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観客のいない世界  作者: 亀


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第174章 仕事を配る手

男は、翌朝から調査の方法を変えた。


これまでは、荷物の行き先を追い、その途中で関係者を探していた。しかし、同じ番号を追う人間が複数いる以上、現場で起きたことだけを調べても、相手に先回りされる可能性がある。


今度は、荷物を動かす前の段階を調べる。


誰が仕事を紹介し、誰が条件を決め、誰が運送先を指定するのか。


その順序をたどれば、荷物が倉庫を出る前に、誰が動かしているのかが見えるかもしれない。


最初に訪ねたのは、北の水路近くにある小さな仕事紹介所だった。


以前、男が臨時の運送仕事を探したときに訪れた場所とは別の施設だ。ここでは、短期の荷役作業や荷車の運搬、倉庫内の整理などを紹介している。


男は受付で、短期の仕事を探していると伝えた。


「経験はありますか?」


「荷物の積み下ろしと運搬なら、何度か経験しています」


「紹介状は?」


「ありません」


受付の女性は、登録用紙を差し出した。


男は用紙を確認した。名前、住所、過去の勤務先、緊急連絡先。通常の仕事紹介に必要な項目が並んでいる。


「この登録をすると、どのような仕事を紹介してもらえるのでしょうか?」


「登録内容と経験に応じて、条件に合う仕事を紹介します。荷主から直接依頼を受けるものもあれば、別の業者を通じて依頼されるものもあります」


「依頼元が別の業者の場合、実際の荷主を確認することはできますか?」


女性は少し考えた。


「仕事によります。紹介所が把握している情報はお伝えできますが、依頼元が開示していない情報までお約束することはできません」


男は用紙を机に置いた。


「登録する前に、仕事の条件を確認したいのです。報酬、作業内容、運送先、荷物の受け取りに問題が起きた場合の扱いについて、どこまで事前に説明してもらえますか?」


女性は、男を注意深く見た。


「仕事によって違います。ただ、通常の仕事であれば、作業内容と報酬、集合場所は事前に説明します。運送先が途中で変更された場合の対応は、依頼元との契約によります」


「依頼元が途中で変更された場合は?」


「それも契約次第です」


「現場の作業員が変更を知らされていなかった場合は?」


女性はすぐには答えなかった。


「その場合は、紹介所へ相談してください。こちらで確認できることは確認します。ただし、すべての問題を解決できるわけではありません」


男は頷いた。


この紹介所が、問題の荷物を扱っている証拠はない。


だが、仕事を受ける側が何を知ることができ、何を知らされないまま働くことになるのか。その境界を確かめることはできた。


男は登録せず、礼を言って外へ出た。


*


次に訪れたのは、水路沿いの食堂だった。


昼時になると、荷役作業員や運送業者が集まる場所である。


男は店主に、最近、受領先が突然変更される仕事が増えていないか尋ねた。


「増えたと感じる人はいるね。でも、仕事の種類が変わっただけかもしれない。ここで聞いた話だけでは、何とも言えないよ」


店主はそう答え、奥の席にいる三人の作業員を指した。


「詳しく知りたいなら、あの人たちに聞いてみるといい。最近、運送の仕事で揉めたと言っていたから」


男は礼を言い、三人に近づいた。


彼らは、男が以前の荷物の問題を調べていると知ると、すぐには話そうとしなかった。


「俺たちも、仕事を失いたくないんだ」


一人が言った。


「分かっています。名前を記録するつもりもありません。話せる範囲で構いません」


男は、相手の返事を待った。


やがて、年配の作業員が口を開いた。


「最近、仕事を紹介する人間が増えた。昔からいる仲介人だけじゃなく、別の業者を名乗る人間が、急に高い報酬の仕事を持ってくる」


「仕事の内容は?」


「荷物を指定された場所まで運ぶだけだ。報酬も悪くない。だが、受け取り先で荷物を拒否されると、報酬の一部が支払われなくなる」


「紹介した人間に相談できないのですか?」


「最初は相談できる。だが、何度か連絡すると、別の人間を通せと言われる。そうしているうちに、誰が最初の依頼主なのか分からなくなる」


男は、記録を取った。


「紹介する人間の特徴は覚えていますか?」


「一人じゃない。服装も違うし、話し方も違う。ただ、仕事の条件は似ている。報酬は少し高めで、荷物の中身は聞くな、運送先は現場で確認しろと言われる」


別の作業員が口を挟んだ。


「それだけじゃない。最近は、仕事を受けるときに、身分証の写しや保証金を求められることもある。断れば、次の仕事を紹介しないと言われる」


男は、その言葉を聞いて顔を上げた。


「保証金を支払った人はいるのですか?」


「いる。全員じゃないが、仕事が必要な人間は払うことがある」


「その保証金は、戻ってきましたか?」


作業員は首を横に振った。


「仕事が完了すれば返すと言われたが、荷物が受け取りを拒否されたから返せないと言われた人もいるらしい」


男は、すぐに結論を出さなかった。


保証金の扱いが不当なのか、契約上の条件なのかは、個別の契約を確認しなければ分からない。


しかし、受領資格の変更によって仕事が完了しなくなれば、報酬や保証金をめぐる問題が起きる。


