↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
観客のいない世界  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

218/450

第217章 取り戻せない時間

翌朝、彼が倉庫に着くと、店主から仕事がないと告げられた。


「昨日まで頼んでいた運搬は、しばらく止めることになった」


「何か問題があったんですか?」


「依頼主側で、荷物の管理方法を見直しているらしい。詳しいことは聞いていない」


店主はそう言って、別の帳面を開いた。


「今日は倉庫の整理だけなら頼める。ただし、半日分の仕事しかない」


彼は仕事内容と報酬を確認し、引き受けた。


半日分の仕事でも、収入がまったくないよりはいい。何より、今の彼には、身体に無理をさせずに働ける仕事が必要だった。


作業を始めて間もなく、倉庫の入口から一人の若者が入ってきた。


二十歳前後だろうか。服には埃がつき、片方の袖が破れていた。


若者は店主を見つけると、急いで近づいた。


「昨日、ここから出した荷物について、確認したいことがあります」


店主は手を止めた。


「どの荷物だ?」


若者は紙を取り出した。


「北側の倉庫へ運ぶ予定だった箱です。途中で受取先が変わったと聞いたんですが、最初に指示された場所へ届いていないと、運んだ人間が責められています」


彼は、その話を聞いて顔を上げた。


北側の倉庫。


運搬途中の受取先の変更。


荷物を運んだ者が、引き渡しの記録を残せないまま責任を問われる。


以前、直人から聞いた若い水路作業員の話と似ていた。


しかし、似ているだけだった。


今回の若者が話している荷物と、以前の荷物が同じだという証拠はない。


店主は紙を受け取り、内容を確認した。


「うちが直接手配した仕事なのか?」


「分かりません。依頼書には、この倉庫の名前が書かれていました」


店主は紙を見直した。


「この番号の荷物は、昨日、別の仲介人が引き取っている。うちが直接運搬を手配したものではない」


「では、誰に聞けばいいんでしょうか」


「仲介人の名前は、依頼書の裏に書いてあるはずだ」


若者は紙を裏返した。


そこには、短い名前と連絡先が記されていた。


「ありがとうございます」


若者は頭を下げ、倉庫を出ようとした。


そのとき、入口に別の男が現れた。


男は若者を見ると、足を止めた。


「まだ、こんなところにいたのか」


若者の顔がこわばった。


「私は、確認に来ただけです」


「確認することはない。話は終わっているだろう」


男は若者の腕をつかもうとした。


若者は身を引いた。


「まだ、荷物を受け取った人の名前も分かっていません」


「それはお前が考えることじゃない」


男が再び手を伸ばした。


彼は、すぐには間に入らなかった。


相手の立場も、二人の間で何があったのかも分からない。だが、若者が腕をつかまれそうになっていることは見て取れた。


彼は二人の間に近づき、男の手が若者に届く前に声をかけた。


「ここは倉庫の入口です。話をするなら、店主の前で話してください」


男が振り向いた。


「お前は誰だ?」


「ここで働いている者です」


「仕事に関係のないことへ口を出すな」


男は彼の肩を押した。


右手に痛みが走った。


彼は反射的に右手を引いた。身体がわずかに傾いたが、足を踏み直して倒れるのを防いだ。


以前なら、相手の腕をつかんで押し返そうとしたかもしれない。


しかし、今の右手では十分に力を入れられない。無理に争えば、傷が開くだけでなく、次の動きにも対応できなくなる。


彼は距離を取り、店主の方へ目を向けた。


「店主、この方は倉庫の仕事について話をしに来たようです。ここで確認してもらえますか」


店主はすぐに二人へ近づいた。


「ここで揉め事を起こすな。話があるなら、何の用件なのか説明しろ」


男は舌打ちした。


「こいつが、終わった話を蒸し返しているだけだ」


若者が反論した。


「終わっていません。私は、荷物を渡した相手の名前を確認したいだけです」


「お前は、指定された場所に荷物を届けなかった。その責任を取ればいい」


