第236章 招待状
レイヴンが次の仕事を探し始めたのは、延長参加が承認された翌日のことだった。
彼は、紹介を受けた仕事の一覧を端末で確認していた。
倉庫の仕事は、もう少し続けることができる。
条件も悪くない。
ただ、同じ場所に留まり続けても、自分が知りたいことを知れるとは限らなかった。
彼がここへ来た目的は、単に現地で働くことではない。
競合プラットフォームから与えられた課題は、表向きには現地環境への適応と、参加者との協力関係の構築だった。
しかし、レイヴン自身には、別の目標があった。
この時代で、どこまで自分の判断で動けるのか。
そして、自分が持ち込んだ技術が、どこまで通用するのか。
それを確かめたかった。
彼は、端末に届いていた新しい募集を開いた。
《都市間競技会・運営補助員募集》
競技会は、数日後に開催される予定だった。
複数の地区から参加者が集まり、制限時間内に課題を達成する形式らしい。競技には身体能力だけでなく、地形の把握、判断速度、仲間との連携も求められる。
レイヴンは、募集要項を最後まで読んだ。
運営補助員であれば、競技区域の一部に立ち入り、進行状況を観察できる。
参加者として登録することも可能だったが、その場合は競技規則に従い、与えられた条件の中で行動しなければならない。
彼は少し考えた。
観察するだけなら、得られる情報には限界がある。
自分で参加すれば、現地の人間が何を見て、何を判断し、どこで迷うのかを、より具体的に知ることができる。
レイヴンは、参加者として申し込んだ。
*
競技会の開催が近づくにつれ、街の雰囲気も変わっていった。
普段は仕事や買い物で人が行き交う広場に、仮設の案内板が設置された。
競技区域を示す地図が掲示され、参加者向けの説明会も開かれた。
主人公がその広場を通りかかったのは、仕事帰りだった。
右手の負担を避けながら歩いていると、広場の一角に人だかりができているのが見えた。
中央には、複数の障害物を配置した模擬区域があった。
高低差のある通路。
途中で分岐する道。
一定時間ごとに通行可能な方向が変わる仕掛け。
そして、区域の外側には、参加者の動きを記録する装置が並んでいた。
主人公は、少し離れた場所から眺めた。
誰かが障害物を越えた。
別の参加者は、分岐点で立ち止まり、地図を見直していた。
その様子を見ていた係員が、見学者に説明していた。
「速く進むだけでは、最後まで到達できません。途中で進路を間違えると、戻るための時間が必要になります。状況によっては、遠回りしたほうが早いこともあります」
主人公は、その言葉を聞きながら、模擬区域の配置を見た。
最短距離が、必ずしも最短時間になるわけではない。
それは、これまでの生活でも何度か経験していた。
ただし、現実の仕事と競技会では、失敗したときの影響が違う。
競技会なら、失敗しても順位が下がるだけかもしれない。
しかし、現実には、引き返すこと自体が難しい状況もある。
主人公は、しばらく見学したあと、広場を離れようとした。
「見ていかないのか」
背後から声がした。
振り返ると、レイヴンが立っていた。
「少し見ただけだ」
「参加者の動きは面白い。最初に速く進んだ人間が、必ずしも先頭に残るわけじゃない」
「そういう競技なんだろう」
「それだけじゃない。人によって、見えているものが違う」
レイヴンは模擬区域を見た。
「同じ地図を渡されても、危険だと思う場所も、近道だと思う場所も違う。自分が何を見落としているかは、実際に動かなければ分からないこともある」
主人公は彼を見た。
「参加するのか」
「もう申し込んだ」
「仕事はどうする」
「競技会の日程は確認した。倉庫の仕事とは重ならない」
レイヴンは、軽く肩をすくめた。
「両方できるなら、両方やればいい。できないなら、どちらを優先するか決めるだけだ」
主人公は、その答えに特に反論しなかった。
自分なら、今の体調で競技会に参加することは考えない。
右手の回復も途中だったし、無理をして得られるものより、失うもののほうが大きいと感じていた。
しかし、レイヴンの身体は自分とは違う。
彼が何を得たいと考えているのかも、完全には分からなかった。
「無理はするなよ」
主人公がそう言うと、レイヴンは少し笑った。
「それは、参加する前から決めておくことじゃない。何が無理なのかは、状況によって変わる」
「無理をしてからでは、遅いこともある」
「それもそうだな」
レイヴンは、あっさり認めた。
「だから、どこまでなら引き返せるかも考えておく」
その返事を聞いて、主人公は少しだけ彼への印象を変えた。
勢いだけで動く人間ではないらしい。
