第226章 届いた返事
仕事を引き受けた翌日、主人公は指定された工房へ向かった。
今回の仕事は、修理に使う小さな部品を種類ごとに分け、数を確認することだった。重い物を運ぶ必要はなく、右手を無理に使わずに済む。
工房の責任者は、作業を始める前に説明した。
「部品の数が帳面と合わない場合は、勝手に補充したり、別の箱から移したりしないでください。違いがあれば、そのまま知らせてもらえればいいです」
「分かりました」
主人公は作業台に向かった。
部品を一つずつ確認し、決められた箱に分けていく。作業そのものは単純だったが、形のよく似た部品がいくつかあり、見た目だけで判断すると間違える可能性があった。
彼は外側の番号と帳面の記載を照合しながら、慎重に作業を進めた。
午前中の仕事を終えたころ、工房の入口で声がした。
「すみません。責任者の方はいらっしゃいますか」
若い男が一人、入口に立っていた。
主人公は顔を上げた。
以前、荷物の移動をめぐって仕事を止め、その後、紹介元から次の仕事を保留されていた作業員だった。
若い男も主人公に気づいたらしく、少し驚いた表情を浮かべた。
「あなたも、ここで働いていたんですね」
「今日は、この仕事を頼まれています。どうかしましたか」
「部品のことで、確認したいことがあって……」
若い男は、手元の紙を見せた。
そこには、部品の番号と数量が記されていた。
「昨日、紹介元から連絡がありました。あの荷物の変更については、まだ確認中だそうです。ただ、変更を伝えた人が、こちらの工房にも来ていたらしいんです」
主人公は紙を見たが、そこに書かれた番号だけでは、昨日の荷物との関係は分からなかった。
「誰が、そう言ったんですか」
「紹介元の担当者です。変更を伝えた人が、以前ここで部品を受け取ったことがあるらしい、と」
「その人が、昨日の荷物も扱ったということですか」
「そこまでは分かりません」
若い男は首を振った。
「ただ、紹介元は、工房で何か記録が見つかれば、確認を進められるかもしれないと言っていました」
主人公は、工房の責任者へ声をかけた。
責任者は二人の話を聞いたあと、若い男の紙を確認した。
「この番号の部品については、過去の作業記録が残っているかもしれません。ただし、記録を調べるには時間がかかりますし、関係のない取引先の情報まで見せることはできません」
「分かりました。確認できる範囲で構いません」
若い男はそう答えた。
責任者は帳面を取りに行った。
主人公は若い男に尋ねた。
「紹介元は、あなたに何を求めているんですか」
「変更を伝えた人の説明と、俺の説明が食い違っているから、事実を確認したいそうです。俺が荷物を止めた理由を説明できれば、仕事の紹介を再開するかどうか、もう一度検討すると言われました」
「仕事が戻ると決まったわけではないんですね」
「はい。でも、何もしないよりはいいと思いました」
若い男は、以前より落ち着いているように見えた。
ただし、状況が改善したわけではない。仕事が戻るかどうかも、まだ分からない。
「あなたは、あのときのことを誰かに話しましたか」
「紹介元と、昨日ここへ来る前に会った知人には話しました。ほかには話していません」
「分かりました」
主人公は、それ以上尋ねなかった。
責任者が戻ってきた。
帳面を確認すると、該当する番号の部品について、過去に受け渡しを記録した形跡があった。しかし、受取人の署名がない箇所もあり、誰が実際に受け取ったのかは確認できなかった。
「ここには、部品を渡したという記録はあります。ただ、誰に渡したのかを証明する記載がありません」
責任者は、帳面を閉じた。
「これだけでは、あなたが昨日運んだ荷物と同じものだとは言えません。番号が似ていることと、同じ荷物であることは別ですから」
若い男は頷いた。
「それでも、この記録を紹介元に伝えてもらえませんか」
「取引先の情報が含まれているため、帳面そのものを渡すことはできません。ただ、こちらで確認できた事実については、必要な範囲で説明できます」
「お願いします」
