第205章 予定外の荷物
翌日の午前、彼と直人は指定された倉庫へ向かった。
今回の依頼は、金属部品の入った木箱を東側の修理工房まで運ぶことだった。箱は一人でも持ち上げられる大きさだったが、内部の部品が動かないよう、外側には二本の帯が巻かれていた。
倉庫の担当者は依頼書を確認し、箱の側面に記された番号を読み上げた。
彼は番号と数量を書き留め、箱の外観を確認した。
「封は開けていませんね?」
「もちろんだ。こちらは預かったものを、そのまま渡すだけだ」
担当者は少し面倒そうに答えたが、必要な記録には応じた。
二人は箱を荷車に載せ、指定された道を進んだ。
彼は荷車を押しながら、周囲の人の動きを見ていた。
以前なら、道を歩く人間の顔や荷物の行き先ばかり気にしていたかもしれない。今は、道幅、足元の石、荷車の車輪、曲がり角の先まで意識するようにしていた。
訓練で教わったことは、まだ実際の危険に十分対応できるほど身についていない。
それでも、見るべきものが少しずつ増えていた。
修理工房に着くと、入口にいた若い職人が二人を迎えた。
「荷物ですか?」
「そうです。受取人は、この工房の担当者になっています」
彼は依頼書を見せた。
若い職人は書類を確認し、奥へ声をかけた。
しばらくして、作業着姿の男が出てきた。依頼書に記された名前と一致している。
男は箱の番号を確認し、外側の帯にも目を通した。
「間違いない。こちらで受け取る」
男が受領欄に署名しようとした、そのときだった。
工房の裏手から、別の男が現れた。
「待て。その箱は、こちらで受け取ることになっている」
声を聞いた職人が振り返った。
現れた男は、背が高く、首の周囲に古い火傷の痕があった。
彼は一瞬、相手の顔を見た。
以前、荷物の受け渡しについて話に出てきた男と特徴が似ている。
しかし、同じ人物だと断定できるだけの確認はできていなかった。
「依頼書には、この方が受取人として記されています」
彼は書類を見せた。
火傷痕の男は、紙に目を落とすこともなく言った。
「事情が変わったんだ。箱を渡せ」
「変更の指示は、仲介人から届いていません」
「そんなものを待っていたら、仕事が終わらない」
「それでも、確認が必要です」
男の目が細くなった。
「お前は、荷物を運ぶだけの人間だろう。誰が受け取るかまで口を出すな」
彼は箱から手を離し、荷車の横に立った。
「誰が受け取るかは、依頼書に書かれています。変更されたのであれば、その指示を確認します」
「俺が変更を伝えている」
「あなたが変更を伝える権限を持っているか、こちらでは確認できません」
職人たちは黙っていた。
依頼書に記された受取人は、火傷痕の男を知っているようだったが、すぐに箱を譲る様子はなかった。
「この男の言うとおり、変更があったのか?」
受取人が尋ねた。
火傷痕の男は答えなかった。
その沈黙が何を意味するのか、彼には分からなかった。
単に説明する気がないのか、今ここで説明できない事情があるのか。それとも、別の理由があるのか。
彼は推測を口にしなかった。
「仲介人に確認します。それまで、箱はここに置きます」
「置いていけると思っているのか?」
火傷痕の男が一歩近づいた。
彼は右手を動かしかけ、傷がまだ残っていることを思い出した。拳を握って対抗することはできない。
代わりに、荷車の取っ手を左手で押さえ、男との距離を保った。
「依頼書の受取人が受け取りを認めているなら、こちらは仕事を終えられます。ただ、別の人に渡せと言われても、確認できない限り渡せません」
男は彼の顔を見た。
「ずいぶん面倒なことをするようになったな」
その言葉に、彼はわずかに警戒を強めた。
以前から彼を知っているのか。それとも、仕事のやり方を見て言っただけなのか。
尋ねる前に、火傷痕の男は若い職人へ向き直った。
「お前たちも、いつまでもこんなことをしていられると思うな」
若い職人は視線を落とした。
受取人の男が、はっきりと言った。
「俺は依頼書に記された荷物を受け取る。変更の指示があるなら、責任者を通してくれ」
火傷痕の男はしばらくその場に立っていた。
