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観客のいない世界  作者: 亀


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第二十五章 戻らない観測者

 三か月の猶予。


 その数字が決まってから。


 未来の運営区画では、表面上の変化は少なかった。


 プロジェクトは継続している。


 予算も据え置き。


 人工的なイベントも追加されない。


 だが。


 別のところで。


 数字が動き始めていた。


「戻りません」


 別の管理者が報告した。


「何が?」


「流出した観測者です」


 画面には。


 複数のプロジェクトを行き来する観測者の履歴が表示されていた。


 以前なら。


 一度別のプロジェクトへ移動した観測者は。


 一定時間後に元へ戻ることが多かった。


 しかし。


 最近は戻らない。


「新しい観測者が入っているのでは?」


「それもあります」


「なら、総数は維持できている」


「はい」


「何が問題?」


 管理者は画面を拡大した。


「戻らない観測者の一部が」


 別の画面を表示する。


「新しい観測対象を追っています」


「誰?」


「固定された出演者ではありません」


 そこには。


 市場。


 学校。


 農村。


 工場。


 住宅。


 病院。


 食堂。


 様々な場所が映っていた。


「……またか」


 管理者が呟いた。


 最初は。


 一時的な流行だと思っていた。


 しかし。


 三か月が経っても。


 その傾向は消えなかった。


     *


 地上では。


 青年と直人が都市へ向かっていた。


 三日目の夕方。


 二人はようやく都市の入口に到着した。


 そこには。


 大量の人間がいた。


 商人。


 労働者。


 学生。


 兵士。


 旅行者。


 子供。


 老人。


 青年は足を止めた。


「大きいですね」


 直人が言う。


「ああ」


「どこから行きます?」


「分からない」


「ですよね」


 二人は歩き出した。


 その都市には。


 未来側が把握していない情報も多かった。


 誰が誰と会っているのか。


 どの企業が何を隠しているのか。


 どの組織が誰を探しているのか。


 そして。


 どこに未来との接続点があるのか。


 青年はまだ知らなかった。


 しかし。


 観測者の一部は。


 その都市を以前から見ていた。


 青年ではなく。


 都市そのものを。


     *


 都市の地下。


 古い通信施設。


 そこに。


 一人の男がいた。


 年齢は五十代。


 軍人でも。


 研究者でもない。


 ただの企業経営者だった。


 だが。


 彼は未来側との契約を持っていた。


「予定通りです」


 端末の向こうから声がする。


『都市側の準備は?』


「進んでいます」


『接続設備は?』


「問題ありません」


『人員は?』


「確保しています」


 男は窓の外を見た。


 都市の明かりが広がっている。


「しかし」


『何ですか?』


「最近、観測者が変わった」


『どのように?』


「私たちだけを見ていない」


 通信の向こうで。


 短い沈黙があった。


『それは問題ではありません』


「そうですか?」


『観測者の興味が移動することは珍しくありません』


「以前とは規模が違う」


『具体的には?』


 男は答えなかった。


「……まだ分からない」


『なら、予定を変更する必要はありません』


 通信が切れた。


 男は端末を見つめた。


「予定通り、か」


 その言葉に。


 彼自身が。


 少しだけ不安を覚えていることを。


 まだ認めていなかった。


     *


 青年たちは都市の中を歩いていた。


 突然。


 人混みの向こうから。


 一人の男が走ってきた。


「お前!」


 青年が振り向く。


「俺を知ってるのか?」


「知ってる」


 男は息を切らしていた。


「地下施設で会っただろ」


「……誰だ?」


「忘れたのか?」


 直人が青年を見る。


 青年は首を振った。


「覚えてない」


 男は苦笑した。


「まあ、そうだろうな」


「何が目的だ?」


「警告だ」


 男は声を低くした。


「この都市には、未来側と繋がっている奴らがいる」


 青年の表情が変わる。


「どこに?」


「それは分からない」


「じゃあ、何の警告だ?」


「今夜」


 男は言った。


「都市の一部が止まる」


 直人が聞く。


「文明終了?」


「違う」


 男は首を振る。


「もっと小さい」


「何が止まる?」


「通信」


「それだけ?」


「それだけじゃない」


