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観客のいない世界  作者: 亀


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第二十八章 同じ時代の声

 通信は。


 数秒間、沈黙していた。


 地下施設の古い装置から流れるノイズだけが聞こえている。


 青年は。


 画面を見つめた。


「もう一度聞く」


 青年が言った。


「あなたは誰だ?」


『それが、まだ分からないんです』


「名前は?」


『名前ならあります』


 少し間があった。


『ただ、今の私にとって、それが本当に自分の名前なのか分からない』


 直人が青年を見る。


「変な人ですね」


「お前が言うか」


「僕は普通ですよ」


 通信の向こうから。


 小さな笑い声が聞こえた。


『……あなたたちも、そういう話をするんですね』


「あなたは、俺たちを知っているのか?」


『知っています』


「どこで?」


『見ていました』


 青年の表情が変わる。


「未来から?」


『違います』


「じゃあ、どこから?」


『同じ時代からです』


 地下施設が。


 一瞬、静かになった。


     *


 青年は。


 通信装置の前に座った。


「同じ時代なら、どうやって俺たちを見ていた?」


『分かりません』


「分からない?」


『私が見ていたわけではありません』


「じゃあ誰が?」


『装置です』


「どんな装置?」


『あなたが今使っているものと、似ています』


 青年は。


 中央装置を見た。


「この施設以外にもある?」


『あります』


「いくつ?」


『知りません』


「どこに?」


『それも』


 通信の向こうで。


 少し呼吸する音が聞こえた。


『だから、私はあなたたちを探していました』


「俺たちを?」


『正確には』


 一拍。


『この装置を使える人間を』


     *


 女性の管理室。


 その通信記録が。


 運営側にも入っていた。


 部下が画面を確認する。


「同時代接続を確認」


「接続元は?」


「特定できません」


「通信経路は?」


「通常の歴史接続とは違います」


 女性は画面を見る。


 地上側の地下施設。


 青年。


 直人。


 そして。


 未知の接続先。


「運営側の装置ではない?」


「少なくとも、登録されている設備ではありません」


「では、現地側の設備?」


「可能性があります」


 女性は考えた。


 これまで。


 未来と過去。


 観測者と出演者。


 運営と現地。


 そういう構造だと思っていた。


 しかし。


 同じ時代の人間同士が。


 独自に観測設備を持っているなら。


 話は変わる。


「記録だけ取って」


「介入は?」


「しない」


「またですか?」


「ええ」


「危険かもしれません」


「分かっている」


 女性は画面から目を離さなかった。


「でも、今のところ危険だと判断する材料もない」


 部下は頷いた。


「了解しました」


     *


 地下施設。


「あなたは何を知っている?」


 青年が聞いた。


『多くはありません』


「未来のことは?」


『少し』


「運営商については?」


『名前だけ』


 青年は黙った。


「俺たちが観測されていることは?」


『知っています』


「なぜ?」


『私たちのところにも、同じ表示が出るからです』


 青年は息を止めた。


『観測者数』


『支援値』


『注目度』


『全部あります』


「……」


『最初は、私も自分が選ばれたと思いました』


「選ばれた?」


『はい』


『特別な人間だから』


『何かをする役割があるから』


『そう思っていました』


 青年は。


 その言葉を聞きながら。


 自分が最初に抱いた感覚を思い出した。


 なぜ自分なのか。


 なぜ箱が自分のところに来たのか。


 なぜ未来が自分を見つけたのか。


 だが。


 実際には。


 自分は。


 たまたま箱を見つけた人間だった。


「今は?」


 青年が聞いた。


『今は違うと思っています』


「なぜ?」


『私より面白い人間が、いくらでもいるから』


 直人が笑った。


「それ、分かります」


「お前は何を見てるんだよ」


「自分の話ですよ」


『……あなたは、直人さん?』


 直人の笑顔が消えた。


「僕を知っている?」


『見ていました』


「どこまで?」


『あなたが地下施設へ入ったところから』


「……」


 直人は。


 初めて黙った。


     *


「一つ聞く」


 青年が言った。


「あなたのところには、何人いる?」


『分かりません』


「また分からない?」


『正確な人数を把握できないんです』


「どういう意味だ?」


『最初は三人でした』


「今は?」


『たぶん、数百人』


 青年は眉を寄せた。


「数百?」


『この地域だけで』


 地下施設の空気が変わった。


「同じような人間が?」


『はい』


「未来と繋がっている?」


『人によります』


『未来から支援を受けている人もいる』


『未来と取引している人もいる』


『未来の存在を知らない人もいる』


『観測されていることだけ知っている人もいる』


