第237章 地図にない変化
第二競技区画に入ったレイヴンは、最初に違和感を覚えた。
地図では、前方の通路を直進し、二つ目の分岐を左へ曲がれば、次の地点へ到達できることになっていた。
ところが、実際に目の前にあるのは、左右に分かれた二本の通路だった。
直進するための入口が見当たらない。
レイヴンは足を止め、壁に設置された案内板を確認した。
案内板には、競技区域の変更を知らせる表示があった。
《第二通路・一時閉鎖》
その下には、小さな文字で更新時刻が記されていた。
競技開始後の更新だった。
「なるほど」
レイヴンは、地図をしまった。
競技の説明では、途中で状況が変わる可能性があるとされていた。しかし、どのように変わるのかまでは説明されていなかった。
彼は、左右の通路を見比べた。
左側は狭く、途中に複数の段差がある。
右側は広いが、距離が長い。さらに、その先で別の通路と合流していた。
どちらを選んでも、すぐに失格になるような条件は見当たらない。
レイヴンは右側を選んだ。
その判断が正しかったかどうかは、まだ分からない。
ただ、現在の情報で選ぶなら、途中で引き返す必要が生じにくい道のほうが都合がよかった。
彼は歩幅を広げ、次の地点へ向かった。
*
一方、左側の通路を選んだ参加者たちは、別の問題に直面していた。
段差を越えた先で、通路が二つに分かれていたのだ。
案内板は設置されていたが、片方の表示が倒れていた。
先頭を走っていた参加者は、そのまま奥へ進んだ。
後続の二人も続いた。
しかし、しばらく進んだところで、彼らは行き止まりにぶつかった。
「戻るしかないのか」
「いや、ここに別の通路がある」
一人が壁際の狭い道を見つけた。
その道は、地図には記載されていなかった。
入口には、競技用の標識が取り付けられている。
三人は顔を見合わせた。
競技区域の中にある以上、進める可能性はある。
しかし、表示が倒れていることも、地図にない道が存在することも、偶然とは限らなかった。
「係員を呼ぶか?」
「時間がなくなるぞ」
「でも、進んでいい道なのか分からない」
意見が分かれた。
最終的に、三人は入口の標識を確認し、競技規則に記載されていた識別番号と照合した。
番号は一致していた。
彼らは、通行可能な経路だと判断し、狭い道へ進んだ。
その先には、次の地点へ続く階段があった。
遠回りではあったが、競技を続けることはできた。
*
レイヴンが第三競技区画に到着したとき、先行していた参加者の一人が、入口付近で係員と話していた。
「説明にない仕掛けがあるじゃないですか。これでは、事前に準備した人間が不利になります」
係員は、落ち着いた声で答えた。
「競技規則には、状況の変化が発生する可能性があると記載されています。ただし、すべての変化を事前に公開することはしていません」
「それなら、何を基準に判断すればいいんですか」
「現地の表示と、競技規則に従ってください」
参加者は納得できない様子だったが、最終的には競技を続けることにした。
レイヴンは、そのやり取りを横目で見ながら、第三区画へ入った。
ここでは、一定時間ごとに通路の一部が切り替わる。
複数の足場が移動し、渡れる場所が変化する仕組みだった。
レイヴンは、最初の足場に乗る前に、周囲を観察した。
足場の移動には周期があるように見える。
ただし、同じ動きを繰り返すとは限らない。
彼は、目の前の足場が動き始めるまで待った。
その間に、別の参加者が横から追い抜いていった。
参加者は勢いよく足場へ飛び乗ったが、着地点がずれ、体勢を崩した。
転倒は免れたものの、彼は手すりにつかまり、しばらく動けなくなった。
係員が駆け寄り、競技を続けられるか確認している。
レイヴンは、その様子を見てから、自分の進路を選んだ。
速さを優先するなら、動いている足場へ飛び乗る方法もある。
しかし、着地に失敗すれば、そこで時間を失う。
彼は、足場が停止する短い時間を待ち、確実に乗り移った。
その選択によって、彼は数人の参加者を追い越した。
けれど、先頭との差はまだ大きかった。
*
競技会の運営本部では、予想外の問い合わせが増えていた。
第二競技区画の通路表示が倒れていたこと。
地図に記載されていない経路が存在したこと。
第三競技区画で、事前の説明だけでは予測できない足場の動きが発生していたこと。
いずれも、直ちに競技を中止しなければならない問題ではなかった。
しかし、運営側は、それぞれの状況を確認する必要があった。
主催者の一人が、記録画面を見ながら言った。
「地図にない通路については、旧式の避難経路が残っていた可能性があります。競技用の標識が付いているのであれば、設営時の変更が記録されていないのかもしれません」
別の担当者が首を振った。
「その場合でも、誰が標識を取り付けたのかは調べる必要があります。競技中に使える経路として認めたのであれば、その記録がなければ困ります」
