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観客のいない世界  作者: 亀


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第二十三章 維持できない数字

 翌週。


 未来の運営区画では、予算再配分の通知が正式に発行された。


 女性の担当するプロジェクトは、依然として高い数字を維持している。


 観測者数。


 平均観測時間。


 継続率。


 新規参加率。


 どれも高い。


 問題は。


 その数字を維持するために必要な資源だった。


「先月より、観測帯域が十八パーセント増えています」


 部下が報告する。


「原因は?」


「観測対象の増加です」


「対象が増えたから?」


「それだけではありません」


 画面が切り替わる。


 そこには。


 青年。


 黒服の男。


 軍服の男。


 直人。


 市場の人々。


 食堂。


 学校。


 農村。


 住宅街。


 そして。


 名前のない少女。


「観測対象が増えるほど、必要な処理量も増えます」


「当然ね」


「ですが、観測者一人あたりの消費量も増えています」


 女性は眉を動かした。


「どうして?」


「複数対象を同時に見る人が増えています」


 つまり。


 一人の観測者が。


 青年だけを見るのではない。


 青年を見ながら。


 黒服の男を見る。


 その後。


 軍服の男を見る。


 さらに。


 一般人の生活を見る。


 複数の視点を行き来する。


 そのたびに。


 運営側には処理が発生する。


「以前の予測モデルでは」


 部下が言った。


「観測者は一つの番組に集中する前提でした」


「今は違う」


「はい」


「だから予算が合わない」


「そういうことです」


 女性は画面を見た。


 観測者が増えている。


 価値も増えている。


 しかし。


 コストも増えている。


 単純な成功ではなかった。


     *


 会議室。


 今度は。


 女性も呼ばれていた。


 中央画面には。


 複数のプロジェクトが並んでいる。


「現在の問題は、特定プロジェクトへの資源集中です」


 議長が言った。


「以前も聞きました」


「今回は数字が変わりました」


 画面が切り替わる。


 女性のプロジェクトの資源使用率。


 ――三十二パーセント。


 会議室が静かになる。


「全プロジェクトの三分の一近くです」


「それだけ観測者がいるということです」


 女性は答えた。


「同時に、維持コストも高い」


「はい」


「それでも観測者は増えています」


「だから問題なんです」


 別の管理者が口を開いた。


「このままでは、他のプロジェクトの更新が難しくなる」


「停止するのですか?」


「まだ決めていません」


「では?」


「上限を設定する案があります」


 女性は画面を見た。


「観測者が増えても、一定以上は資源を与えない?」


「はい」


「超過分は?」


「待機処理」


「観測品質は落ちます」


「一時的なら」


「観測者が離れる可能性があります」


「それも承知しています」


 女性は黙った。


 これは。


 数字の問題だった。


 誰かが悪いわけではない。


 資源には限りがある。


 他のプロジェクトにも契約がある。


 スタッフもいる。


 設備もある。


 過去の投資もある。


 一つのプロジェクトだけに。


 無制限に資源を与えることはできない。


「私は反対します」


 女性が言った。


 数人が彼女を見る。


「理由は?」


「上限を設定すること自体ではありません」


「では?」


「何を基準に上限を決めるのかが曖昧です」


「資源量です」


「なぜその量?」


「全体最適です」


「全体最適という言葉では、判断できません」


 女性は資料を開いた。


「このプロジェクトが資源を使うことで、別のプロジェクトの価値が下がっている」


「はい」


「しかし、そのプロジェクトを維持するために資源を戻した場合、観測者が戻る保証はない」


「……」


「つまり」


 女性は言った。


「現在の資源配分を変えること自体が、新しい市場を作る可能性があります」


 議長が聞く。


「では、どうするべきだと?」


「分かりません」


 女性は即答した。


 何人かが顔をしかめた。


「分からない?」


「はい」


「責任者として?」


「責任者だからです」


 女性は続けた。


「分からないことを分かったふりして決めるより、分からない部分を残したまま試す方がいい」


「試す?」


「段階的に資源を調整する」


「結果を見る」


「はい」


 議長はしばらく考えた。


「三十日」


「短いです」


「では六十日」


「それなら可能です」


 暫定案が作られた。


 完全な勝利でも。