ただし、自分と同じ基準で判断する人間でもなかった。
二人はそれ以上話さず、別々の方向へ歩き出した。
*
競技会の参加者一覧は、開催前日の夕方に公開された。
レイヴンの名前も、その中にあった。
女性管理者は、一覧を確認していた担当者から報告を受けた。
「競合側の出演者が、現地の競技会に参加するようです」
「本人の判断ですか」
「申請記録では、本人からの申し込みになっています。運営補助員ではなく、一般参加者として登録されています」
女性管理者は、参加条件を確認した。
現地の競技会は、もともと公開された催しだった。
特定の出演者だけが参加を許されるものでもない。
レイヴンが現地の住民と同じ条件で参加するのであれば、それ自体を制限する理由はなかった。
「活動範囲の変更申請は出ていますか」
「出ていません。競技区域は、現在認められている活動範囲に含まれています」
「では、現行条件のまま記録してください。競技会への参加を理由に、追加の権限を与える必要はありません」
担当者は記録を更新した。
その直後、別の通知が届いた。
競合プラットフォームからの要請だった。
《出演者の競技会参加を、共同企画として扱いたい》
《現地の参加者との交流を含め、記録映像の利用範囲を拡張したい》
女性管理者は、申請内容を読み直した。
競技会への参加と、記録映像の利用は別の問題だった。
現地の参加者が、自分の姿や行動がどのように利用されるかを理解しているとは限らない。
競技会の主催者が撮影を許可していたとしても、それだけで競合プラットフォームによる二次利用まで認められたことにはならない。
彼女は、映像の利用範囲を限定する条件を付けて回答した。
現地の主催者が認めた記録は、定められた範囲で利用できる。
ただし、個人を特定できる映像や、競技参加者の行動を別の企画に転用する場合は、別途許可を得ること。
競合側がその条件を受け入れるかどうかは、まだ分からなかった。
女性管理者は、申請画面を閉じた。
レイヴン本人の参加を止める必要はない。
だが、本人が参加したという事実を、他の人間まで自由に利用できる権利へ変えることはできなかった。
*
翌朝、競技会の受付が始まった。
参加者たちは、指定された場所で登録を済ませ、競技規則の説明を受けた。
今回の競技は、三つの区画を順番に通過し、最後の地点に設置された標識を持ち帰る形式だった。
各区画には複数の経路が用意されていた。
一つ目は、障害物が多いが距離の短い道。
二つ目は、距離が長い代わりに、進路が分かりやすい道。
三つ目は、途中で状況が変わるため、現場で判断しなければならない道だった。
競技の説明が終わると、参加者たちはそれぞれ準備を始めた。
レイヴンは、地図を折りたたみ、最初の区画を見渡した。
彼は、全員が同じ場所を見ているわけではないことに気づいていた。
ある参加者は、最短距離の入口を見ている。
別の参加者は、足場の状態を確認している。
さらに別の参加者は、他の参加者がどの経路を選ぶかを観察していた。
レイヴン自身は、最初から一つの経路に決めるつもりはなかった。
競技中に状況が変わる可能性がある以上、選択肢を残しておくほうがよい。
開始の合図が鳴った。
参加者たちは一斉に動き出した。
レイヴンは、最短距離の入口へ向かった。
最初の障害物は、難しくなかった。
足場を確かめ、重心を移し、次の地点へ進む。
何人かが彼を追い越した。
彼は気にしなかった。
最初の区画で必要なのは、他の参加者に勝つことではなく、次の区画へ余計な負担を残さずに進むことだった。
やがて、通路が二つに分かれた。
地図上では、左の道が短い。
しかし、入口付近に設置された表示板には、左側の通路で一時的な通行制限が発生する可能性があると記されていた。
先に進んだ参加者の一人は、その表示を見落としていた。
彼は左側へ進み、途中で係員に止められた。
レイヴンは立ち止まり、右側の通路を確認した。
遠回りになる。
それでも、通行できるかどうか分からない道を進むより、確実に前へ進める道を選んだ。
彼は右へ曲がった。
その判断によって、先頭との差はさらに広がった。
しかし、彼は焦らなかった。
競技は、まだ始まったばかりだった。
そして、彼が本当に確かめたいことは、順位だけではなかった。
自分の判断が通用する場所と、通用しない場所。
他人の判断を利用できる場面と、自分で決めなければならない場面。
それらを見極めることが、今回の参加で得たいものだった。
レイヴンは、次の区画へ向かって走り続けた。
その先では、地図に記載されていない変化が、すでに始まっていた。