「今は競技を続けています。まずは参加者の安全を確保し、終了後に調べましょう」
主催者は、第三競技区画の映像を確認した。
足場の動きそのものに、明らかな異常は見当たらなかった。
ただし、一部の切り替えが、事前に設定された時刻よりわずかに早く始まっていた。
その差は、競技の進行を大きく変えるほどではない。
だが、偶然と判断するには、まだ記録が足りなかった。
主催者は、該当する時間帯の映像と制御記録を保存するよう指示した。
競技は、そのまま続行された。
*
レイヴンは、最後の標識を手に入れ、ゴールへ向かっていた。
残る距離は短い。
しかし、最後の通路には複数の参加者が集まっていた。
先頭を走っていた者の一人が、入口で立ち止まっている。
「何をしているんだ?」
後ろから来た参加者が尋ねた。
「この先の足場が、さっきと違う動きをしている」
「だったら、別の道を使えばいい」
「別の道は、もう閉じている」
先頭の参加者は、進路を見ながら考え込んでいた。
レイヴンは、その後ろから状況を確認した。
確かに、足場の動きが変わっている。
以前なら、二つ目の足場が停止した瞬間に移動できた。
今は、その前に最初の足場が動き始める。
規則性が変わったのか、それとも一時的な遅れなのか。
現時点では判断できなかった。
「少し待ってみたらどうだ」
レイヴンが声をかけた。
先頭の参加者が振り返った。
「待つ? その間に、ほかの人間が追いついてくるぞ」
「今の動きが続くなら、急いでも渡れない。変化が一度だけなら、次の周期で戻るかもしれない」
「戻らなかったら?」
「そのときは、別の方法を考える」
先頭の参加者は、納得したわけではなさそうだった。
それでも、彼は次の足場へ飛び移ることをやめた。
数秒後、足場が動いた。
続いて、二つ目の足場が停止した。
しかし、最初の足場は、予想とは異なる方向へ動き始めた。
「やっぱり変わっている」
参加者の一人が言った。
レイヴンは、足場の動きを目で追った。
完全に予測できるわけではない。
ただ、動きが変わったことで、以前は使えなかった経路に短い空白が生まれていた。
彼は、その空白を利用できると判断した。
「次に二つ目が止まったら、先にそちらへ移る。そのあと、最初の足場が戻るのを待つ」
「うまくいかなかったら?」
「そのときは、落ちない場所まで戻る」
レイヴンは、自分の提案を押しつけなかった。
先頭の参加者は一瞬迷い、それから頷いた。
二人は、足場の動きを待った。
タイミングを合わせて移動すると、予想したとおり、短い空白を通過できた。
その先には、ゴールまで続く通路があった。
レイヴンは走り出した。
彼がゴールに到着したのは、先頭から数分遅れたあとだった。
順位は一位ではない。
しかし、最後の区画で大きく時間を失うこともなかった。
彼は受け取った記録票を確認し、競技区域を出た。
*
競技終了後、レイヴンは主催者から短い聞き取りを受けた。
「第三区画の足場について、何か気づいたことはありますか」
「動きが途中で変わりました。変化の理由までは分かりません」
「その変化を、事前に予測できましたか」
「できませんでした。ただ、変化したあとの動きを見て、通れる時間があることには気づきました」
主催者は記録を取りながら尋ねた。
「その判断は、どこから来たものですか」
レイヴンは少し考えた。
「以前の動きを覚えていたからです。変化する前と後を比べれば、使える時間が残っているかどうかは判断できます」
「最初から、その方法を考えていたのですか」
「いいえ。実際に動きが変わってから考えました」
主催者は頷いた。
聞き取りが終わると、レイヴンは競技会場を離れた。
彼にとって、今回の競技は十分に意味のあるものだった。
現地の人間は、決められた規則に従うだけではない。
状況が変われば、自分の経験を使い、他人の判断を参考にしながら、その場で方法を組み立てる。
それは、単純な計算だけでは捉えにくいものだった。
彼は、端末に届いた競技結果を確認した。
順位は上位だったが、最上位ではなかった。
それでも、彼は結果に不満を感じていなかった。
自分が知りたかったことの一部は、確かめられた。
一方で、競技区域の変化が何によって起きたのかは、まだ分からない。
それを知るためには、主催者の調査結果を待つ必要がある。
レイヴンは、端末を閉じた。
今回の出来事を、すぐに自分の成果として利用するつもりはなかった。
何が自分の判断による成果で、何が偶然の条件によるものなのか。
その区別をつけなければ、次に同じ方法を使ったとき、どこまで通用するのかを判断できない。
彼は帰路についた。
その背後では、競技会の運営本部が、保存された制御記録を調べ始めていた。
記録に残された変更時刻は、競技会の設営担当者が作業を終えたと報告した時刻よりも、後になっていた。
その時間帯に、誰が制御系統へアクセスしたのか。
運営側は、まだ答えを持っていなかった。




