第303章 十二分後
紙に記された時刻まで、残り十二分。
俺はその数字を見ながら、扉から距離を取った。
「回収対象の変更は、まだ確定していない」
この一文が意味することは、少なくとも二つある。
俺たちが対象に指定されたのは暫定的な措置で、まだ正式な回収命令は出ていない。
あるいは、誰かが命令の確定を止めている。
どちらにしても、時間には限りがあった。
「番号を確認しよう」
直人が紙を差し出した。
俺は端末に保存した金属箱の画像と照合した。数字の並びは似ていたが、完全には一致しない。箱に刻まれていた番号は末尾が四。紙の番号は、その後ろに別の識別記号がついている。
「同じ系列の番号かもしれない。だが、同じ管理区のものだとは断定できない」
「この紙を置いていった男は、何者なんだ?」
「分からない。ただ、俺たちがどこにいるか知っていて、回収担当者でもないと言った」
直人は壁に耳を当てた。
「少なくとも、今は周囲に足音がない」
俺は負傷者に向き直った。
「十二分以内に、対象の変更を止める方法を知っているか?」
「俺には止められない。変更を確定する権限は、回収担当者にはない」
「なら、誰が持っている?」
「管理側だ。ただし、俺が知っている管理側と、今の計画を動かしている連中が同じとは限らない」
また、知らないことが増えた。
だが、今はそれを責めても意味がない。
「変更を確定する前に、何を確認する?」
男は少し考えた。
「対象の所在。回収担当者の状態。それから、回収の目的が達成可能かどうかだ」
「つまり、担当者が連絡を絶ったことが関係している可能性がある?」
「ある。担当者が消えれば、回収の可否を再評価する必要がある」
俺は紙を折り、ポケットに入れた。
「その担当者と連絡を取る方法は?」
「ない。俺の端末は失った。連絡先も、今は使えない」
「三日前に会った場所なら、何か残っている可能性は?」
「あるかもしれない。だが、今そこへ戻れば、待ち伏せされる」
直人が首を振った。
「同意だ。俺たちを追っている連中がいる以上、過去の場所へ戻るのは危険すぎる」
俺も同じ考えだった。
しかし、担当者が連絡を絶った理由が分からなければ、次の指定が確定するのを待つしかない。
俺は端末を取り出し、最初に届いた位置情報の送信元をもう一度確認した。
識別できる情報はない。
ただし、メッセージが届いた順番と時刻は残っている。
対象の移送を知らせるメッセージ。
その後に届いた、同行者二名の指定。
さらに、回収対象の変更が未確定だという通知。
これらが同じ送信者によるものかどうかは分からない。
それでも、時刻を並べれば、誰かがこちらの行動に合わせて情報を送っていることは見えてくる。
「直人、さっきの音声ファイルをもう一度開いてくれ」
直人が端末を操作した。
短い音声が流れる。
『回収対象を確保できなかった場合、次の対象へ移行する』
最後に、電子音が三回。
俺は紙に記された番号を見た。
番号の末尾にある識別記号は、音声の中にあった電子音の並びと関係しているのかもしれない。
だが、今ここで推測を確定させることはできない。
「この音声を、誰かに聞かせたことはあるか?」
負傷者は首を振った。
「ない。そもそも、俺はその音声を知らない」
「なら、俺たちに送った人間は、回収計画の内部情報を持っている可能性がある」
「あるいは、俺たちをそう思わせたいだけかもしれない」
直人の指摘は正しかった。
情報を持っていることと、情報を正しく使っていることは別だ。
俺たちを助けるつもりで送っているのか、それとも別の場所へ誘導したいのか。今の段階では判断できない。
そのとき、扉の向こうで再び足音がした。
今度は一人ではない。
複数の靴音が、建物の両側へ分かれていく。
直人が小声で言った。
「来たな」
俺は倉庫の奥を確認した。
壁際に古い搬入口があり、その先は隣の建物との間にある狭い通路へ続いているようだった。
扉には錆が浮いている。開くかどうかは分からない。
「直人、あの搬入口を確認してくれ。無理に壊すな」
直人が移動し、取っ手を押した。
扉はわずかに動いた。
「開く。だが、向こう側は暗い」
「出口があるか、先に確認してくれ」
直人が扉の隙間から外を確かめた。
その間に、正面の扉が強く叩かれた。
「中にいる人間に告ぐ。扉を開けろ」
先ほどの男とは違う声だった。
「対象の確認が終わった。抵抗しなければ、負傷者の安全は保証する」
俺は返事をしなかった。
保証という言葉だけでは、何も判断できない。
「残り時間は?」
負傷者が尋ねた。
俺は端末を見た。
紙に記された時刻まで、あと六分。
「六分だ」
「それまでに出なければ、指定が確定する」
「そう聞いているのか?」
「違う。だが、変更が未確定のままなら、確認に来る人間が増える。そうなれば、今より動けなくなる」
直人が戻ってきた。
「隣の建物につながっている。そこから裏の道路へ出られる。ただし、出口付近に人影が一つある」
「こちらを見張っているのか?」
「分からない。今は動いていない」
正面の扉が、もう一度叩かれた。
「最後の警告だ。あと三十秒で入る」
俺は負傷者を見た。
「歩けるか?」
「何とか」
「途中で止まるな。直人が先頭、俺が後ろにつく」
男はうなずいた。
俺たちは搬入口へ向かった。
直人が扉を開け、隣の建物へ入る。俺は負傷者の歩調に合わせ、右手を使わずに体を支えた。
扉を閉めた直後、正面側で金属が大きく鳴った。
突入が始まったのだ。
俺たちは暗い通路を進んだ。
出口が近づくにつれ、外の人影がはっきり見えるようになった。
男が一人、壁際に立っている。
こちらには気づいていないように見えた。
直人が足を止め、手で合図した。
そのとき、負傷者が俺の腕をつかんだ。
「待て。あいつは違う」
「何が違う?」
「俺を回収しに来た人間じゃない。だが、あいつの手にあるものを見ろ」
男の手には、小さな端末があった。
画面には、俺たちが持っている紙と同じ番号が表示されている。
男が顔を上げた。
そして、俺たちを見て、静かに言った。
「変更の確定まで、あと一分だ。お前たちがここにいるなら、選択肢は二つしかない」
男は端末をこちらへ向けた。
「負傷者を引き渡すか、同行者二名の回収を正式に認めるかだ」
俺は男の顔を見た。
「第三の選択肢は?」
男は一瞬だけ黙った。
「ある。ただし、それを選べば、今夜の回収計画そのものが変わる」
背後から、突入してきた人間たちの足音が近づいていた。
残り一分。
俺は、男が差し出した端末を見つめた。
その画面には、まだ確定していない二つの選択肢が表示されていた。