『そして』


 通信の向こうの声が少し低くなった。


『観測者そのものを利用しようとしている人もいます』


 青年は。


 黒服の男を思い出した。


 軍服の男を。


 あの地下施設で出会った人間たちを。


 それぞれ違う理由で。


 未来との関係を持っていた。


「つまり」


 青年が言った。


「俺たちの時代にも、俺たちみたいな人間がたくさんいる」


『はい』


「それぞれ違う目的で」


『はい』


「そして、互いに知らない」


『その可能性が高いです』


     *


 通信が。


 突然途切れた。


「おい」


 青年が装置に手を伸ばす。


 画面が点滅する。


 ――接続不安定。


 ――外部干渉。


 直人が立ち上がった。


「誰か来ます」


「どこから?」


「分かりません」


 施設の奥から。


 金属音が聞こえた。


 一度。


 二度。


 三度。


 青年は立ち上がった。


「武器は?」


 直人が聞く。


「ある」


 青年は構える。


 しかし。


 画面には。


 別の表示が出ていた。


 ――観測者数、急増。


 ――新規観測対象、増加。


 ――複数地域から同時接続。


「……何だ、これ」


 直人が呟く。


 地下施設だけではない。


 別の場所から。


 同じ装置が。


 次々と接続を開始していた。


 都市。


 農村。


 工場。


 研究施設。


 軍事区域。


 そして。


 名前すら分からない場所。


 画面には。


 無数の接続点が表示された。


     *


 未来の管理室。


「これは……」


 部下の声が震えた。


「同時代側の接続数、増加しています」


「いくつ?」


「現在、百二十七」


「登録設備は?」


「ありません」


「運営側の設備ではない?」


「違います」


 女性は。


 画面を見つめた。


 これまで。


 運営が把握していたのは。


 自分たちが管理している観測網だった。


 しかし。


 今、画面に表示されているのは。


 その外側に存在していたネットワークだった。


「誰が作った?」


 部下が答える。


「分かりません」


 女性は。


 少しだけ笑った。


 驚きではあった。


 だが。


 恐怖ではない。


 未知のものが現れた。


 なら。


 まず観測する。


 それが彼女の仕事だった。


「接続を遮断しますか?」


「しない」


「全く?」


「はい」


「理由は?」


 女性は。


 画面に増え続ける接続点を見ながら答えた。


「私たちが知らない人間が」


「私たちが知らない方法で」


「自分たちの時代を見ている」


 一拍。


「それなら、まず見てみましょう」


     *


 地下施設。


 青年は。


 無数の接続点を見ていた。


 未来から見られている。


 それは。


 もう知っていた。


 だが。


 同じ時代の人間からも。


 見られている。


 それは。


 今まで考えたことがなかった。


 画面の中央に。


 一つの接続が開いた。


 そして。


 別の声が聞こえた。


『聞こえますか?』


 青年が答える。


「聞こえる」


『私は北部の人間です』


 別の声。


『こちらは西側』


 さらに。


『こちらは南』


 そして。


『私たちは、あなたたちを探していました』


 青年は。


 何も言わなかった。


 無数の声が。


 地下施設に重なっていく。


 誰も。


 同じ目的ではない。


 誰かは未来を知りたい。


 誰かは未来と取引したい。


 誰かは自分の力を強くしたい。


 誰かは観測システムを破壊したい。


 誰かは利用したい。


 誰かは。


 ただ。


 自分たち以外にも同じ人間がいることを確かめたい。


 青年は。


 その声を聞きながら。


 ふと思った。


 自分は。


 ずっと。


 未来の人間と自分たちの時代を対比していた。


 しかし。


 本当は。


 自分たちの時代の中にも。


 すでに。


 いくつもの世界が存在していた。


 それぞれが。


 違う情報を持ち。


 違う目的を持ち。


 違う未来を想像している。


 青年は。


 通信装置に向かって言った。


「一つだけ確認したい」


 複数の声が静かになる。


「俺たちは」


 一拍。


「誰か一人のために集まる必要はない」


 返事は。


 すぐにはなかった。


 やがて。


 一人の声が答えた。


『そうだと思います』


 別の声。


『俺は、お前に従うつもりはない』


 さらに別の声。


『私も』


 直人が笑った。


「最初から仲間になってませんね」


 青年も。


 少しだけ笑った。


「その方がいい」


 地下施設の画面に。


 新しい表示が出た。


 ――同時代ネットワーク。


 ――接続数、増加中。


 そして。


 その数字を。


 未来の観測者たちも見ていた。


 これまで。


 未来の人間が見ていたのは。


 一つの時代だった。


 だが。


 その時代の人間たち自身が。


 互いを見始めた。


 観客は。


 もう未来だけにいるわけではなかった。

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