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観客のいない世界  作者: 亀


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第十八章 揺れる配分

 緊急通知が届いた翌日。


 女性は通常より早く管理室へ入った。


 すでに何人かの管理者が集まっていた。


 中央画面には、各プロジェクトの観測者数が並んでいる。


 その中で。


 彼女が担当するプロジェクトだけが、異常な伸び方をしていた。


 観測者数。


 平均滞在時間。


 長期観測希望率。


 すべてが上昇している。


 だが。


 その数字の反対側には、別の数字があった。


 他のプロジェクトの観測者数が減っている。


「昨日よりさらに流れています」


 管理者の一人が言った。


「どの程度?」


「全体の配分に影響するレベルです」


「具体的には?」


「十七プロジェクトで、観測者数が基準値を下回りました」


 女性は画面を見る。


 そこには、それぞれ異なる世界が映っていた。


 戦争を中心としたプロジェクト。


 恋愛を中心としたプロジェクト。


 政治闘争。


 災害。


 スポーツ。


 犯罪。


 家庭生活。


 どれも長い時間をかけて作られてきた。


 そして今。


 一つのプロジェクトに観測者が集まり始めている。


「資源配分を変更する必要があります」


 別の管理者が言った。


「増やす?」


「一部は」


「減らすところは?」


「こちらです」


 画面に複数のプロジェクトが表示された。


「継続率が低下しています」


「理由は?」


「観測者が移動しているためです」


「戻る可能性は?」


「現在の傾向では低い」


 女性は画面を見た。


 数字だけなら。


 簡単だった。


 伸びているものに資源を集中させる。


 伸びていないものから削る。


 それだけだ。


 しかし。


 彼女は知っていた。


 今の数字は。


 以前の数字とは少し違う。


 戦闘や事件によって増えているわけではない。


 何も起きない時間。


 人間同士の会話。


 町での買い物。


 雨の中を歩く姿。


 そうしたものを含めて。


 観測者が残っている。


「このプロジェクトへの追加資源を申請します」


 女性が言った。


 向かい側の管理者がすぐに答えた。


「反対します」


 女性はその人物を見た。


「理由は?」


「集中しすぎています」


「数字は?」


「十分すぎるほど出ています」


「では、なぜ反対する?」


「その数字自体が問題です」


 画面が切り替わる。


 全体の観測者分布。


 一つのプロジェクトだけが突出していた。


「これ以上資源を集中させれば、他のプロジェクトが維持できなくなります」


「観測者が少ないから?」


「それだけではありません」


 管理者は続けた。


「出演者の質、運営コスト、過去の投資額、既存契約。すべてを考える必要があります」


「分かっています」


「なら、なぜ増やす?」


 女性は少し考えた。


「成長しているからです」


「それだけ?」


「今後も伸びる可能性がある」


「可能性です」


「はい」


「確定ではない」


「確定ではありません」


 管理者は画面を見た。


「つまり、あなたは不確定な未来のために、確定している資源を移動させようとしている」


 女性は否定しなかった。


「そうです」


「危険だと思いませんか?」


「思います」


「それでも?」


「今までのモデルで評価できないものを、今までの基準だけで切る方が危険だと思います」


 部屋が静かになった。


 その言葉に。


 別の管理者が口を挟んだ。


「評価できないものを高く評価するのは、ただの主観では?」


「その可能性もあります」


「なら、何を根拠に?」


「観測者の行動です」


 女性はデータを表示した。


「介入を減らした後も、観測者数は増えています」


「一時的な現象かもしれない」


「はい」


「それを証明できますか?」


「できません」


「なら――」


「だから、追加観測が必要です」


 女性は遮らずに最後まで聞いた。


「確定できないから調べる」


「……」


「今ここで結論を出す必要はありません」


 管理者は腕を組んだ。


「しかし、資源は有限です」


「知っています」


「全部のプロジェクトを維持することはできない」


「知っています」


「なら、どこかを削る必要がある」


