第二十二章 増えすぎた出演者
翌朝。
未来の運営区画では、通常の始業時間より早くから警告音が鳴っていた。
女性が管理室に入ると、中央画面には赤い表示が出ていた。
――観測対象数、急増。
――主要出演者、判定不能。
――プロジェクト境界、曖昧化。
「昨夜からです」
部下が説明した。
「何が起きた?」
「新規観測対象が増えています」
「何人?」
「現在、三百八十七人」
女性は画面を見る。
その数字は、数秒ごとに変化していた。
三百八十八。
三百九十一。
三百九十七。
「主要出演者は?」
「再判定中です」
「昨日までの主要四人は?」
「全員、観測者を維持しています」
「では問題ないでしょう」
「そう単純ではありません」
部下が別の画面を開いた。
そこには観測者の移動経路が表示されている。
青年から黒服の男へ。
黒服の男から軍服の男へ。
軍服の男から直人へ。
そして。
直人から名前のない住民へ。
さらに。
住民から別の住民へ。
「観測者が出演者を選ぶだけではなくなっています」
「どういうこと?」
「出演者同士の関係そのものを見始めています」
女性は画面を拡大した。
そこには。
一軒の食堂が映っていた。
青年が食事をしている。
隣の席には直人。
少し離れた席には、昨日市場で見かけた老人。
店の奥では店主が働いている。
誰か一人を中心にした画面ではない。
それでも。
観測者は増えていた。
「……なるほど」
女性が呟く。
「番組が広がっている」
「はい」
「では、観測対象を制限しましょう」
部下が振り向いた。
「制限するんですか?」
「しない」
女性は答えた。
「今のは確認しただけ」
*
食堂では。
青年が箸を止めた。
「どうしたんです?」
直人が聞く。
「いや」
「何か?」
「……分からない」
青年は店内を見回した。
何も変わっていない。
客が食事をしている。
店主が注文を聞いている。
外では車が通っている。
それだけだ。
「何か変な感じがします」
直人が言った。
「お前も?」
「はい」
「何が?」
「見られている感じが、前より弱い」
青年は直人を見る。
「弱い?」
「前は、俺たちを見ている感じでした」
直人は店内を見た。
「今は……ここを見ている」
青年は黙った。
その言葉を。
未来の何千人もの観測者が聞いていた。
*
同じ頃。
黒服の男は古い通信施設を離れていた。
手には小さな端末がある。
彼はそれを何度も確認していた。
「まだ繋がっている」
端末には。
一つの接続先が表示されている。
未来。
黒服の男は笑わなかった。
以前なら。
未来との接続は力だった。
情報。
武器。
支援。
予測。
使えるものは多い。
しかし。
今の彼には別の問題があった。
未来側からの支援が。
以前ほど安定していない。
彼が強くなれば増えるとは限らない。
戦えば増えるとも限らない。
何もしない時間に増えることすらある。
「……こいつは困るな」
彼は端末を閉じた。
自分が何をすれば支援されるのか。
分からなくなってきたからだ。
だが。
その不確実さを。
彼は嫌いではなかった。
「少なくとも、誰かの命令ではない」
そう呟いた。
そして。
その言葉を聞いた観測者の一部が。
彼への興味を強めた。
*
軍服の男にも。
変化が起きていた。
「隊長」
「何だ」
「北側の観測者が減っています」
「どのくらい?」
「三割ほど」
軍服の男は地図から目を離さなかった。
「理由は?」
「分かりません」
「青年側か?」
「一部はそうです」
「残りは?」
「一般人の生活を見ています」
軍服の男は初めて顔を上げた。
「一般人?」
「市場、学校、食堂、農村……そういう場所です」
「戦闘ではなく?」
「はい」
軍服の男はしばらく黙った。
「なら、無理に取り戻すな」
「ですが、支援が減れば――」
「支援だけで戦争はできない」
部下は黙った。
