第二十一章 集中する視線
その週の終わり。
未来の管理区画に、再び会議通知が届いた。
議題は前回と同じだった。
――特定プロジェクトへの観測資源集中。
しかし。
今回は、参加する管理者の数が増えていた。
女性が会議室に入ると、すでに十数人が席についていた。
中央画面には、各プロジェクトの比較データが表示されている。
彼女の担当するプロジェクトは。
また順位を上げていた。
「先週より、さらに集中しています」
管理者の一人が言った。
「観測者数だけではありません」
別の管理者が続ける。
「平均観測時間も伸びています」
「長期観測希望率も」
「直接体験申請も増えています」
画面に数字が並んだ。
そして。
最後に。
――総合観測資源消費率。
その数字も上がっていた。
「問題はここです」
最初の管理者が言った。
「このプロジェクトは、観測者を集めるだけではなく、他のプロジェクトの資源まで吸収し始めています」
女性は画面を見た。
「資源を吸収しているのではありません」
「同じことです」
「違います」
「何が違う?」
「観測者が選んで移動している」
「結果として資源が移動している」
「はい」
「なら、同じでしょう」
女性は少し考えた。
「結果は同じです」
「なら――」
「原因は違います」
会議室が静かになった。
女性は続けた。
「私たちが資源を動かしたわけではありません」
「観測者が動いた」
「はい」
「だから何だ?」
「この差は大きいと思います」
「なぜ?」
「もし運営側が資源を動かして数字を作ったのなら、元に戻せば数字も戻ります」
「しかし?」
「今回は、観測者自身が移動しています」
画面には。
複数のプロジェクトを行き来する観測者のデータが表示された。
「つまり、需要が変わっている可能性があります」
「可能性に過ぎない」
「そうです」
女性は否定しなかった。
「だから調べています」
別の管理者が口を開いた。
「あなたは、このプロジェクトを守りたいだけでは?」
女性はその人物を見た。
「もちろん守りたいです」
意外な答えだった。
「私はこのプロジェクトの責任者です」
女性は続けた。
「数字が落ちれば、私の評価も落ちます。チームの予算も減ります。だから成功させたい」
「では、認めるのですね」
「最初から隠していません」
会議室の空気が少し変わった。
彼女は続ける。
「でも、だからといって、他のプロジェクトを潰したいわけではありません」
「なぜ?」
「私のプロジェクトが永遠に最大だとは限らないからです」
誰も反論しなかった。
「明日、別のプロジェクトがもっと大きくなるかもしれない」
「……」
「その時に、私は同じ理由で資源を奪われる側になる」
女性は画面を見た。
「だから、ルールそのものを考えた方がいい」
その言葉に。
数人の管理者が互いに顔を見合わせた。
会議は長引いた。
だが。
結論は出なかった。
最後に決まったのは。
現在の資源配分を維持すること。
そして。
三十日後に再評価することだった。
*
同じ頃。
地上では。
青年と直人が町に入っていた。
小さな市場がある。
人々が野菜を並べている。
魚を売っている。
子供たちが走っている。
青年は足を止めた。
「何か買います?」
直人が聞く。
「必要なものだけ」
「じゃあ、これ」
直人が果物を手に取る。
「それ、高いぞ」
「そうなんですか?」
「隣を見ろ」
別の店では。
同じ果物が少し安く売られていた。
直人はそちらへ向かった。
青年は笑った。
未来の画面では。
その場面を見ている観測者がいた。
戦闘もない。
危機もない。
重要な情報もない。
ただ。
二人が買い物をしている。
それでも。
観測者は離れなかった。
むしろ。
少しずつ増えていた。
「どうして?」
ある観測者が書き込んだ。
「何が起きるか分からないから?」
別の人間が答えた。
「違う」
「じゃあ?」
「何も起きないかもしれないから」
その返答に。
しばらく反応はなかった。
やがて。
一人が書き込んだ。
「それでも見たい」
*
青年たちは市場を出た。
その先に二つの道がある。
一方は大通り。
もう一方は住宅街。
「どっち?」
直人が聞く。
「住宅街」
「理由は?」
「人がいるから」
「人がいると何か分かる?」
「分からない」
直人は笑った。
「じゃあ、行きましょう」
二人は住宅街へ入った。
そこでは。
誰かが洗濯物を干していた。
誰かが庭を掃除している。
子供が学校から帰ってくる。
犬が吠える。
老人が椅子に座っている。
未来の観測者は。
その一つ一つを見ていた。
その中には。
これまで戦闘シーンだけを見ていた人間もいた。
彼らは。
最初は退屈だと思っていた。
しかし。
しばらくすると。
画面を閉じなくなった。
*
管理室。
「普通生活部分の観測時間が伸びています」
部下が報告した。
女性は画面を見た。
「どのくらい?」
「戦闘シーンとほぼ同じ水準になりつつあります」
「それは……」
女性は少し黙った。
「予測モデルを更新して」
「はい」
「普通生活の観測価値を独立項目に」
「分かりました」
部下が入力する。
新しい項目が追加された。
――日常観測価値。
女性はその文字を見た。
以前なら。
そんな項目は必要なかった。
日常は。
物語ではない。
事件が起きなければ。
数字にならない。
そう考えられていた。
しかし。
現実には。
事件のない時間にも。
観測者がいる。
そして。
その観測者は。
少しずつ増えている。
*
その夜。
青年は住宅街の外れで一人の老人と話していた。
「最近、この辺りは物騒でね」
「何かあったんですか?」
「よく分からない」
「分からない?」
「停電したり、変な機械を見たって人もいる」
青年は黙って聞いた。
「でも」
老人が笑う。
「明日になれば、また仕事だ」
「怖くないんですか?」
「怖いよ」
老人は答えた。
「だから寝るんだ」
青年は少し笑った。
「それでいいんですか?」
「他に何ができる?」
老人は家の中へ戻っていった。
青年はその背中を見ていた。
未来の画面にも。
その姿が映っていた。
ある観測者が書いた。
――「この人の明日も見たい」
別の観測者。
――「俺も」
さらに。
――「あの老人が何者なのか知りたい」
誰かが答えた。
――「たぶん、普通の人だよ」
その返事に。
最初の観測者が書いた。
――「だから見たい」
*
女性はそのコメントを読んでいた。
そして。
初めて。
このプロジェクトの規模を別の角度から理解し始めた。
最初は青年だった。
次に黒服の男。
軍服の男。
直人。
そして。
今では。
名前すら知らない老人まで。
観測対象になっている。
つまり。
人々が見ているのは。
一人の人生ではない。
この時代そのものだった。
女性は画面を見ながら。
小さく呟いた。
「……最大の番組、か」
それは。
最初から作ろうとしたものではなかった。
誰か一人を中心にしたわけでもない。
巨大な事件を連続させたわけでもない。
ただ。
人々がそれぞれの生活を続けている。
その中から。
観測者が自分で見る対象を選び始めた。
女性は新しい報告書を開いた。
タイトルには。
こう書かれていた。
――プロジェクト規模、過去最大。
しかし。
彼女はその下に。
新しい注記を追加した。
――中心人物、特定不能。
そして。
そのことを。
問題だとは思わなかった。




