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観客のいない世界  作者: 亀


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第301章 指定された場所

 運送会社の敷地は、幹線道路から一本入った場所にあった。


 昼間なら大型車両が何台も出入りするらしい。だが、夜の構内には照明のついた事務所と、シャッターの閉じた倉庫が一棟あるだけだった。


 俺たちは敷地から二百メートルほど離れた建物の陰に身を隠した。


 直人が双眼鏡を取り出す。


「入口に二人。事務所の窓際に一人。倉庫の裏にも人影がある」


「従業員の可能性は?」


「ある。だが、入口の二人は車両が来ても動かない。出入りを管理しているというより、誰かを待っているように見える」


 俺は端末に届いた位置情報を確認した。


 送信元は不明。


 添付された地図には、敷地の中央ではなく、倉庫の裏側に印がついている。


「ここへ誘導したいんだろうな」


「それなら、なおさら近づかない方がいい」


 直人の言うとおりだった。


 しかし、ここに誰かがいるのなら、放置したまま帰ることもできない。


 俺は負傷者に目を向けた。


「三日前に会った回収担当者は、この会社の人間なのか?」


「分からない。待ち合わせ場所に指定されただけだ」


「誰が指定した?」


「俺の上の人間だ」


「その人間とは連絡が取れるのか」


「今は無理だ。連絡用の端末は、さっきの施設で失った」


 直人が双眼鏡を下ろした。


「つまり、相手の身元も、現在の状況も確認できないまま、ここに来たわけか」


「来ると決めたのは俺じゃない」


「それは分かっている。だが、俺たちまで同じ条件で動く必要はない」


 負傷者は反論しなかった。


 俺は敷地の周囲を見渡した。


 道路の向こうに、配送車両用の出入口がある。正門とは反対側だ。そこには警備員らしい人影がいなかった。


「裏側から誰かが出てきたら、すぐに分かる位置に移動しよう」


 俺たちは建物の陰を伝って移動した。


 途中、直人の端末に着信が入った。


 彼は画面を確認し、俺に見せた。


 送信者は、運送会社の管理番号を名乗っていた。


『敷地内にいる人物について確認したい。現在、そちらに負傷者がいるか』


「誰だ?」


 俺は小声で尋ねた。


「分からない。管理番号だけだ」


「返信するな。こちらが何を知っているか、相手に教える必要はない」


 直人は着信を保留にした。


 数秒後、同じ番号から別のメッセージが届いた。


『対象はすでに移動を開始した。到着まで残り十分』


 俺は敷地を見た。


 倉庫の裏にいた人影が消えている。


「直人、車両の出入口を見てくれ」


 直人が双眼鏡を向けた。


「小型トラックが一台。エンジンはかかっているが、まだ動いていない」


「運転席に人は?」


「いる。助手席にも一人」


 俺は負傷者に尋ねた。


「三日前、ここで誰と会った?」


 男は少し迷ってから答えた。


「回収担当者だ。俺が渡すはずだった装置を受け取るために来た」


「その人物は装置を受け取れたのか」


「受け取っていない。俺が持っていたものと、相手が要求したものが違った」


「それで、どうなった?」


「相手は撤収した。俺には、次の指示を待つように言った」


 俺は運送会社の敷地に視線を戻した。


 今回も同じことが起きているのかもしれない。


 ただし、今回は装置がない。


 相手が負傷者を連れ去ろうとしている理由は、装置の回収とは別にある。


 そのとき、敷地の事務所から一人の男が出てきた。


 年齢は四十代くらい。作業着を着ているが、手袋も工具も持っていない。


 男は入口に立つ二人と短く話し、倉庫の方へ歩いていった。


 途中で一度だけ、こちらのいる方向を見た。


 俺は身を引いた。


「気づかれたか?」


「分からない。だが、あの男は俺たちを探している可能性がある」


 直人がそう言った直後、敷地内の照明が一斉に消えた。


 事務所の窓も、倉庫の外灯も暗くなる。


 次の瞬間、トラックのエンジン音が大きくなった。


「動くぞ」


 直人が言った。


 トラックは正門ではなく、裏側の出入口へ向かっていた。


 俺たちは追わなかった。


