↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
観客のいない世界  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

235/450

第235章 異なる速度

新しい倉庫は、以前の職場よりも規模が大きかった。


主人公が案内されたのは、倉庫の奥にある整理区画だった。ここでは、複数の取引先から届いた道具や部品を、一時的に分類して保管しているらしい。


担当者は、作業を始める前に注意事項を説明した。


「この区画では、見た目が似ている道具でも、用途が違うことがあります。分からないものは、勝手にまとめないでください。それから、移動させた場合は、必ず移動先を記録してください」


主人公は説明を聞き、渡された作業票を確認した。


今回の仕事は、分類と整理が中心だった。


右手への負担も少ない。


彼は指定された棚から作業を始めた。


午前中は、特に問題なく進んだ。


昼前になると、別の作業員が主人公のところへやってきた。


「すみません。ここの道具、どこまで分類しましたか」


主人公は作業票を見せた。


「この棚までは終わった。こちらは、まだ確認していない」


「分かりました。では、残りはこちらで進めます」


作業員はそう言って、棚の前に立った。


ところが、彼は作業票を十分に確認しないまま、似た形の道具を一つの箱へまとめ始めた。


主人公は、しばらく様子を見ていた。


道具の形は似ているが、刻印が異なっている。


同じ用途のものとは限らなかった。


「少し待ってくれ」


主人公が声をかけると、作業員は手を止めた。


「何ですか」


「その二つは、刻印が違う。作業票では別々に分類することになっている」


作業員は、箱の中を見た。


「ああ、本当ですね。見落としていました」


彼は道具を取り出し、分類し直した。


「助かりました。急いでいたので、確認が足りませんでした」


「急ぐときほど、間違えることがあるからな」


主人公はそれだけ答え、自分の作業へ戻った。


大きな問題にはならなかった。


しかし、主人公は少し気になっていた。


作業員は、作業を早く終わらせようとしていた。


そのこと自体は、悪いことではない。


ただ、作業の速度を上げることと、必要な確認を省略することは同じではなかった。


どれだけ早く終わらせても、分類を間違えれば、後からやり直すことになる。


場合によっては、別の人間が間違った分類を前提に仕事を進めてしまうかもしれない。


主人公は、自分の作業票をもう一度確認した。


急ぐ必要がある場面でも、何を省略してはいけないのか。


その判断を誤らないことが大切だった。


     *


午後、倉庫の責任者が作業の進捗を確認しに来た。


「予定より早く進んでいますね。この調子なら、今日中にかなりの範囲を終えられそうです」


作業員たちは、少し明るい表情になった。


その中の一人が言った。


「残っている棚も、同じやり方で進めれば、もっと早く終わると思います」


責任者は、作業票を確認した。


「分類方法を変えるということですか」


「似た道具をまとめてから、最後に刻印を確認すればいいと思います。いちいち確認するより、効率がいいです」


責任者はすぐには答えなかった。


「最後に確認する方法で、間違いが起きないと判断できる根拠はありますか」


「今のところ、大きな問題はありません」


「先ほど、分類を間違えかけた道具があったと聞いています」


作業員は、少し気まずそうにした。


「それは、確認すれば済む話です」


「確認すれば済むことでも、確認する前に別の場所へ運ばれてしまったら、どうなりますか」


責任者は、作業票を閉じた。


「今の方法で進めてください。作業を早く終わらせることは大切ですが、後から確認するために、さらに時間がかかるのであれば意味がありません」


作業員は不満そうだったが、指示に従った。


主人公は、そのやり取りを聞いていた。


責任者の判断が、あらゆる状況で正しいとは限らない。


もっと効率的な方法が、別にある可能性もある。


しかし、方法を変えるのであれば、その方法で何が起きるのかを確かめる必要がある。


今の作業では、分類を間違えた場合の影響も、確認にかかる時間も、十分に分かっていなかった。


その状態で手順を変えれば、何がよくなったのかを判断できなくなる。


主人公は、自分の作業を続けた。


     *


夕方、作業終了の確認が行われた。


予定していた区画のうち、七割ほどが終わっていた。


責任者は進捗を確認し、翌日の作業量を調整した。


「今日はここまでにしましょう。残りは明日、同じ手順で進めます」


作業員たちは道具を片づけ、倉庫を出る準備を始めた。


