第二十四章 継続条件
「継続条件の再検討」。
その言葉が。
翌朝には、正式な議題として運営区画全体に共有されていた。
女性は通知を開いた。
――対象プロジェクト。
――現在の観測規模、全体の三十七パーセント。
――資源使用率、三十四パーセント。
――他プロジェクトへの観測者流出、継続中。
――新規観測対象、増加中。
――予測モデルとの乖離、拡大。
女性は最後の項目で指を止めた。
予測モデルとの乖離。
以前なら。
それは改善すべき問題だった。
今は。
必ずしもそうとは思わなかった。
「会議は何時?」
「午後です」
「資料は?」
「すでに送られています」
「分かった」
女性は画面を閉じた。
その時。
別の通知が入った。
――観測者の平均滞在時間、更新。
また記録を更新している。
彼女は小さく息を吐いた。
「……タイミングが悪いわね」
*
地上では。
青年たちの周囲でも。
少しずつ変化が起きていた。
町を出る準備をしていると。
一人の男が近づいてきた。
「話がある」
青年は警戒した。
「何?」
「俺は、以前、あの軍服の男のところにいた」
「……」
「でも、今は違う」
「なぜ?」
「分からない」
「それだけ?」
「正確には」
男は少し考えた。
「自分が何をしているのか分からなくなった」
直人が口を挟む。
「未来の人たちのせいですか?」
「それもある」
「他には?」
「俺たちが、未来から力をもらわなくても動けることに気づいた」
青年は男を見た。
「それで?」
「だから離れた」
「それだけ?」
「それだけだ」
男は笑った。
「別に、お前たちの味方になりたいわけじゃない」
「分かった」
「もし次に会ったら、敵になるかもしれない」
「その時に決めればいい」
青年はそう答えた。
男は少し驚いた顔をした。
そして。
「そうか」
それだけ言って去っていった。
直人がその背中を見送る。
「敵になるかもしれない人を、簡単に帰すんですね」
「今は敵じゃない」
「でも、次は?」
「分からない」
「またそれですか」
「分からないことは、分からないままでいい」
直人は苦笑した。
「それ、結構便利ですね」
「便利だから使ってる」
*
未来。
その一連の出来事も。
観測されていた。
新しく現れた男に興味を持つ者。
青年の反応を見る者。
直人を見る者。
黒服の男の次の行動を待つ者。
そして。
何も考えずに町の風景を眺める者。
観測者は。
もう一つの方向にはまとまらなかった。
女性はその分布を見ていた。
「以前より、ずいぶん散っていますね」
部下が言う。
「ええ」
「普通なら、人気が分散するとプロジェクト価値は下がります」
「普通ならね」
「今は違う?」
「まだ判断できない」
女性は画面を拡大した。
観測者が。
複数の人間を追いかけている。
しかし。
その結果として。
一人の出演者では知ることのできなかった情報が蓄積されていく。
この町には何があるのか。
人々はどう暮らしているのか。
どの人物が誰と関係しているのか。
何を恐れているのか。
何を欲しがっているのか。
何を知らないのか。
それらが。
少しずつ繋がっていく。
「……番組というより」
女性が呟く。
「記録に近くなっていますね」
部下が聞いた。
「問題ですか?」
「いいえ」
女性は答えた。
「ただ、最初に想定していたものとは違う」
*
午後。
継続条件の会議が始まった。
今回は前回よりも人数が多かった。
「現在のプロジェクトは、規模が大きすぎます」
最初の管理者が言った。
「観測者数だけを見れば成功しています。しかし、資源効率は悪化している」
「資源効率だけなら改善できます」
女性が答えた。
「どうやって?」
「介入をさらに減らす」
「それでは観測者が減る可能性があります」
「増える可能性もあります」
「可能性で予算を決めるのですか?」
「今の数字自体が、すでに予測外です」
会議室が静かになった。
別の管理者が口を開く。
「つまり、あなたは予測できないから続けたいと?」
「違います」
「では?」
「予測できない状態そのものが、現在の観測価値に関係している可能性がある」
「それを証明できますか?」
「まだできません」
「なら、事業として危険です」
「その通りです」
女性は否定しなかった。
「だから、全部を賭ける必要はありません」
「具体的には?」
「現在の予算を維持する」
「削減しない?」
「増額もしない」
議長が聞いた。
「現状維持?」
「はい」
「しかし、観測対象が増え続ければ、コストも増える」
「その場合は、観測品質を落とすのではなく、介入をさらに減らします」
「つまり?」
「運営側が管理する部分を減らす」
何人かが顔を見合わせた。
「それで番組を維持できると?」
「分かりません」
また同じ言葉だった。
だが。
今度は誰も笑わなかった。
「ただ」
女性は続けた。
「今まで私たちは、価値を維持するために、何かを追加してきました」
敵。
事件。
情報。
危機。
対立。
「このプロジェクトでは、それを追加しない方が数字が伸びている」
画面にデータが表示された。
人工的なイベント。
観測時間。
継続率。
比較すると。
介入を減らした期間の方が。
長期観測率が高い。
「だから私は」
女性は言った。
「減らすことも運営の一つだと考えています」
*
会議が終わった。
正式決定は。
暫定継続。
予算据え置き。
人工的イベントの追加を原則停止。
そして。
三か月後の再評価。
女性は会議室を出た。
勝ったわけではない。
むしろ。
次の三か月で結果が出なければ。
状況はさらに厳しくなる。
廊下を歩いていると。
別の管理者が声をかけた。
「あなたは、本当にあのプロジェクトを信用しているんですね」
「信用?」
「未来が予測できないことを」
女性は少し考えた。
「信用しているわけではありません」
「では?」
「観察しています」
「自分のプロジェクトを?」
「ええ」
彼女はそう答えて。
管理室へ戻った。
*
その頃。
青年たちは町を離れていた。
前方に古い道路が続いている。
直人が地図を見る。
「この先に、大きな都市があります」
「どのくらい?」
「三日くらい」
「じゃあ、そこへ行こう」
歩き始める。
しばらくして。
青年が後ろを振り返った。
町が小さく見える。
そこには。
昨日話した老人も。
市場の人々も。
食堂の店主も。
名前を知らない少女も。
まだ暮らしている。
青年は。
少しだけ立ち止まった。
「どうしました?」
直人が聞く。
「いや」
「戻ります?」
「戻らない」
「じゃあ?」
「……覚えておこうと思った」
直人は何も言わなかった。
未来では。
その数秒間を。
何万人もの人間が見ていた。
その中の一人が。
初めて気づいた。
「この番組には」
その人間は呟いた。
「終わらせたくない時間がある」
別の観測者が答える。
「でも、番組には終了条件があるだろ」
「知ってる」
「なら?」
「だから、今のうちに見ておきたい」
*
同じ頃。
女性の端末に。
一通の内部通知が届いた。
――プロジェクト継続承認。
ただし。
その下に。
小さな注記があった。
――次回再評価において、継続基準を満たさない場合、終了候補として審査。
女性はその文章をしばらく見つめた。
そして。
画面を閉じた。
まだ終わっていない。
だから。
今は仕事を続ける。
それだけだった。