 男は周囲を見た。


「誰かが、何かを探している」


「誰が?」


「分からない」


 青年は少し考えた。


「なら、俺たちは?」


「逃げた方がいい」


 男はそう言って。


 人混みの中へ消えた。


     *


 未来の観測画面。


 突然。


 複数の画面が同時に切り替わった。


 通信障害。


 都市内の一部区域。


 観測遅延。


 女性が画面を見る。


「これは予定にありましたか?」


 部下が確認する。


「ありません」


「現地側の処理?」


「不明です」


「運営側では?」


「介入記録なし」


 女性は立ち上がった。


 画面には。


 青年。


 直人。


 都市。


 そして。


 地下施設。


 複数の情報が同時に表示される。


「観測を止めないで」


「ですが、通信品質が――」


「最低限でいい」


「理由は?」


「何が起きているか分からないから」


 部下は少し驚いた。


 以前の彼女なら。


 原因を特定し。


 必要なら。


 イベントを調整した。


 しかし。


 今は。


 調整しない。


 見ている。


     *


 夜。


 都市の一部で。


 明かりが消えた。


 数秒。


 十秒。


 一分。


 通信も切れた。


 人々が外へ出る。


 店員が困惑する。


 車が止まる。


 子供が泣く。


 誰かが笑う。


 誰かが怒鳴る。


 誰かが。


 何もせずに空を見上げる。


 未来では。


 そのすべてが。


 同時に観測されていた。


 青年は道路の中央に立っていた。


 直人が聞く。


「どうします?」


 青年は周囲を見る。


「分からない」


「また?」


「ああ」


 そして。


 青年は歩き出した。


「とりあえず、明るいところへ行く」


 直人が続く。


「それだけ?」


「今はそれでいい」


 二人が歩く。


 その後ろで。


 一人の少女が転んだ。


 青年は立ち止まる。


 少女を起こす。


「大丈夫?」


「……はい」


「家は?」


「向こう」


「送る」


 直人が驚いた。


「都市の状況を調べなくていいんですか?」


「この子の家の方が先だ」


 未来の画面が。


 その場面を捉えた。


 戦闘ではない。


 謎の施設でもない。


 重要人物でもない。


 ただ。


 一人の少女を家へ送る。


 観測者が。


 増えた。


     *


 女性は。


 その数字を見た。


 そして。


 長い間。


 画面から目を離さなかった。


 プロジェクト開始当初。


 彼女が見ていたのは。


 「主人公」だった。


 次に。


 「出演者」だった。


 その後。


 「複数主体」になった。


 そして今。


 誰が中心なのか。


 もう分からない。


 いや。


 中心そのものが。


 必要なくなっている。


 女性は新しい報告書を開いた。


 そこには。


 この三か月間のデータが並んでいる。


 観測者数。


 継続率。


 平均観測時間。


 そして。


 予測誤差。


 予測誤差は。


 過去最大だった。


 普通なら。


 失敗と評価される。


 だが。


 観測者は。


 減っていない。


 むしろ。


 増えている。


 女性は静かに呟いた。


「……予測できないのに」


 画面の中では。


 少女が家へ帰っていく。


 青年と直人は。


 その背中を見送っている。


「……見続けている」


     *


 深夜。


 女性の端末に。


 別の通知が届いた。


 ――次回再評価まで、残り一日。


 その下に。


 もう一つ。


 新しい通知があった。


 ――複数プロジェクト管理者による共同審査申請。


 女性は画面を見た。


 共同審査。


 つまり。


 一つの管理者だけではなく。


 複数のプロジェクトが。


 このプロジェクトの継続について。


 意見を出す。


 彼女は通知を閉じた。


 そして。


 もう一度。


 地上の映像を見た。


 都市はまだ暗い。


 それでも。


 人々は動いている。


 誰かがろうそくを灯す。


 誰かが店を開ける。


 誰かが家族を探す。


 誰かが道を歩く。


 誰かが眠る。


 その全部が。


 誰かにとっての「見たいもの」になっていた。


 そして。


 明日。


 このプロジェクトが。


 もう一度。


 評価される。


 女性は画面を消した。


「……明日か」


 その声には。


 期待も。


 恐怖もなかった。


 ただ。


 仕事の前夜にするような。


 静かな確認だけが残った。

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