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観客のいない世界  作者: 亀


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第210章 値段のつかない仕事

翌朝、彼は直人と一緒に仕事を探しに出た。


これまで紹介されていた荷物運びの仕事は、依頼主側の手順が見直されるまで止まっている。いつ再開するかは分からなかった。


彼は残っている金額を頭の中で計算した。


急いで仕事を見つける必要はある。しかし、報酬が高いという理由だけで引き受ければ、以前と同じ問題に直面するかもしれない。


「今日は、何か見つかるといいな」


直人が言った。


「そうだな。ただ、見つからなかった場合も考えておこう」


二人は町の職人街を回った。


最初に訪れた工房では、荷物を運ぶ仕事があったが、右手の状態を説明すると断られた。


次の店では、作業時間が長く、重い金属部品を持ち続ける必要があると言われた。彼は条件を確認したうえで、今回は引き受けないことにした。


三軒目の店では、倉庫の整理を手伝う仕事が見つかった。


ただし、報酬は以前の荷物運びより低く、作業が終わるまで支払われないという。


彼は仕事内容を確認した。


倉庫内の木箱を分類し、指定された棚へ移す。箱の中身は開封せず、外側の番号と数量を記録する。作業時間は半日程度で、重い箱は複数人で運ぶことになっていた。


「これなら、今の手でもできるかもしれない」


直人が言った。


彼はすぐに返事をせず、作業場を見た。


棚の間隔は狭い。床には木片が落ちている。箱を積み上げる高さにも限度がありそうだった。


「一つ確認してもいいですか?」


店主が顔を上げた。


「何だ?」


「右手に怪我が残っています。重い箱を持つ作業は、他の人と一緒に行うことになりますか?」


「重いものは二人で持つ。だが、途中で怪我が悪化したら困るぞ」


「その場合、作業を中断できますか?」


店主は少し考えた。


「無理に続けさせるつもりはない。ただし、途中までの仕事をどう扱うかは、そのときに相談することになる」


彼はその説明を聞いてから、引き受けると答えた。


作業は昼前に始まった。


倉庫には、大小さまざまな木箱が並んでいた。番号が消えかけているものもあれば、同じ番号の札が二枚貼られているものもあった。


彼は箱を移動する前に、外側の番号と置かれていた場所を記録した。


最初の数箱は問題なく進んだ。


しかし、奥の棚にあった箱を動かそうとしたとき、彼は手を止めた。


箱の側面に、番号の異なる二枚の札が貼られていた。


一枚は古く、文字がかすれている。もう一枚は比較的新しく、別の番号が書かれていた。


彼は箱を動かさず、店主を呼んだ。


「この箱ですが、番号が二つあります」


店主は近づき、札を確認した。


「古い札は剥がしておけばいい」


「新しい番号に変更された記録はありますか?」


店主は面倒そうに答えた。


「整理するために番号を付け直したんだろう。いちいち記録を探していたら、仕事が終わらない」


「では、古い番号は記録に残さなくてもいいんですか?」


「そんなことをしていたら、半日では終わらないぞ」


彼は箱を見た。


古い札が残っている理由は分からない。


単に貼り替え忘れたのかもしれない。番号の付け替えに記録が必要ない仕組みなのかもしれない。あるいは、別の事情があるのかもしれなかった。


「分かりました。ただ、移動する前に、今の状態だけ記録しておきます」


彼は二枚の札を記録し、箱の位置を記した。


店主は不満そうだったが、作業を止めることまでは求めなかった。


彼は箱を指定された棚へ移した。


その後も、同じように番号を確認しながら作業を続けた。


昼を過ぎる頃には、腕と肩が疲れていた。右手には痛みが出始めていたが、まだ作業を続けられる程度だった。


彼は店主に報告し、休憩を取った。


直人が水を差し出した。


「また番号の問題か」


「今度は、番号が違う札が二枚貼られていただけだ。理由は分からない」


「気になるか?」


「気にはなる。でも、今の仕事は倉庫を整理することだ。すべての番号の経緯を調べる仕事ではない」


直人は笑った。


「少しずつ、止まる場所が分かってきたな」


彼は水を飲んだ。


「止まる場所というより、今やることを決めているだけだ」


休憩が終わると、二人は作業に戻った。


午後、棚の移動が終わった頃、店主が記録を確認した。


彼は、番号が二つあった箱についても報告した。


「ここまで記録してあるなら、後で確認できるな」


店主はそう言って、作業の終了を認めた。


報酬は、約束どおり支払われた。


金額は大きくなかったが、彼は受け取った金を確認し、記録に残した。


仕事を終えた後、店主が声をかけてきた。


「明日も来られるか?」


彼は右手を見た。


「傷の状態を確認してから返事をします。重い箱を持つ仕事が続くなら、少し考える必要があります」


「分かった。明日の朝までに知らせてくれ」


店主はそれ以上、無理に誘わなかった。


倉庫を出ると、直人が言った。


「仕事が一つ見つかったな」


「そうだな。ただ、明日も同じ仕事ができるかは分からない」


「報酬は少ないが、条件は分かりやすかった」


「今の俺には、それも重要だ」


二人は宿へ向かった。


途中、彼は今日の仕事を振り返った。


番号の違う札を見つけたが、その理由を調べることまではしなかった。


それでも、二枚の札が貼られていた事実と、箱が置かれていた場所は記録した。


もし後から確認が必要になれば、その記録が役に立つかもしれない。


しかし、何も問題が起きなければ、そのまま使われない記録になる可能性もあった。


それで構わなかった。


すべての記録に、すぐに大きな意味がある必要はない。


重要なのは、分からないことを分かったことにせず、必要なときに確認できる形で残しておくことだった。


宿に戻ると、彼は右手の傷を確認した。


少し赤みが増していた。


彼は明日の訓練で、手に負担のかかる動きを避けることにした。


仕事を得ることはできた。


しかし、収入を得るために傷を悪化させれば、長い目で見て働ける時間が減るかもしれない。


彼は机に座り、今日の報酬と生活費を整理した。


今の仕事だけで、先の生活をすべて支えられるわけではない。


だからといって、焦って無理をする必要もなかった。


明日、店主に返事をする。


傷の状態を見て、できる仕事とできない仕事を伝える。


そして、ほかの仕事も探す。


それが、今の彼にできる現実的な選択だった。


彼は記録をしまい、灯りを消した。


町では、今日も多くの人間が働き、荷物を運び、商品を売り買いしている。


その一つ一つの仕事に、彼が関わる必要はない。


ただ、自分が引き受けた仕事については、できる限り条件を確かめ、無理のない範囲で最後までやり遂げる。


その積み重ねが、今の彼の生活を支えていた。

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