やがて、彼は二人を見比べ、工房の裏へと歩いていった。
追いかける者はいなかった。
彼は男の姿が見えなくなるまで待ち、それから仲介人へ連絡を取った。
事情を説明すると、仲介人はすぐに返事をした。
「こちらには、変更の連絡は届いていない。依頼書どおりに進めてくれ」
「受取人は、変更がないことを確認しています」
「なら、そのまま受領の記録を残してもらえ。念のため、今の件も報告しておく」
彼は受取人に確認を取り、箱の番号と数量を照合した。
男は受領欄に署名し、日付と時刻を書き入れた。
彼は書類の写しを受け取った。
仕事は終わった。
しかし、工房を出る前に、若い職人が彼を呼び止めた。
「さっきの男のことですが……」
彼は足を止めた。
「何か知っているんですか?」
若い職人は、裏手へ続く通路を気にするように見た。
「以前にも、荷物の受け取りについて来たことがあります。ただ、うちの人間ではありません。誰が呼んだのかも、俺は知りません」
「そのときも、受取人を変更しようとしていたんですか?」
「そこまでは分かりません。俺が見たのは、工房の責任者と話しているところだけです」
彼はそれ以上、質問を重ねなかった。
若い職人が知っているのは、男が以前にも来たことがあるという事実だけだった。
それ以上のことを話させようとすれば、彼自身を不必要な問題に巻き込むかもしれない。
「教えてくれて、ありがとうございます」
彼はそう言って、直人とともに工房を出た。
帰り道、直人が尋ねた。
「同じ男だと思うか?」
「以前の話に出てきた男と、特徴は一致している。ただ、まだ同一人物だと確認したわけじゃない」
「もし同じなら、今回の変更もあの男が勝手に言い出した可能性がある」
「可能性はある。でも、仲介人には変更の連絡が届いていなかった。受取人も、変更を認めなかった。今分かっているのはそこまでだ」
直人はしばらく考えていた。
「それでも、前よりは分かったことが増えたな」
「そうだな」
彼は受領の記録を確認した。
今回は、荷物を受け取った人物が特定できている。数量と時刻も記され、変更指示がなかったことも仲介人が確認した。
何か問題が起きても、少なくとも自分たちがどこまで仕事をしたのかは説明できる。
一方で、火傷痕の男が何を目的に荷物を受け取ろうとしたのかは、まだ分からなかった。
彼はその出来事を、以前の記録とは別の紙に書き留めた。
火傷痕の男が工房に現れ、受取人の変更を主張したこと。
正式な変更指示は届いていなかったこと。
受取人が依頼書どおりの受領を認めたこと。
男が以前にも工房を訪れていたという、職人の証言。
そして、男が「ずいぶん面倒なことをするようになったな」と言ったこと。
最後の一言については、意味を決めつけなかった。
自分を以前から知っている可能性もあれば、単に今回のやり取りを見て口にしただけかもしれない。
記録を終えたとき、右手が少し痛んだ。
彼は手を休ませ、傷の状態を確かめた。
まだ、無理をしてはいけない。
相手が何者であっても、今の自分が正面から戦えば不利になる。
それは変わっていなかった。
だが、今日の彼は、相手に言われるまま荷物を渡すことも、相手を追いかけて正体を確かめようとすることもしなかった。
自分にできることと、できないことを分け、その場で必要な判断をした。
それだけのことだった。
しかし、彼が記録をしまった直後、仲介人から新たな連絡が届いた。
《本日の受け渡しについて、依頼主から確認が入った。荷物の変更を申し出た人物が、正式な指示を持っていたと主張している。明日、事務所で説明を求めたい。》
彼は文章を読み返した。
変更指示は届いていない。
それは、仲介人自身が確認したことだった。
それでも、別の誰かが、正式な指示を持っていたと主張している。
彼は連絡文を保存し、受領の記録と一緒に保管した。
明日、誰が何を説明するのか。
そして、正式な指示とは何を指しているのか。
まだ分からないことは残っていた。
ただ、今回の仕事については、彼の手元に確かな記録があった。
それを持たずに、誰かの言葉だけで判断するつもりはなかった。