若い男は頭を下げた。
主人公は、そのやり取りを見ていた。
以前なら、受取人の署名がないという事実に、強く引っかかっていたかもしれない。
誰が受け取ったのか。なぜ記録が残っていないのか。誰が責任を負うことになるのか。
しかし、今は、そこから先を急いで結びつけることはしなかった。
この記録が示しているのは、受け渡しの記録に不備があるということだけだった。
昨日の荷物と同じものなのか。変更を伝えた人物が同一人物なのか。誰かが意図的に記録を残さなかったのか。
どれも、まだ確認されていない。
昼休みになると、若い男は工房を出る前に主人公へ礼を言った。
「一緒に来てもらったときも助かりました。今回も、話を聞いてもらえてよかったです」
「俺が役に立ったかどうかは、まだ分かりません。ただ、確認できたことは、確認できたこととして扱ったほうがいいと思います」
「はい」
若い男は少し考えてから言った。
「前は、誰かが俺のことを悪く言っていると聞くと、すぐに反論しなければと思っていました。でも、今は、何を説明すればいいのかを先に考えるようになりました」
主人公は頷いた。
「そのほうが、話を整理しやすいと思います」
「ただ、説明しても、相手が信じてくれるとは限りませんね」
「そうですね」
主人公は正直に答えた。
「説明することと、相手がどう判断するかは別です」
若い男は、少しだけ笑った。
「それでも、何も伝えないよりはいいのかもしれません」
「場合によると思います。伝えることで危険が増えるなら、別の方法を考える必要もありますから」
若い男は頷き、工房を出ていった。
主人公は午後の作業に戻った。
部品の整理を終え、責任者の確認を受ける。数に違いがあった箱は、別の場所へ移され、確認が終わるまで使用しないことになった。
主人公は、その判断について何も言わなかった。
彼の役割は、違いを見つけて報告することだった。
その先をどう扱うかは、責任者が決めることだった。
仕事を終えたあと、主人公は直人と合流した。
「今日はどうだった?」
直人が尋ねた。
主人公は、若い男が工房へ来たことと、受け渡し記録を確認したことを話した。
直人は、少し考えてから言った。
「以前の荷物の件と関係している可能性はあるのか?」
「可能性はある。でも、同じ問題だと判断できる材料はない」
「それでも、似たようなことが続いているな」
「そうだな」
主人公は否定しなかった。
「ただ、似ていることと、同じ原因で起きていることは違う。今の段階で一つにまとめてしまうと、別の問題まで同じ説明で片づけることになる」
直人は頷いた。
「じゃあ、これからどうする?」
「俺は、自分の仕事を続ける。若い作業員の件については、本人が必要とする範囲で話を聞く。新しい情報が出てきたら、そのときに考える」
「それでいいのか?」
「今のところはな」
主人公は、右手をかばいながら歩いた。
彼は、問題を解決するためには、もっと多くの情報と力が必要だと思っていた。
それは今も変わらない。
しかし、情報を集めることだけが前進ではなかった。
何が分かっていて、何が分かっていないのかを区別すること。自分が担える責任と、担えない責任を分けること。そして、誰かの困難を自分の物語の一部として勝手に決めつけないこと。
それらもまた、これから必要になる力だった。
その夜、主人公は支援者からの新しいメッセージを受け取った。
『今日は少し忙しくて、返事が遅くなりました』
彼は、短く返信した。
『気にしなくていい。返事を急いでいるわけじゃないから』
少しして、彼女から返事が届いた。
『ありがとう。あなたも、無理をしないでくださいね』
主人公はその言葉を読み、端末を置いた。
彼女がどんな一日を過ごしていたのか、彼には分からない。
彼女もまた、主人公の一日をすべて知っているわけではない。
互いに知らないことを残したまま、それでも続いていく関係がある。
すべてを知ることだけが、誰かとつながる方法ではないのだろう。
主人公は、明日の仕事の準備を済ませてから、早めに休むことにした。




