第214章 荷車の向こう側
翌朝、彼が倉庫に着くと、店主は昨日と同じように作業依頼書を用意していた。
東側の工房へ金属部品を運ぶ仕事だった。前日の運搬に問題がなかったため、今回は別の部品を四箱届けることになっている。
受取人の名前、荷物の番号、予定時刻、受領書の扱いも記載されていた。
彼は内容を確認してから、引き受けると答えた。
「今日は四箱か。昨日より一箱多いな」
一緒に運ぶ男が荷物を見ながら言った。
「荷車に積めるか、先に確かめましょう」
彼は箱の大きさと荷車の幅を確認した。
四箱を無理に積み重ねると、上の箱が不安定になる。二回に分ければ安全に運べるが、予定時刻に間に合うかどうかは微妙だった。
「二回に分けた方がよさそうです」
「昨日も二回だったな。毎回そんなことをしていたら、仕事が終わらないぞ」
男は不満を口にした。
「一度に運べるなら、それで構いません。ただ、箱が崩れない積み方にしてください」
彼はそう答え、男が積み方を変えるのを待った。
二人は荷物を積み直した。
箱の向きを変え、荷車の底に重いものを置き、上に載せる箱の位置を調整する。四箱を積んでも荷車は傾かなかった。
彼は荷車を押してみて、動きに異常がないことを確かめた。
出発してしばらくすると、道の先で人だかりができていた。
荷車が横倒しになり、金属部品が道路に散らばっている。
運び手らしい若い男が、倒れた荷車のそばで立ち尽くしていた。近くには荷主と思われる男がいて、散らばった部品を指さしながら声を荒らげている。
「だから、もっと慎重に運べと言ったんだ!」
「道が崩れていたんです。荷車の車輪が溝にはまって……」
「言い訳をするな。部品が壊れたら、誰が弁償するんだ!」
若い男は答えられずにいた。
彼は足を止めた。
昨日、倉庫で聞いた話が頭をよぎった。荷物を運ぶ者と、受け取る者。仕事の条件と、途中で起きた事故。どこまでが運び手の責任なのか。
しかし、今回の事情はまだ分からない。
荷車が倒れた原因も、道の状態も、荷物の扱い方も見ていなかった。
彼は、自分たちの荷車を道の端へ寄せた。
「少し待っていてください。道を塞いでいるので、先に通れるようにします」
一緒に運ぶ男は、面倒そうに顔をしかめた。
「俺たちには関係ないだろう」
「このままでは、荷車が通れません」
彼は荷物を安全な場所に置き、散らばった部品のうち、通行の妨げになっているものを道の端へ移した。
右手には力を入れず、左手と足を使って、転がりやすい部品を少しずつ動かす。
荷主の男は彼を見た。
「勝手に触るな!」
彼は手を止めた。
「道を通れるようにするためです。部品を持ち去るつもりはありません」
「余計なことをするな。これは俺たちの荷物だ」
その言葉を聞き、彼はそれ以上触れなかった。
倒れた荷車のそばでは、若い運び手が車輪を確認していた。車軸が曲がっているように見える。荷物を戻す前に、荷車を直す必要がありそうだった。
彼は、近くで様子を見ていた人に尋ねた。
「修理を頼める場所はありますか?」
「この先に荷車の修理屋がある。ただ、今すぐ来てくれるかは分からない」
彼はその場所を教えてもらい、荷主の男に伝えた。
男はしばらく考えた後、若い運び手に修理屋を呼びに行くよう命じた。
若い運び手は、散らばった部品を集め始めた。
彼は自分の荷車へ戻った。
一緒に運ぶ男が言った。
「結局、何も解決していないじゃないか」
「そうですね。俺たちに分かるのは、荷車が倒れて、道が塞がれていたことくらいです」
「だったら、最初から関わらなければよかったんだ」
「道を通れるようにする必要はありました。でも、事故の責任まで決める必要はありません」
男はそれ以上、何も言わなかった。
二人は運搬を再開した。
東側の工房に着いたとき、予定時刻を少し過ぎていた。
職人頭は荷物を確認し、受領書に記入した。
「少し遅れたな」