 完全な敗北でもない。


 ただ。


 時間を買っただけだった。


     *


 地上では。


 青年たちにも。


 別の変化が起きていた。


 町の外れに。


 軍服の男が現れた。


 青年は足を止める。


「久しぶりだな」


「何か用か?」


 軍服の男は青年を見る。


「一つ聞きたい」


「何を?」


「お前は、これからどうする?」


 青年は少し考えた。


「分からない」


 軍服の男が笑う。


「相変わらずだな」


「お前は?」


「俺も分からない」


 直人が二人を見る。


「それでいいんですか?」


 軍服の男は直人を見る。


「いいかどうかは知らない」


「じゃあ、何のために聞いたんです?」


「確認したかっただけだ」


「何を?」


「まだ、自分で決めているか」


 青年は黙った。


 軍服の男は続けた。


「最近、俺の周りでも変なことが増えた」


「何が?」


「俺たちを見ている連中が、俺たち以外も見ている」


「それは前からだろ」


「規模が違う」


 軍服の男は空を見上げた。


「俺の部下より、町の人間を見ている奴までいる」


「それで?」


「それが気に入らない奴もいる」


「観測者が?」


「違う」


 軍服の男は青年を見る。


「こっちの人間だ」


     *


 その夜。


 軍服の男の部下たちの間で。


 小さな議論が起きていた。


「支援が減っている」


「だから何だ」


「戦力が落ちる」


「支援に頼りすぎだ」


「では、どうする?」


「自分たちでやる」


「未来からの情報は?」


「必要なら使う」


「それでは以前と同じでは?」


「違う」


 一人の男が言った。


「以前は、未来側が俺たちを必要としていた」


「今は?」


「俺たちが未来側を利用している」


「本当にそうか?」


 誰も答えなかった。


 その沈黙の中で。


 一人だけが。


 古い端末を閉じた。


「俺は抜ける」


「どこへ?」


「知らない」


「裏切るのか?」


「違う」


 男は答えた。


「自分の仕事をする」


 それだけだった。


 誰も止めなかった。


     *


 未来。


 女性の画面に。


 一つの通知が届いた。


 ――現地協力者、一名離脱。


 彼女は確認した。


「誰?」


「軍服側の協力者です」


「重要度は?」


「中程度」


「処理は?」


「監視継続」


「それだけ?」


「はい」


 女性は頷いた。


 引き戻す必要はない。


 脅す必要もない。


 契約が切れたなら。


 別の選択をする人間もいる。


 その選択自体が。


 この時代の一部だった。


「記録して」


「はい」


 画面に一行追加された。


 ――協力関係、自然解消。


 その文字を見ながら。


 女性は少しだけ考えた。


 プロジェクトが大きくなるほど。


 登場する人間も増える。


 人間が増えるほど。


 それぞれの目的も増える。


 そして。


 目的が増えるほど。


 予定通りに進まなくなる。


 それは。


 管理者にとって。


 面倒なことだった。


 同時に。


 今までになかった価値でもあった。


     *


 深夜。


 青年は一人で外に出た。


 空には星が見える。


 以前なら。


 こういう時間にも。


 何かが起きることを期待していた。


 敵が来る。


 機械が現れる。


 新しい情報が届く。


 未来から支援が来る。


 だが。


 何も起きなかった。


 ただ。


 風が吹いていた。


 青年は空を見上げた。


 そして。


 未来では。


 その姿を見ていた人間がいた。


 一人。


 二人。


 百人。


 千人。


 彼らは。


 何かが起きるのを待っていた。


 しかし。


 何も起きなかった。


 それでも。


 誰も画面を閉じなかった。


 その時。


 運営システムに。


 新しい統計が表示された。


 ――無事件時間帯の継続観測率。


 過去最高。


 女性はその数字を見た。


 しばらく。


 何も言わなかった。


 そして。


 小さく呟いた。


「……これも、価値なのね」


 ただし。


 その価値を。


 すべての管理者が認めたわけではなかった。


 同じ数字を見ながら。


 別の管理者は。


 別の結論を出していた。


「このプロジェクトは」


 彼は言った。


「もう大きすぎる」


 画面の端に。


 次回会議の議題が表示された。


 ――特定プロジェクトへの資源集中問題。


 ――継続条件の再検討。


 ――プロジェクト規模の適正化。


 まだ。


 「終了」という文字はなかった。


 しかし。


 それに近い言葉が。


 少しずつ。


 会議資料の中に増え始めていた。

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