第295章 依頼主
翌朝を待つ必要はなかった。
直人が現場から送ってきた映像には、三台の車が別々の方向へ走り去る様子が映っていた。東側の二台はほぼ同時に出発し、残る一台は数分遅れて西側の道路へ向かっている。
追跡を避けるために分散したのか、最初から別々の任務を持っていたのか。
映像だけでは判断できなかった。
主人公は三台の移動経路を地図に重ねた。
東側の二台は、施設から離れたところで別れた。一台は市街地へ、もう一台は旧工業区へ向かっている。
西側の車両は、しばらく走ったあと、監視範囲から消えた。
「ナンバーは?」
主人公が尋ねると、直人は首を振った。
「二台は偽装されていた。もう一台は、出発時に泥がついていた。全部は読めていない」
「運転手の顔は」
「一人だけ横顔が見えた。照合できる相手がいないから、今は特徴として残すしかない」
主人公は映像を止めた。
無理に名前を当てはめても、調査は進まない。
「施設の管理者と負傷者は?」
「救急の担当者に引き渡した。警察にも連絡が入っている。ただ、あの施設の古い通路については、現場にいた人間の説明が必要になるだろう」
「記憶装置のことは伝えましたか」
「伝えた。だが、あれが何なのか、管理者にも分からないらしい」
主人公は少し考えた。
「なら、まず装置そのものを探すより、回収担当者が誰に渡すつもりだったのかを調べましょう」
直人は画面の向こうで頷いた。
「その手掛かりは?」
「負傷者が知っている可能性があります。ただ、今は無理に聞き出さないほうがいい」
二人はそこで連絡を終えた。
主人公は、前夜に届いた二通の匿名メッセージを並べた。
『回収担当者は正面から来ない』
『回収担当者は到着した。だが、渡す相手を間違えた』
最初の文面は、回収担当者の接近経路を知っていたように見える。
二通目は、記憶装置が奪われたことまで把握していた可能性がある。
しかし、同じ人物が送った証拠はない。
主人公は、メッセージを送信時刻ごとに整理した。現場の動きを知る者が複数いるなら、そのうち一人を特定するだけでは足りない。
今必要なのは、情報を持つ人間を一つの組織だと決めつけないことだった。
その頃、別の場所では、回収担当者が一人の男と向かい合っていた。
部屋には窓がなく、机の上には小型の記憶装置が置かれている。
「渡す相手を間違えたそうだな」
机の向こうの男が言った。
回収担当者は否定しなかった。
「現場の状況が変わった。負傷者を確保することを優先した結果、装置を別の者に奪われた」
「誰に奪われた」
「顔は確認できていない。侵入者の一部と、後から来た者が同じ側だったとも限らない」
「言い訳は要らない。依頼の条件を確認しろ」
回収担当者は机の上の端末を操作した。
画面には、短い依頼文が表示されていた。
回収対象を確保すること。
指定された記憶装置を受領すること。
受領者が確認できない場合、独断で引き渡さないこと。
その三項目の下に、追加条件が一つだけあった。
「対象が第三者の管理下に入った場合、回収を中断し、依頼主の指示を待つ」
回収担当者は、その行を指した。
「昨夜、対象は第三者の管理下に入りました。私は規定どおり離脱しました」
「それなら、なぜ装置を失った」
「装置を保管していた人物が、私の到着前に移動させられていたからです」
男は黙って画面を見ていた。
やがて端末を自分のほうへ引き寄せた。
「次の指示があるまで動くな」
「負傷者はどうします」
「そちらの担当ではない」
回収担当者は、それ以上尋ねなかった。
彼が部屋を出ると、机の向こうの男は別の回線を開いた。
「回収は失敗した。記憶装置も所在不明だ」
相手はすぐには答えなかった。
「負傷者は生きているのか」
「生きている」
「なら、まだ終わっていない」
「容器を探している連中は、すでに独自に動いている。これ以上、現場へ人を送れば互いの邪魔になる」
「それを止める権限が、こちらにあるのか」
男は答えに詰まった。
しばらくして、相手が言った。
「依頼主の名前を出すな。次の連絡を待て」
回線が切れた。
机の上には、回収担当者が残した依頼文だけが表示されていた。
依頼主の名前は、最初から記載されていなかった。
一方、主人公のもとには、直人から新しい連絡が届いていた。
「負傷者が話せる状態になった。ただし、警察への説明と、こちらに話す内容を分けたいと言っている」
「本人の希望を優先してください」
「分かった。ひとつだけ、先に伝えておく」
直人の声が少し低くなった。
「負傷者は、回収担当者を以前にも見たことがあるらしい」
主人公は端末を握り直した。
「どこで?」
「それはまだ話していない。だが、顔を見た瞬間に、誰なのか分かったと言っていた」
「名前も?」
「そこまでは聞いていない」
主人公は返事を急がなかった。
回収担当者が依頼主の指示に従って動いていたことは分かった。
しかし、依頼主が容器を欲しがっているのか、記憶装置を必要としているのか、それとも負傷者を確保すること自体に目的があるのかは、まだ分からない。
三つの目的が同じ人物に属しているとも限らなかった。
「本人が話せるようになったら、ひとつだけ確認してください」
「何を?」
「回収担当者を最後に見た場所です。名前より先に、接触した場所と時期を知りたい」
直人は了承した。
主人公は地図を開き、旧施設、訓練区画、地下通路の三点を結んだ。
昨夜の襲撃は偶然の衝突ではなかった。
複数の人間が、同じものを別々の理由で追っている。
そのうち一人が、依頼主の指示を待つために動きを止めた。
ならば、次に動くのは別の者だろう。
主人公は、次の連絡を待つことにした。
今度は、相手が何を持っているかではなく、誰の指示でそこへ来たのかを確かめるために。