「途中で荷車が倒れて、道が塞がれていました。通行できるようになるまで、少し時間がかかりました」
彼は、見たことだけを説明した。
職人頭は受領書の時刻を記録した。
「分かった。次からは、遅れそうなときに連絡を入れてくれ」
「はい」
引き渡しが終わると、彼らは倉庫へ戻った。
店主は受領書を確認し、予定より遅れた理由を聞いた。
彼は、道で起きた事故について説明した。
「それなら仕方がない。荷物は無事に届いたんだな?」
「はい。箱の番号と数量も確認しました」
店主はうなずいた。
「分かった。次の仕事については、また明日知らせる」
彼は報酬を受け取り、倉庫を出た。
夕方、訓練場へ向かう途中、彼は昼間の出来事を思い返した。
若い運び手が本当に悪かったのかどうかは分からない。
道が崩れていたという説明が正しいのか、荷車の整備に問題があったのか、それとも積み方が悪かったのか。どれも、現場を見ただけでは判断できなかった。
彼がしたのは、通行を妨げていた部品を移そうとし、制止された後は手を引き、修理を頼める場所を伝えたことだけだった。
それ以上のことを決めるには、情報が足りなかった。
訓練場に着くと、男は彼の動きを見て、すぐに言った。
「今日は、右手を使わずに距離を取る練習をする」
彼はうなずいた。
男がゆっくり近づいてくる。
彼は相手の肩だけを見るのではなく、足の位置と身体の向き、背後の空間を確かめた。
相手が右へ動くと予想し、左へ抜けようとした。
しかし、男は一歩だけ前に出て進路を塞いだ。
彼は足を止め、体勢を崩しかけた。
「今、何を見ていた?」
「相手が動く方向です」
「方向だけを見て、動いた後のことを考えていなかったな。最初の道が塞がれたら、次はどうする?」
彼は息を整えた。
「距離を取り直します。無理に抜けようとせず、別の進路を探します」
「なら、やってみろ」
彼は再び構えた。
今度は一つの進路に決めつけず、相手の動きを見ながら足を運んだ。
それでも、男の手が肩に触れた。
「遅い。まだ相手に合わせすぎている」
彼は悔しさを感じたが、反論しなかった。
今の自分では、相手の動きを見てから対応するだけで精いっぱいだった。
男は彼の肩から手を離した。
「逃げ道を探すのは、相手が動いてからじゃない。動く前から、いくつか用意しておけ。ただし、最初に考えた道に固執するな」
彼は、その言葉を頭の中で繰り返した。
訓練が終わった後、男は彼に水を渡した。
「今日、何かあったのか?」
彼は昼間の荷車の事故について話した。
男は最後まで聞いた後、短く言った。
「お前が事故の原因を決めなかったのは、それでいい。だが、道が塞がれていたとき、周りを確認したか?」
彼は少し考えた。
「荷物を端へ寄せて、通れる場所を作ろうとしました」
「自分の荷車は?」
「道の端に置きました」
「ほかの荷車が後ろから来たら、どうするつもりだった?」
彼は答えられなかった。
男は続けた。
「目の前の問題だけを見るな。自分が動いたことで、別の問題が起きることもある。助けるかどうかを考える前に、まず周囲を見ろ」
彼はうなずいた。
昼間の出来事を、もう一度考え直した。
道を通れるようにすることは必要だった。
しかし、自分の荷車をどこへ置くか、ほかの通行人がどう動くか、荷物を触ってよいのか。確認すべきことは一つではなかった。
彼は、次に似た場面に出会ったとき、まず周囲を確認しようと決めた。
帰り道、彼は右手の傷を確かめた。
今日も、何かが大きく変わったわけではない。
仕事は無事に終わり、報酬も受け取った。訓練では失敗し、自分に足りないものを知った。
それでも、少しずつ、自分ができることと、できないことの境界が見えるようになっていた。
彼は、明日の仕事について考えながら宿へ戻った。
明日も、仕事があるとは限らない。
だからこそ、今ある仕事を続けながら、ほかの道も探しておく必要があった。