その仕組みを誰かが意図的に利用している可能性もある。


「紹介人を見分ける共通点はありませんか?」


年配の作業員は、しばらく考えた。


「一つだけ。仕事を紹介するとき、特定の印が付いた小さな紙を見せる人間がいる」


「どのような印ですか?」


「丸の中に短い線が二本。だが、全員が持っているわけじゃない」


男は、その特徴を記録した。


丸の中に二本の線。


以前見た古い荷札や管理番号の印とは、まだ比較できない。


それでも、調べる価値はある。


「ありがとうございます。話していただいたことは、確認できた事実と分けて記録します」


作業員たちは、少しだけ表情を緩めた。


男は、それ以上の質問をせずに席を離れた。


*


食堂を出た男は、通りの向こうで一人の人物がこちらを見ていることに気づいた。


濃い色の上着を着た男だった。


昨日、金属片について話した人物とは違う。背格好も歩き方も異なる。


相手は、男と目が合うと、すぐに視線を外した。


男は追いかけなかった。


代わりに、近くの店へ入り、店先に並ぶ商品を見ながら通りの様子を観察した。


しばらくすると、濃い色の上着の男が、食堂へ入っていった。


男は、店の窓から中を見た。


相手は、先ほど話を聞いた三人の作業員の席へ近づいた。


何かを話している。


年配の作業員は、相手の話を聞きながら、何度か首を横に振った。


やがて、相手は小さな紙を机に置いた。


年配の作業員は、それを見たあと、紙を裏返した。


男は、距離があるため、紙に何が書かれているのか確認できなかった。


数分後、濃い色の上着の男は食堂を出た。


男は、相手が十分に離れたことを確認してから、食堂へ戻った。


年配の作業員は、先ほどの人物が置いていった紙を、手の中で折りたたんでいた。


「今の人は、仕事を紹介しに来たのですか?」


男が尋ねると、作業員は警戒した。


「何のことだ?」


「先ほど、紙を受け取っていましたね」


「見間違いだ」


男は、相手を責めなかった。


「分かりました。ただ、もし仕事の条件に問題があるなら、契約内容を確認してから受けることを勧めます」


「余計なお世話だ」


「そうかもしれません」


男は、短く頭を下げた。


「失礼しました」


食堂を出ると、直人から連絡が届いていた。


古い運送記録を調べた結果、過去にも受領資格の変更に伴って、複数の荷物が別の経路へ移された事例があったという。


ただし、それらの事例は一つの業者に集中していなかった。


直人は、さらに詳しく調べる必要があると伝えてきた。


男は返事を送り、今日集めた情報を整理した。


仕事を紹介する人間は複数いる。


条件も完全には一致しない。


保証金の問題が起きている例もあれば、単に荷物の受領が拒否されただけの例もある。


すべてが同じ仕組みで動いているとは限らない。


しかし、特定の印を使う紹介人がいるという情報は、これまでの調査にはなかった。


男は、次に何をするべきか考えた。


印を持つ人間を探すだけなら、時間がかかる。


それに、相手が意図的に人を誘導しているなら、こちらが探していることを知られる可能性もある。


ならば、別の方向から確かめる方法がある。


仕事を受ける側ではなく、仕事を依頼する側を調べるのだ。


誰が報酬を用意し、誰が保証金を要求し、誰が受領資格の変更後も仕事を続けさせているのか。


その三つが一致するかどうかを確認すれば、関係のない業者と、実際に問題へ関与している者を区別できるかもしれない。


男は、直人へその考えを伝えた。


返事はすぐに届いた。


《分かった。ただし、相手が仕事を依頼する側なら、こちらの調査が知られる可能性もある。接触先は慎重に選ぼう。》


男は短く返した。


《明日、仕事を受けた作業員から、依頼条件の記録が残っているか確認する。記録がなければ、無理には求めない。》


送信してから、男は包帯を巻いた掌を見た。


傷はまだ痛む。


だが、今の調査で必要なのは、腕力ではない。


誰が何を知っているのか。


誰が何を決められるのか。


そして、誰が他人の選択肢を狭めているのか。


その違いを見極めることだった。


*


夜、男が直人のいる場所へ戻ると、入口の隙間に一枚の紙が差し込まれていた。


紙には、短い文章だけが書かれていた。


《仕事を配る者を探すなら、仕事を失った者だけを信じるな。》


男は、紙を裏返した。


裏面には何もない。


直人も、紙を見て首をかしげた。


「誰が置いたんだ?」


「分からない」


「今日の調査を知っている人間か?」


「その可能性はある。でも、誰かが見ていた証拠にはならない」


男は、紙をほかの記録とは分けて保管した。


この忠告が正しいかどうかは、まだ分からない。


仕事を失った人間の話が間違っているとは限らないし、仕事を紹介する側の説明が正しいとも限らない。


必要なのは、どちらかを先に信じることではない。


両方の話を聞き、実際の契約や運送記録と照らし合わせることだ。


男は、明日の調査先を決めた。


仕事を失った作業員だけではなく、現在も同じ仲介人から仕事を受けている者にも話を聞く。


そのうえで、依頼条件の違いを確認する。


誰かが残した忠告に従うためではない。


自分が確かめたいことを、別の角度から確かめるためだった。

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