 車両を追えば、こちらの位置を知らせることになる。何より、運ばれている人間がいるのかどうかも分からない。


 トラックが道路へ出た直後、俺の端末が震えた。


『対象の移送を確認』


 続けて、画像が一枚届いた。


 暗い車内に座る人物の姿だった。


 顔は見えない。


 だが、手首には、俺たちが何度か目にした古い管理番号と同じ形式の識別票が巻かれていた。


 俺は画像を拡大した。


 番号の末尾は、四。


 直人が画面をのぞき込む。


「第四管理区と関係があるのか?」


「まだ分からない。番号が似ているだけかもしれない」


 俺は画像を保存した。


 負傷者はそれを見て、突然、壁に手をついた。


「どうした?」


「……あいつだ」


「誰のことだ」


「三日前、俺が会うはずだった相手だ」


 俺は画像を見直した。


 顔は隠れている。服装にも特徴はない。


「どうして分かる?」


「左手だ。指の付け根に傷がある。前に、装置を受け取ろうとしたときに見た」


「なら、今のトラックに乗っているのか?」


「分からない。画像がいつ撮られたものか、俺には判断できない」


 それは重要な違いだった。


 現在の移送を知らせるメッセージと、過去に撮影された画像を組み合わせれば、誰でも誤った判断へ誘導できる。


 俺は画像の送信時刻を確認した。


 ファイル自体には撮影時刻が残っていない。


「直人、トラックの行き先を調べられるか?」


「追跡はしない。だが、道路の監視映像を確認できる範囲なら調べられる」


「頼む」


 直人が端末を操作し始めた。


 その間、俺は負傷者を見た。


「一つだけ確認したい。お前は、その人物を助けたいのか?」


 男はすぐには答えなかった。


「助けたいかどうかで決められる状況じゃない。あいつが連れていかれれば、次の回収計画が動く」


「それは、お前が知っている計画なのか?」


「一部だけだ」


「なら、知っていることを全部話してくれ。俺たちが動くかどうかは、その後で決める」


 男は唇をかんだ。


 やがて、低い声で言った。


「回収担当者は、一人じゃない」


 俺は黙って続きを待った。


「俺を回収する担当者がいて、装置を回収する担当者がいる。それとは別に、対象が予定どおり確保されたかどうかを確認する人間がいる」


「その確認役が、今の人物か?」


「分からない。だが、三日前に装置を受け取ろうとした人間は、俺の回収担当者ではなかった」


 直人がこちらを向いた。


「トラックの映像が見つかった。十分ほど先の交差点で、北へ曲がっている」


「その先は?」


「工業地区だ。倉庫が多い。ここから先は、映像が途切れる可能性が高い」


 俺は立ち上がった。


「追跡は続けない。まず、今の画像と音声を別々に確認する。送り主が同じだとも限らない」


 直人がうなずく。


 俺たちは敷地から離れようとした。


 そのとき、負傷者が俺を呼び止めた。


「待ってくれ」


 彼は俺の端末を指した。


「今の画像を送ってきた相手に、返事をしてみろ」


「何を聞く?」


「こう聞け。『対象の移送は成功したのか』と」


「なぜだ?」


「装置の回収担当者なら、移送の成功だけでは答えられない。誰を、何のために移送したのかを確認するはずだ」


 俺は数秒考えた。


 そして、指定された文章を送信した。


 返信は、すぐには来なかった。


 三十秒。


 一分。


 その間、直人は周囲を警戒し、負傷者は黙って端末を見つめていた。


 やがて、返信が届いた。


『対象の移送は成功した。回収は未完了』


 俺は画面を見たまま、動かなかった。


 対象の移送と、回収の完了は別のことらしい。


 つまり、今のトラックで誰かを運んだとしても、計画そのものは終わっていない。


 続けて、もう一通届いた。


『次の回収対象を指定する』


 地図が添付されていた。


 そこに表示された地点を見て、直人が息をのんだ。


 俺たちが、さっきまでいた場所だった。


 そして、地図上の対象名には、こう記されていた。


 回収対象――同行者二名。


 俺は端末を閉じた。


 負傷者を助けるために動いていたはずが、いつの間にか、俺たち自身が回収計画に組み込まれていた。

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