「その通りです」


 女性は画面を見た。


 そこには。


 現在のプロジェクト。


 そして。


 それ以外の無数のプロジェクト。


「だから、私は他のプロジェクトを否定しているわけではありません」


「では?」


「選択肢を残したい」


 管理者が眉をひそめた。


「選択肢?」


「観測者が、何を見るかを選べるようにする」


「それは理想論では?」


「違います」


 女性は答えた。


「需要が違うからです」


 刺激を求める人間。


 恋愛を求める人間。


 戦争を求める人間。


 歴史を求める人間。


 普通の生活を見たい人間。


 それぞれ違う。


「一つのプロジェクトが成功したからといって、全部をそれに置き換える必要はありません」


 女性はそう言った。


「逆に、一つのプロジェクトが伸びているからという理由だけで、他を全部切るのも違う」


「しかし、資源は有限です」


「だから配分を考える」


「今までと何が違う?」


 女性は答えた。


「今までは、最大値を作ることを優先していました」


「今は?」


「多様性を残すことも、価値として扱います」


 誰かが小さく息を吐いた。


「随分と難しい話になったな」


「最初から簡単ではありません」


 会議はそこで一度中断された。


     *


 同じ頃。


 地上では。


 青年たちの前に一人の男が立っていた。


 軍服の男だった。


 以前から別の場所で行動していた人物。


 観測者数は多い。


 支援値も高い。


 そして。


 彼は青年たちを見ていた。


「久しぶりだな」


 黒服の男が言った。


「そうでもない」


 軍服の男は答えた。


「お前たちは、最近かなり目立っている」


 青年が聞く。


「それが何か?」


「俺の観測者も、お前たちを見るようになった」


「だから?」


「困っている」


 黒服の男が笑った。


「観測者を奪われたから?」


「そういうことだ」


 軍服の男は冗談のように言った。


 だが。


 その目は笑っていなかった。


「俺には俺の仕事がある」


「俺たちも同じだ」


「なら、競争になる」


「そうかもしれない」


 軍服の男は少し黙った。


「ただ、今すぐ戦うつもりはない」


 青年が聞く。


「なぜ?」


「理由はいくつかある」


「聞かせてくれ」


「一つは、お前たちがまだ利用価値を持っている」


 黒服の男が鼻で笑った。


「正直だな」


「もう一つは」


 軍服の男が続ける。


「俺たちが争えば、別の連中が得をする」


 青年は周囲を見た。


「敵がいる?」


「いる」


「誰だ?」


「分からない」


 軍服の男は答えた。


「ただ、最近、未来側の動きが変わっている」


 青年の表情が変わった。


「何が?」


「俺たちへの支援が、以前より不安定になっている」


 黒服の男が黙る。


 青年も。


「つまり?」


「俺たちは、以前ほど重要ではなくなった可能性がある」


 その言葉は。


 未来の管理室でも。


 別の意味で議論されていた。


 観測者の集中。


 資源の集中。


 プロジェクトの価値。


 そして。


 誰に資源を残すのか。


     *


 夜。


 女性の端末に最終報告が届いた。


 追加資源の申請。


 承認率は五十二パーセント。


 完全な承認ではない。


 だが。


 最低限の継続資源は確保された。


 女性はそれを確認した。


「半分だけか」


 部下が言った。


「十分です」


「本当に?」


「今は」


 女性は画面を見た。


 青年たちの姿が映っている。


 彼らはまだ歩いている。


 何も知らない。


 自分たちの観測者が増えていることも。


 未来で資源配分を巡って議論が起きていることも。


 他のプロジェクトが影響を受けていることも。


 そして。


 自分たちの存在が。


 未来の一部の人間にとって。


 単なる一つの番組ではなくなりつつあることも。


 知らない。


 女性は画面を閉じた。


 しかし。


 別の通知が表示された。


 ――他プロジェクト管理者会議。


 ――議題。


 ――「特定プロジェクトへの資源集中について」。


 女性はその文字を見た。


 そして。


 小さく息を吐いた。


 これはまだ。


 単なる数字の問題だった。


 少なくとも。


 今はまだ。

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