主人公が作業票を返すと、責任者が声をかけた。


「今日、分類の違いに気づいてくれたそうですね。ありがとうございます」


「刻印を見れば分かることだったので」


「それでも、気づかずに進めてしまうことはあります。助かりました」


責任者は、作業票に確認済みの印を付けた。


主人公は、その様子を見て尋ねた。


「明日も、同じ作業ですか」


「基本的には同じです。ただ、残っている道具は今日のものより種類が多いので、少し時間がかかるかもしれません」


「分かりました」


主人公は帰り支度をした。


仕事が予定どおり進むかどうかは、まだ分からない。


それでも、明日の作業内容が分かっていれば、準備はできる。


すべてを予測することはできなくても、分かっていることを確認するだけで、選べる行動は増える。


主人公は、そう考えて倉庫を出た。


     *


同じ頃、運営フロアでは、レイヴンの延長参加に関する新しい報告が届いていた。


延長の承認後、レイヴンは引き続き、現地の環境に適応していた。


しかし、競合側から提出された報告には、彼の成果をより強く評価する表現が増えていた。


《現地の作業効率を改善》


《短期間で信頼関係を構築》


《今後の活動範囲拡大によって、さらなる成果が期待できる》


女性管理者は、報告と実際の行動記録を照合した。


確かに、レイヴンは作業の流れを理解し、現地の人間と協力していた。


だが、作業効率の改善については、責任者が採用した手順を提案した場面が中心だった。


彼が単独で環境全体を変えたわけではない。


信頼関係についても、現地の人間が彼に仕事を任せ始めたことは確認できるが、それが長期的な信頼にまで発展したかどうかは、まだ判断できなかった。


女性管理者は、報告書の表現を修正するよう指示した。


「成果を過小評価する必要はありません。ただし、確認できた行動と、そこから予想される成果は分けて記載してください」


担当者が尋ねた。


「競合側は、出演者の評価を高く見せたいのでしょうか」


「その可能性はあります。でも、意図を決めつける必要はありません。評価の基準を統一すればいいだけです」


担当者は頷き、報告書を修正した。


女性管理者は、画面に残った競合側のコメントを見た。


彼らがレイヴンを高く評価すること自体は、問題ではない。


問題になるのは、その評価を理由に、まだ認められていない権限まで当然のものとして扱うことだった。


彼女は、次回の評価まで現在の条件を維持する方針を確認した。


レイヴンが成果を上げれば、その事実を認める。


しかし、成果が上がったことだけで、すべての制限を取り払うわけではない。


それは、彼女自身が運営する計画でも同じだった。


     *


夜、主人公は支援者と短いメッセージを交わしていた。


『新しい仕事は順調ですか』


『今のところは。今日は、急いで作業を進めようとして、確認が足りなくなりかけた人がいた』


『何か問題になったんですか』


『大きな問題にはならなかった。道具の刻印が違うことに気づいて、分類をやり直しただけだ』


『気づけてよかったですね』


主人公は、少し考えてから返信した。


『ただ、気づいた人がいたから大丈夫だった、という状態を続けるのも危ないと思う』


彼女から返事が届いた。


『誰かの注意力だけに頼ると、その人がいないときに同じ問題が起きるかもしれませんね』


『そうだ。確認する仕組みがあれば、誰か一人が見落としても、問題が大きくなる前に気づける可能性がある』


『でも、確認する仕組みを増やしすぎると、今度は作業そのものが進まなくなることもありそうです』


主人公は、その言葉に頷いた。


『そのとおりだと思う。確認を増やせばいいという話でもない。何を防ぐために、どこまで確認するのかを考える必要がある』


彼女は少し間を置いて返事をした。


『簡単には決められませんね』


『簡単には決められないな』


会話を終えたあと、主人公は端末を机に置いた。


同じ作業でも、人によって重視するものは違う。


早く終わらせたい人間。


間違いを防ぎたい人間。


全体の責任を負う人間。


それぞれの立場から見れば、優先したいことが異なるのは自然だった。


問題は、その違いを無視して、誰か一人の考え方だけを正解にしてしまうことなのかもしれない。


主人公は、翌日の仕事に必要なものを準備した。


右手は、まだ完全には治っていない。


それでも、できることは少しずつ増えていた。


明日もまた、分からないことが出てくるだろう。


そのとき、何を確かめ、何を任せ、どこで立ち止まるのか。


彼は、少しずつ自分で判断できるようになろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。