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観客のいない世界  作者: 亀


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第296章 先に動いた者

負傷者が口を開いたのは、昼を過ぎてからだった。


直人から届いた連絡は短かった。


『回収担当者を見た場所が分かった。旧施設ではない。三日前、別の場所で接触している』


主人公はすぐに通話をつないだ。


「どこですか」


「閉鎖された輸送拠点だ。旧市街の南側。負傷者は、そこで記憶装置の受け渡しをする予定だったらしい」


「相手は一人?」


「予定では一人だった。実際に現れたのは二人。片方が回収担当者で、もう片方は顔を見せなかった」


「受け渡しは成立したんですか」


「成立していない。負傷者が持っていた装置と、相手が求めていた装置が一致しなかった」


主人公は一度、言葉を止めた。


「同じ記憶装置を探していたわけではない?」


「そういうことだ。負傷者は、指定された装置を渡すつもりだった。だが、相手は別の装置を要求した。そこで取引が中断された」


「それで、昨夜の襲撃につながったんですね」


「本人はそう考えている。ただし、昨夜の襲撃者が三日前の二人と同じかどうかは分からない」


主人公は地図を開いた。


旧輸送拠点から旧施設までは、車で移動できる距離だった。だが、途中には複数の道路があり、特定の経路を通らなければならない理由もない。


それでも、三日前の接触と昨夜の襲撃が同じ記憶装置をめぐって起きたのなら、輸送拠点には確認する価値がある。


「直人、現地へ行くつもりですか」


「一人では行かない。まず外から状況を確認する」


「施設に入るのは、現地の管理者と連絡が取れてからにしてください。昨夜の連中が戻っている可能性があります」


「分かった」


通話を終えると、主人公は装備を確認した。


右手はまだ十分に動かない。何かをつかんで支える動作には痛みが残っていた。


自分が現場へ行ったところで、できることは限られる。


だが、直人だけに判断を任せて、自分は情報を待つだけというわけにもいかなかった。


主人公は輸送拠点の古い配置図を端末へ保存した。現地へ向かうのは、直人から外周の状況が届いてからだ。


その頃、旧輸送拠点では、別の一団がすでに行動を開始していた。


三人の男が、閉鎖された搬入口の前にいた。


「中にいるのか」


一人が尋ねた。


「分からない。昨夜から連絡が途絶えている」


「なら、探すしかない」


先頭の男が扉へ手をかけた。


そのとき、背後から車の音が聞こえた。


三人が振り返る。


道路の向こうに、黒い車が一台止まっていた。


運転席から降りてきた男は、三人を見ても驚かなかった。


「ここはもう使われていない」


先頭の男が言った。


「知っている」


「なら、帰れ」


男は返事をせず、車の後部座席から細長いケースを取り出した。


「昨夜、ここから持ち出されたものを探している」


三人の表情が変わった。


「何を持ち出した」


「それを知っているなら、話は早い」


男はケースを地面に置いた。


「交換しよう。こちらが探しているものを渡せば、お前たちが探しているものの所在を教える」


先頭の男は、すぐには答えなかった。


「お前は誰の指示で来た」


「それを知る必要はない」


「なら、取引はできない」


男はケースを拾い上げた。


「そうか」


彼は車へ戻ろうとした。


その瞬間、三人のうち一人が動いた。


男の腕をつかもうとしたが、相手は一歩退き、ケースを反対側へ移した。力比べにはならなかった。互いに距離を取り、相手の動きを見ている。


「やめろ」


先頭の男が命じた。


遅れて動いた男が手を止める。


その短い間に、ケースを持った男は車へ乗り込み、走り去った。


先頭の男は追わなかった。


「顔は見たな」


「見た」


「車も記録しておけ。今は追うな」


三人は搬入口へ戻った。


扉は施錠されていたが、鍵穴の周囲には新しい傷が残っていた。


誰かが、すでに中へ入っている。


先頭の男は、扉の隙間から内部をのぞいた。


暗い倉庫の奥で、何かが倒れる音がした。


「下がれ」


三人が距離を取った直後、扉が内側から押し開かれた。


出てきたのは、昨夜の襲撃で負傷者を追っていた男の一人だった。服の袖が破れ、額に血がにじんでいる。


男は三人を見るなり、舌打ちした。


「お前たちまで来たのか」


「ここに何がある」


「何もない」


「なら、なぜ隠れていた」


負傷した男は答えず、道路の向こうを見た。


黒い車は、もう見えなかった。


「……遅かった」


その言葉だけを残し、男は三人の脇を通り過ぎた。


先頭の男が呼び止める。


「誰に先を越された」


男は足を止めた。


「お前たちが知る必要はない」


そう言って、彼は歩き去った。


三人は追わなかった。


その判断が正しかったかどうかは、まだ分からない。


一方、主人公の端末には、直人から画像が届いていた。


輸送拠点の外周。新しいタイヤ痕。搬入口の傷。そして、道路脇に落ちていた小さな金属片。


金属片には、数字が刻まれていた。


「04」


主人公は、その数字を拡大した。


第四管理区。


以前、古い記録の中で見つかった文字と一致している。


だが、それだけで同じ組織や同じ装置だと断定することはできない。数字が示すものは、管理区かもしれないし、部品番号かもしれない。


主人公は画像を保存し、直人へ確認した。


「金属片は回収できましたか」


『まだだ。現場の安全を確認してからにする』


「そのままで構いません。無理に触らないでください」


『分かった。それと、もう一つ』


直人の声が低くなった。


『搬入口の中に、血痕がある。昨夜の負傷者のものかは分からないが、量は少なくない』


主人公は地図を閉じた。


三日前の受け渡し失敗。昨夜の襲撃。複数の記憶装置。依頼主の指示を待つ回収担当者。そして、誰かが先に持ち出したもの。


これらが一本の線でつながっているとは限らない。


しかし、少なくとも輸送拠点では、誰かが今も動いている。


主人公は立ち上がった。


今度は情報を待つだけではない。


直人と合流し、外周から確認する。危険があれば退く。目的は、誰かを捕まえることでも、装置を奪うことでもなかった。


誰が先に動き、何を持ち出し、誰がそれを追っているのか。


その順序を、現場で確かめる必要があった。


主人公は端末をしまい、輸送拠点へ向かった。

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