第二十章 選ばれる人々
複数主体観測モデルが導入されてから、二週間。
未来の管理室では、以前とは違う画面が使われるようになっていた。
一つの画面に、一人の出演者。
そんな表示ではない。
複数の画面が並び、それぞれが異なる人物を映している。
青年。
黒服の男。
軍服の男。
直人。
そして。
名前すらまだ登録されていない人間たち。
「観測者の移動がさらに増えています」
部下が報告した。
「どこからどこへ?」
「固定されていません」
「つまり?」
「青年を見ていた人が軍服の男へ移動することもあります。軍服の男を見ていた人が直人を見ることもある」
「逆も?」
「あります」
女性は画面を見た。
そこには一つの奇妙な現象が起きていた。
観測者が。
出演者の間を移動している。
以前なら。
観測者が離れれば、その出演者の価値が下がると判断していた。
今は違う。
ある人物から離れた観測者が。
別の人物を見始める。
その結果。
プロジェクト全体の観測時間は増えている。
「単純な奪い合いではありません」
女性が言った。
「はい」
「一つの番組の中で、観測対象を変えている」
「そのようです」
「面白いですね」
部下が笑った。
「以前なら、観測者を一つの画面に集めようとしていました」
「今は?」
「集める必要がない」
女性は答えた。
「選ばせればいい」
*
地上では。
青年たちが別れていた。
黒服の男は東へ。
軍服の男は北へ。
直人は青年と一緒に南へ。
それぞれ違う理由がある。
黒服の男は、自分が必要としている情報を探していた。
軍服の男は、自分の勢力を維持するために動いている。
直人は。
ただ青年についてきていた。
「本当に南でいいんですか?」
直人が聞いた。
「分からない」
「またそれですか」
「お前はどうしたい?」
直人は少し考えた。
「分かりません」
「じゃあ、同じだな」
二人は歩いた。
しばらくして。
直人が聞いた。
「あなたは、未来の人たちのことをどう思います?」
青年は答えなかった。
「嫌いですか?」
「分からない」
「怒ってない?」
「怒ってる」
「でも?」
「見ていることそのものを止めたいわけじゃない」
直人は黙った。
「俺が嫌なのは」
青年が続けた。
「俺の選択まで決められることだ」
それだけだった。
直人は何も言わなかった。
未来の観測者の一部が、その会話を聞いていた。
そして。
ある観測者が画面を閉じた。
別の人物の画面を開く。
軍服の男。
彼は部下と話していた。
「西側の部隊を移動させる」
「理由は?」
「情報が入った」
「どこから?」
軍服の男は答えなかった。
その沈黙に。
観測者は興味を持った。
彼が何を知っているのか。
何を隠しているのか。
その結果。
軍服の男への観測者が増えた。
*
さらに別の場所。
黒服の男は一人で建物に入っていた。
そこには古い通信設備が残っている。
「まだ使えるか」
彼は装置を調べた。
画面に一つの文字が浮かぶ。
――未来接続。
黒服の男は笑った。
「やっぱり残っていたか」
その瞬間。
彼の観測者数が増えた。
彼を見ていた人間が。
何かが起きると予想した。
しかし。
黒服の男は装置をすぐには使わなかった。
電源を切った。
「今はまだ早い」
未来では。
何十万人もの人間がその行動を見ていた。
そして。
疑問が生まれた。
なぜ使わない?
何を待っている?
誰を警戒している?
