止要求を承認した人間が誰なのか。


 なぜ、今夜の回収を止めたのか。


 そして、その人間は、回収計画の外側にいながら、どこまでの権限を持っているのか。


 まだ何も分からない。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 俺たちは、誰かに与えられた二つの選択肢を拒み、自分たちで第三の選択肢を選んだ。


 その結果、回収計画は一時停止した。


 そして今、計画を動かしていた側にも、俺たちの知らない対立が存在することが明らかになった。

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