軍服の男は地図を指した。
「今は自分たちの目的を優先する」
「観測者は?」
「必要なら使う」
「追わない?」
「追ってどうする?」
軍服の男は答えた。
「見たい奴は見ればいい」
*
未来の管理室。
女性はその報告を見ていた。
軍服の男の観測者は減っている。
だが。
本人の行動は変わっていない。
青年も。
黒服の男も。
直人も。
以前ほど観測者の数を意識していない。
それでも。
観測者は増え続けている。
「支援と観測の関係が弱くなっています」
部下が言った。
「そうね」
「これまでなら、観測者が増えれば支援も増えました」
「今は違う」
「観測者が増えても、支援しない人が増えています」
女性は頷いた。
「観客でいたい人もいる」
「はい」
「ただ見る」
「はい」
「応援したい人もいる」
「はい」
「介入したい人もいる」
「はい」
「直接触れたい人もいる」
女性は画面を見た。
「同じ観測者という言葉でまとめる方が、もう無理なのかもしれない」
部下は記録を取った。
「分類を変えますか?」
「まだいい」
「なぜ?」
「分類すると、分類した側がそれを管理したくなるから」
部下が少し考える。
「……それは問題ですか?」
「場合による」
女性は答えた。
「管理できることと、管理した方がいいことは違う」
それ以上は説明しなかった。
*
その日の夕方。
青年たちは食堂を出た。
直人が言う。
「次はどうします?」
「南へ行く」
「昨日もそう言っていました」
「じゃあ南だ」
「分かりました」
二人は歩き出した。
しかし。
数十メートル進んだところで。
一人の少女が道端に立っていた。
「すみません」
青年が足を止める。
「何?」
「少し聞きたいことがあるんです」
少女は青年を見た。
「あなたたち、どこから来たんですか?」
青年は答えに迷った。
「遠いところ」
「どこ?」
「説明しにくい」
少女は少し笑った。
「変な人」
それだけ言って。
彼女は走っていった。
直人が笑う。
「普通ですね」
「何が?」
「こういう会話」
青年は少女の背中を見た。
その瞬間。
未来の画面に。
少女の姿が大きく映った。
観測対象として登録されていない。
名前もない。
支援値もない。
何の特殊能力もない。
ただ。
道端で二人に声をかけただけ。
それでも。
観測者が増えた。
女性の画面にも。
その通知が届く。
――新規観測対象。
――登録しますか?
彼女はしばらく画面を見た。
そして。
登録しなかった。
「そのままでいい」
「登録しないんですか?」
「今は」
「理由は?」
「彼女が何をするのか、まだ分からないから」
「だから?」
「分からないまま見ている人がいるなら」
女性は画面を閉じた。
「そのままでいい」
*
夜。
運営区画の別の会議室では。
別の管理者たちが資料を見ていた。
「このままでは、あのプロジェクトに観測者が集まりすぎる」
「資源配分もです」
「他のプロジェクトの維持が難しくなる」
「では、介入を増やすべきでは?」
「刺激を追加する?」
「新しい出演者を投入する」
「それなら観測者は戻るかもしれません」
複数の案が出た。
女性はその会議には呼ばれていなかった。
しかし。
彼女のプロジェクトについて。
すでに別の人間たちが。
どう扱うかを話し始めていた。
それはまだ。
終了命令ではない。
敵意でもない。
ただ。
有限の資源を。
どこに置くかという問題だった。
そして。
その問題は。
いずれ。
彼女自身のプロジェクトを。
選択肢の一つに変えていくことになる。
画面の中では。
青年たちが眠っている。
町の人々も眠っている。
少女も。
黒服の男も。
軍服の男も。
それぞれの場所で。
明日を迎える準備をしていた。
未来では。
まだ多くの人間が。
その明日を見ようとしていた。
だが。
すべての人間が。
それを歓迎しているわけではなかった。