それだけで。
彼の観測価値は上がった。
*
女性はそのデータを見ていた。
「面白いですね」
部下が言う。
「何が?」
「行動した時より、行動しなかった時の方が観測時間が長い場合があります」
「ありますね」
「以前のモデルでは考えにくかった」
「以前は、行動させることを優先していましたから」
「今は?」
「選択を残す」
女性は画面を切り替えた。
黒服の男。
軍服の男。
青年。
直人。
それぞれが違う方向へ進んでいる。
「全員を同じ場所に集めた方が、物語としては分かりやすい」
「はい」
「でも、観測者はそれを望んでいない」
「そう見えます」
「なら、集めない」
女性は操作を終えた。
「次のイベント配置は?」
「三件あります」
「全部?」
「中止しますか?」
「いいえ」
女性は一つだけ選んだ。
「これは残す」
「理由は?」
「自然に起きる可能性が高いから」
「他の二つは?」
「人為的すぎる」
部下が確認する。
「つまり、偶然を優先する?」
「偶然を作るのではなく」
女性は答えた。
「偶然が起きる余地を残す」
その言葉は。
まだ正式な方針にはなっていなかった。
しかし。
彼女の仕事の中では。
少しずつ重要になっていた。
*
夜。
青年と直人は小さな山道を歩いていた。
遠くに明かりが見える。
「町がある」
直人が言った。
「行ってみるか」
二人は歩き出した。
しかし。
途中で。
別の道を見つけた。
一方は町へ続いている。
もう一方は山の中へ続いている。
直人が聞く。
「どっちにします?」
青年は地図を見た。
「町」
「理由は?」
「食べ物がある」
「なるほど」
二人は町へ向かった。
ただ。
未来では。
その選択を見ていた人間たちがいた。
山へ行ってほしかった者。
町へ行ってほしかった者。
どちらでもいい者。
結果だけ知りたい者。
そして。
その選択そのものを見たい者。
意見は一致しなかった。
しかし。
それは以前ほど問題ではなくなっていた。
未来の人間たちは。
少しずつ。
「同じものを見たい」という必要から離れ始めていた。
*
その頃。
別の管理室では。
一人のプロジェクト管理者が画面を閉じた。
「観測者が戻ってきません」
部下が言った。
「どこへ?」
「彼女のプロジェクトです」
「また?」
「はい」
管理者は黙った。
そのプロジェクトには。
以前から固定された人気者がいた。
強い。
派手。
予測しやすい。
視聴率も安定している。
だが。
最近。
観測者が減っている。
理由は分かっている。
未来の人間たちは。
刺激だけではなく。
「次に何が起きるか分からないもの」を求め始めていた。
管理者は報告書を開いた。
――観測者流出。
――収益低下。
――継続予算への影響。
その下に。
別の一文があった。
――「競合プロジェクトによる観測資源の吸収が原因と推定」。
管理者はその文を見た。
そして。
静かに画面を閉じた。
「競合、か」
それは。
誰かが悪いという話ではなかった。
観測者には時間が限られている。
資源にも限りがある。
なら。
選ばれ続けるプロジェクトがある一方で。
選ばれなくなるプロジェクトも出てくる。
*
夜が深くなった。
女性は一人で管理室に残っていた。
画面には。
青年たちの世界。
黒服の男。
軍服の男。
直人。
そして。
名前もない人々。
彼女はその映像を見ながら。
新しい報告書を開いた。
タイトルは。
――「プロジェクト価値再評価」。
そこには。
これまで使ってきた評価項目が並んでいる。
視聴者数。
収益。
継続率。
支援。
話題性。
予測可能性。
彼女は最後の項目を見た。
そして。
削除した。
代わりに。
一つの項目を追加した。
――選択の自由度。
部下が翌朝それを見つけた。
「この項目、どうやって測るんですか?」
女性は答えた。
「まだ分からない」
「測れないものを項目にするんですか?」
「だから、測り方を考える」
部下は苦笑した。
「難しいですね」
「そうね」
女性は画面の中の人間たちを見た。
彼らは。
誰かに用意された道を歩いているわけではない。
少なくとも。
今は。
何を選ぶのか。
どこへ行くのか。
誰と協力するのか。
誰と敵対するのか。
それぞれが決めている。
そして。
その選択が。
未来の人間たちに見られている。
女性は最後に一つだけ記録した。
――観測価値とは、結果だけではなく、選択が生まれる過程にも存在する。
それが。
新しい評価モデルの最初の一行になった。




