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観客のいない世界  作者: 亀


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第294章 回収担当者

管理室の非常灯が、一度だけ明滅した。


負傷した男は、壁に背を預けたまま、扉の向こうを見ていた。


「回収担当者は、いつ来る」


施設管理者が尋ねた。


「予定では、今夜だ」


「予定?」


「こちらが指定した時刻に、指定した入口から入る。それ以上は知らない」


男は手元の小型記憶装置を握り直そうとしたが、傷の痛みに顔をしかめた。


「そいつに渡すためのものなのか」


「違う。回収対象が予定どおり引き渡せない場合に備えている」


「つまり、あの容器が手に入らなかったときの保険か」


男は答えなかった。


施設管理者がもう一度尋ねようとしたとき、廊下から靴音が聞こえた。


一人ではない。


管理者はすぐに照明を落とした。


「ここにも来たか」


男は立ち上がろうとした。だが、膝に力が入らず、壁に手をついた。


管理者が肩を貸そうとした瞬間、扉の外から声がした。


「中にいるのは分かっている。負傷者を引き渡せ」


先ほど病室を襲った連中とは違う声だった。


「容器の場所は聞かないのか」


管理者が扉越しに返す。


「容器は別の者が探している。こちらの仕事は人間を回収することだ」


男の表情が変わった。


「……もう来ているのか」


「誰が?」


管理者が振り返るより先に、男は記憶装置を差し出した。


「持っていけ。俺がここにいると分かれば、あいつらはお前も狙う」


「それを受け取ったら、俺も標的になるだろう」


「すでになっている」


扉の取っ手が動いた。


管理者は男を奥の点検通路へ押し込み、自分は机を倒して扉の前に置いた。鍵は古く、長くは持たない。


扉が一度、強く揺れた。


二度目の衝撃で、机の脚が床を滑った。


そのとき、管理者の端末が短く鳴った。


直人からだった。


『東側の搬入口に車が二台。施設の登録車両ではない。裏の道路も一台が塞いでいる』


管理者はすぐに返信した。


『西側の旧搬送路は使えるか』


『確認中。だが、入口付近に人がいる』


直人は現場に踏み込んでいなかった。車両の位置と人の動きだけを、離れた場所から見ている。


その情報を受け取った主人公は、地図を開いた。


旧搬送路は、施設の地下通路から訓練区画の外周へ抜けていた。ただし、出口は一つではない。現在使われている出入口のほかに、整備用の狭い通路が残っている。


問題は、その通路が今も開くかどうかだった。


主人公は管理者へ連絡した。


「地下の整備用通路を知っていますか」


『知っているが、今は使っていない』


「出口の位置だけ教えてください。中へ入る必要はありません」


返事を待つ間にも、地図上の時間が進んでいく。


やがて管理者から位置情報が届いた。


主人公は直人に送った。


『そちらから出口を確認できますか。近づいて危険なら引き返してください』


『分かった』


その直後、主人公の端末に匿名のメッセージが届いた。


『回収担当者は正面から来ない』


主人公は画面を見つめた。


送信時刻は、直人が東側の車両を報告した直後だった。


情報を持つ者が現場を見ているのか。それとも、別の場所で同じ動きを追っているのか。


判断できる材料はなかった。


主人公は返信せず、管理者へ伝えた。


「正面以外から来る可能性があります。出口を一つに絞らないでください」


その瞬間、管理室の扉が破られた。


侵入者が二人、室内へ入る。


一人は机を蹴り飛ばし、もう一人は点検通路へ向かった。管理者はその進路を塞いだが、相手に腕をつかまれ、壁へ押しつけられた。


「負傷者を出せ」


「ここにはいない」


男は嘘をついた。


侵入者が管理者の胸元をつかみ直したとき、点検通路の奥で金属音が鳴った。


負傷者が非常用の隔壁を手動で開けたのだ。


「逃げたぞ!」


二人が通路へ走る。


管理者は床に倒れたまま、端末を拾った。


「行った。西側だ」


主人公は地図上の出口を確認した。


西側の通路は、外周の整備路へ出る。だが、その先は行き止まりに近い。通常の搬送車両が通れる道は一本しかない。


「直人、整備路の先へ回れますか」


『回れる。ただし、出口の近くに人影がある』


「近づかないでください。逃げ道を塞がないように、位置だけ見てください」


主人公は管理者に、通路の分岐で右へ進むよう伝えた。左側は搬送車両のための通路で、先ほど報告された車両の位置と重なる。


負傷者が正しい分岐を選べるかは分からない。


通信が途切れた。


数秒後、直人から声が届いた。


『出てきた。二人だ。追っている連中もいる』


『負傷者は?』


『一人は肩を貸されている。管理者も一緒だ』


画面の向こうで、短い怒声が響いた。


追跡者の一人が距離を詰め、管理者の腕をつかもうとした。管理者は相手の手を振りほどき、負傷者を先へ押し出す。


その先に、別の男が立っていた。


男は逃げ道を塞ぐように立ち、負傷者へ手を伸ばした。


「回収対象を確認した。こちらへ渡せ」


管理者は足を止めた。


背後から追跡者が迫っている。前方には、最初から待ち受けていた男がいる。


挟まれた形だった。


主人公は通路の構造をもう一度確認した。


二人が進んできた道の脇に、幅の狭い排水用の通路がある。人が通れるかどうかは、図面だけでは判断できない。


だが、管理者はその場所を知っているはずだった。


主人公は通信をつないだ。


「正面へ渡さないでください。右手側に排水通路があるはずです」


管理者は一瞬だけ周囲を見た。


「ここか……!」


彼は負傷者を支えたまま、通路の蓋を蹴り上げた。狭い入口に身体を滑り込ませる。負傷者が続き、管理者も最後に潜り込んだ。


追跡者が手を伸ばしたが、指先が衣服に触れただけだった。


蓋が閉じる。


男たちの足音が、通路の上を走り抜けていった。


主人公は息を吐いた。


逃げ切ったとは限らない。排水通路の出口は、まだ確認できていなかった。


数分後、直人から連絡が届いた。


『二人を確認した。負傷者は歩けないが、意識はある。救急の手配を進めている』


主人公は管理者へ連絡した。


「記憶装置は持っていますか」


短い沈黙のあと、返事があった。


『……ない』


「どこに置きましたか」


『扉が破られる前、机の下に置いた。あの連中が入ったときには、もうなかった』


主人公は画面を見た。


負傷者を追う者。容器を探す者。そして、回収担当者を待つはずだった記憶装置を先に持ち去った者。


少なくとも三つの動きが、同じ施設で交差していた。


そのとき、匿名のメッセージがもう一通届いた。


『回収担当者は到着した。だが、渡す相手を間違えた』


主人公はすぐに送信元を調べた。


結果は出なかった。


メッセージの時刻は、直人が負傷者を確認した時刻とほぼ一致していた。


主人公は画面を閉じ、管理者に一つだけ尋ねた。


「回収担当者の顔を見ましたか」


『見た。だが、あいつは俺たちを助けに来たわけじゃない』


「なぜそう思うんですか」


『負傷者を見ても、最初に聞いたのは記憶装置の場所だった』


通信が切れたあとも、その言葉が残った。


今夜、奪われたのは容器だけではない。


誰かが回収の順序を変え、別の誰かがその変更を利用していた。


そして主人公は、ようやく一つのことを理解した。


次に追うべきなのは、容器の所在ではない。


回収担当者が、誰から依頼を受けていたのか。


その依頼主を突き止めなければ、同じ襲撃は何度でも繰り返される。

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