「私は途中で別の人に荷物を渡しました。受取先が変わったと説明されたからです」


男は答えなかった。


店主は二人を見比べた。


「ここでは、その荷物が実際にどこへ運ばれたのか確認できない。依頼書と受領記録を持って、手配した仲介人のところへ行け」


「その仲介人が、私に責任を押しつけているんです」


若者の声には焦りがあった。


「だから、誰が受け取ったことになっているのか、確認したいんです」


男は若者の腕をつかもうとしたが、店主がその前に立った。


「ここではやめろ。これ以上続けるなら、仕事の話ではなくなる」


男はしばらく店主をにらんでいたが、やがて手を下ろした。


「好きにしろ。ただし、後で困るのはお前だ」


男は倉庫を出ていった。


若者は、しばらく入口を見つめていた。


彼は若者に尋ねた。


「怪我はありませんか?」


「大丈夫です」


若者は腕をさすりながら答えた。


彼は、自分の右手に痛みが残っていることを確かめた。傷が開いた様子はないが、しばらくは無理に動かさない方がよさそうだった。


店主が若者に言った。


「うちで確認できるのは、荷物が昨日、仲介人に引き渡されたところまでだ。それより先は、手配した側に確認してくれ」


若者は、もう一度頭を下げた。


「分かりました。ありがとうございました」


若者は依頼書を握り直し、今度こそ倉庫を出ていった。


彼は、しばらく作業に戻れなかった。


今の出来事は、以前の荷物の問題と関係があるのだろうか。


北側の倉庫という場所も、受取先の変更という話も、過去の記録と似ている。


しかし、今回の若者が運んだ荷物の番号は分からない。仲介人の名前も、まだ確認していない。


彼は店主に尋ねた。


「今の若者が話していた荷物について、こちらに残っている記録はありますか?」


「番号が分かれば調べられる。ただ、今の話だけでは、どの荷物か特定できない」


「分かりました」


彼は、それ以上尋ねなかった。


自分から若者を追いかけて、詳しい事情を聞くこともできた。


だが、若者が何を望んでいるのか、どこまで話してよいと考えているのかは分からない。本人が求めていないのに、過去の経験と結びつけて質問を重ねることは避けたかった。


その日の作業を終えると、店主は約束した報酬を渡した。


彼は報酬を受け取り、右手の状態を確認した。


痛みは残っていたが、傷は大きく開いていない。


ただ、今日のようなことが続けば、仕事にも訓練にも影響が出る。


宿へ戻る途中、直人と合流した。


直人は彼の手を見ると、すぐに尋ねた。


「何かあったのか?」


彼は倉庫で起きたことを説明した。


若者が話していた荷物についても、分かっている範囲だけを伝えた。


直人は話を聞き終えると、しばらく考えた。


「北側の倉庫か……。以前の荷物の話と似ているな」


「そうだな。でも、同じ荷物だとは確認できていない」


「調べるつもりか?」


彼は少し考えた。


「今のところは、まだ何も決めていない。若者が何を求めているのかも、どこまで事情を知っているのかも分からないからな」


直人はうなずいた。


「それなら、まず自分の手を治せ。無理をすれば、仕事も訓練も続けられなくなる」


「分かっている」


宿に戻ると、彼は包帯を取り替えた。


右手には、まだ痛みが残っている。


今日、男に押されたとき、彼は反撃しなかった。


それは、相手に勝てる自信がなかったからだけではない。今の自分が何を守れるのか、どこまで動けるのかを考えた結果でもあった。


それでも、若者が一方的に腕をつかまれそうになったとき、見ているだけではいられなかった。


自分にできることと、できないこと。


引き受けるべきことと、引き受ける必要のないこと。


その境界は、いつも簡単に決められるわけではない。


彼は明日の予定を確認した。


まずは手の状態を見て、訓練を調整する。


仕事があれば、無理のない範囲で続ける。


そして、今日の若者については、現時点で分かっていることだけを記録しておく。


それ以上の判断は、まだ先のことだった。


彼は灯りを消し、静かに横になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。