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観客のいない世界  作者: 亀


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第229章 誰のための確認か

新しい倉庫で働き始めて二日目、主人公は朝から部品の仕分けを続けていた。


前日に数量が合わなかった箱は、まだ別の棚に置かれていた。


責任者は朝の確認で、その箱について触れた。


「昨日の箱ですが、まだ原因は分かっていません。今日も別の作業を進めてください。確認が必要になったら、こちらから声をかけます」


「分かりました」


主人公は、それ以上尋ねなかった。


自分が担当したのは、番号と数量の照合だけだ。原因の調査まで任されているわけではない。


作業を続けていると、昼前に一人の男が倉庫へ入ってきた。


男は責任者に何かを伝え、昨日の箱が置かれている棚を指さした。


責任者は帳面を取り出し、男に見せた。


「この記録だけでは、いつ数量が変わったのか分かりません」


「昨日の担当者は誰ですか」


「それについては、確認が必要です」


「確認してからでは遅いんです。今日中に出荷しなければ、こちらの予定が狂う」


男の声が強くなった。


主人公は作業の手を止めず、二人の会話を聞いていた。


責任者は、声を荒らげることなく答えた。


「数が合わない状態で出荷することはできません。確認が終わるまで、別の箱を先に出します」


「その箱が必要なんだ」


「必要であることは理解しています。ただ、必要だからといって、数が合わないまま出荷することはできません」


男は不満そうに口を閉じた。


しばらくして、彼は責任者に別の確認を求めたあと、倉庫を出ていった。


主人公は、作業を続けた。


昨日の箱について、何か新しい情報が出たわけではない。


ただ、出荷を急ぐ人間がいることは分かった。


それだけで、数量の違いが意図的に作られたと判断することはできない。男が急いでいたのは、納期が迫っていたからかもしれない。


一方で、出荷を急ぐ事情があるからといって、確認を省略していいことにもならない。


主人公は、目の前の部品を一つずつ数えた。


午後、責任者が彼を呼んだ。


「少し、確認をお願いしたいことがあります」


責任者は、別の箱を作業台に置いた。


「この箱は、記録では十二個になっています。中身を数えてもらえますか」


主人公は箱を開け、部品を確認した。


十二個。


記録と一致していた。


「こちらは、十二個で合っています」


「ありがとうございます。では、こちらは予定どおり出荷します」


責任者は帳面に確認済みの印を付けた。


主人公は、その様子を見て尋ねた。


「昨日の箱も、同じように確認できれば出荷するんですか」


「数量が確認できて、ほかに問題がなければ、その可能性はあります。ただし、今はまだ分かりません」


「数量が合わない原因が分からなくても、出荷できる場合はあるんですね」


責任者は少し考えてから答えた。


「状況によります。数量が不足していることを取引先が把握し、その条件で受け取ると確認できれば、別の判断もできます。でも、数量が合っていると偽って出荷することはできません」


主人公は頷いた。


同じ箱でも、確認の目的は一つではない。


不足している部品を見つけること。出荷できる状態かどうかを判断すること。取引先が何を受け取るのかを明確にすること。


それぞれ、似ているようで違う。


何を確かめたいのかが曖昧なままでは、確認を続けても答えが出ないことがある。


夕方、仕事を終えた主人公は、倉庫の外で直人と合流した。


直人は、主人公の話を聞いてから尋ねた。


「それで、昨日の箱はどうなった?」


「まだ別の棚に置かれている。原因は分からないままだ」


「出荷を急いでいる人間がいたんだろう?」


「いた。でも、それだけでは何も決められない」


直人は少し考えた。


「お前が以前調べていた荷物の件も、結局は同じようなものなのか?」


主人公はすぐには答えなかった。


以前の荷物の件では、受取人が確認できなかったり、指示が途中で変わったり、引き渡しを証明する記録が残っていなかったりした。


今回の箱では、数量が合わない。


似ている部分はある。


しかし、何が起きたのかは違うかもしれない。


「同じとは言えない。ただ、確認する目的が曖昧だと、必要なことまで見落とす場合があるとは思う」


「目的か」


「そうだ。誰かの間違いを探すためなのか、荷物を安全に渡すためなのか、それとも、取引先に正確な情報を伝えるためなのか。目的が違えば、必要な確認も変わる」


直人は頷いた。


「でも、実際には、誰かの責任を決めるために確認することもあるんだろう」


「あると思う」


主人公は否定しなかった。


「ただ、最初から責任を負わせる相手を決めてしまうと、その人に都合の悪い情報だけを探すことになるかもしれない」


「じゃあ、どうすればいい?」


「先に、何が起きたのかを確かめる。誰が何をしたのかと、それをどう評価するのかは、分けて考える」


直人は、しばらく黙っていた。


「簡単じゃないな」


「簡単ではないな」


主人公は笑った。


すべての問題を、正しい手順だけで解決できるわけではない。


確認するための時間がなければ、判断を急ぐこともある。記録が残っていなければ、事実を完全には再現できない。関係者の説明が食い違えば、どちらが正しいのか分からないこともある。


それでも、分からないことを無理に埋めるよりは、分からないまま残したほうがいい場合がある。


二人は、そのまま歩き続けた。


途中、主人公の端末に通知が届いた。


仕事の紹介元からだった。


翌日、別の倉庫で短時間の整理作業があるという。今回の仕事が予定どおり終われば、数日間続けて働ける可能性もあるらしい。


主人公は、仕事内容と賃金を確認した。


右手に負担がかかる作業は含まれていなかった。


彼は仕事を引き受けると返信した。


直人が尋ねた。


「また別の仕事か?」


「そうだ。今の仕事がいつまで続くか分からないからな」


「以前の工房は、もう諦めたのか?」


主人公は少し考えた。


「諦めたというより、再開するかどうかを俺が決められるわけじゃない。連絡が来れば、そのときに条件を確認する。でも、戻ることを前提に待ち続けるつもりはない」


「なるほどな」


主人公は、歩きながら右手を軽く動かした。


痛みは残っているが、少しずつ動かしやすくなっていた。


焦らずに回復を待つこと。


今できる仕事を続けること。


必要なときには、立ち止まって確認すること。


そのどれか一つだけを選べばいいわけではなかった。


夜、主人公は支援者に短いメッセージを送った。


『仕事が一つ終わって、別の仕事が見つかった。まだ手は完全には治っていないけれど、少しずつ動かしやすくなっている』


彼女からの返事は、しばらくして届いた。


『よかったです。でも、動かせることと、無理をしても大丈夫なことは違いますからね』


主人公は、思わず笑った。


『分かっている。先生にも同じことを言われた』


『それなら安心しました』


彼は端末を置いた。


今日の仕事で、何か大きな問題が解決したわけではない。


数量の合わない箱は、まだ倉庫に残っている。以前の荷物の件も、結論が出ていない。


しかし、主人公は、すべての問題を一つの答えへまとめようとは思わなかった。


目の前にあるものを確かめる。


何を知りたいのかを明確にする。


分からないことは、分からないまま残す。


そして、自分ができることを続ける。


その積み重ねが、いつか別の選択を可能にするかもしれない。


今は、まだ分からない。


それでも、明日へ進むために必要なことは、少しずつ見えてきていた。

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