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観客のいない世界  作者: 亀


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第170章 受け取る者

翌朝、男は直人と別れて、荷を受け取るはずだった倉庫へ向かった。


前日に調べた記録によれば、その倉庫は北の水路から少し離れた商業区にある。大きな荷を扱う施設ではないが、複数の運送業者が共同で利用しているらしい。


入口には二人の作業員がいた。


男が用件を伝えると、年配の作業員が首を横に振った。


「荷の受け取りについては、責任者に聞いてくれ」


「責任者の方はいらっしゃいますか?」


「今は外だ。何の荷だ?」


男は番号を伝えた。


作業員の表情が変わった。


ほんの一瞬だったが、聞き間違いではない。


「その番号について、何かご存じですか?」


「知らん。ここでは扱っていない番号だ」


「以前は扱っていた可能性がありますか?」


「だから、知らんと言っている」


男は、それ以上問い詰めなかった。


入口を離れ、通りの向かいにある茶店へ入る。


倉庫の様子を見られる席に座り、飲み物を注文した。


しばらくすると、先ほどの作業員が倉庫から出てきた。周囲を見回したあと、別の通りへ歩いていく。


男はすぐには追わなかった。


相手が誰かに連絡する可能性もある。そうであれば、連絡相手の方が重要かもしれない。


だが、ここで待ち続けても、何も起こらない可能性がある。


男は勘定を済ませ、倉庫の裏手へ回った。


裏口の近くには、荷物を一時的に置くための屋根付きの場所がある。木箱が数個積まれ、その横では二人の作業員が荷札を確認していた。


男が近づくと、片方が顔を上げた。


「何か用か?」


「以前、この倉庫で受領先を変更された荷物があったか、確認したい」


「荷主か?」


「違う」


「なら、関係ないだろう」


作業員は、荷札を持ったまま背を向けた。


そのとき、積まれた木箱の向こうから声がした。


「その番号を、どこで知った?」


男は振り返った。


倉庫の奥から、一人の女性が出てきた。


商人のような服装だが、腰には小さな道具袋を下げている。女性は男の顔を見てから、彼の手元にある紙片へ視線を落とした。


「北の水路で荷を運んだ」


男は答えた。


「それで?」


「受領先で拒否された。管理所では、番号が現在の管理区分に存在しないと言われた」


女性は少し考えた。


「荷物は、どうなった?」


「元の場所へ戻すよう指示された」


「その指示を出した人間の顔は覚えている?」


「覚えている。ただし、名前は知らない」


女性は作業員たちに目を向けた。


「少し席を外してくれないか」


作業員の一人が不満そうな顔をした。


「ここは仕事場です。関係のない人間と話をされても困ります」


「分かっている。だから、あなたたちに聞かせたくない話なの」


作業員は女性を見たあと、男を見た。


やがて、二人は荷物を置いて離れた。


女性は男に向き直った。


「ここで長く話すつもりはない。あなたが探しているものは、単なる運送記録ではないのでしょう?」


男は答えなかった。


女性も、答えを急がなかった。


「私は、あなたが何を探しているのか知らない。でも、その番号が使われなくなったあと、別の番号が割り当てられたことは知っている」


男の意識が、相手の言葉に集中した。


「別の番号?」


「そう。新しい番号が割り当てられた荷物は、今までとは違う経路を通るようになった」


「誰が変更した?」


「それを調べていた人が、一人いなくなった」


女性の声は、淡々としていた。


「いなくなったというのは、仕事を辞めたという意味ですか?」


「最初は、そう説明された。でも、荷物を扱っていた人たちの話では、辞める前に何かを見つけたらしい」


「何を?」


「分からない。本人が何も残さなかったから」


男は、女性の言葉を慎重に考えた。


情報が少なすぎる。


だが、ここまでの話が事実なら、番号の変更を調べていた人間がいた。そして、その人物は調査の途中で姿を消した。


「その人の名前を教えてもらえますか?」


「今は教えられない」


「なぜですか?」


女性は、男の顔をまっすぐ見た。


「あなたが信用できないからではない。私も、どこまで話していいのか分からないから」


男は黙った。


彼女は、すべてを知っているわけではない。


あるいは、知っていても話せない事情がある。


どちらにしても、ここで無理に聞き出すことはできない。


「もう一つだけ聞かせてください。その人は、何を調べていたのですか?」


女性はしばらく考えた。


「古い管理記録よ。今の管理区分に存在しない番号が、どこから来たのか。それを調べていた」


男の頭に、箱に関する記録が浮かんだ。


旧管理区。


返却先のない権限。


再申請に必要な記録。


まだ、それらが同じ問題につながっているとは断定できない。


しかし、別々に見えていた情報が、少しずつ近づいている。


「その記録は、どこにありますか?」


「知らない。少なくとも、ここにはない」


女性はそう言って、道具袋から小さな金属片を取り出した。


薄い板状の金属で、表面には数字と短い線が刻まれている。


「これを見たことはある?」


男は金属片を受け取らず、目で確認した。


そこに刻まれた数字の並びは、以前見た荷札の番号と似ていた。


だが、同じものではない。


「ありません。ただ、似た形式の番号なら見たことがあります」


「どこで?」


「今は、詳しく話せません」


女性は、わずかに口元を緩めた。


「そう。あなたも、何もかも話すつもりはないのね」


「確かめられていないことを、簡単に話すわけにはいきません」


「その考え方は、悪くないと思う」


女性は金属片をしまった。


「今日、ここへ来たことは、あまり人に話さない方がいい」


「誰かに見られているのですか?」


「見られているかどうかは分からない。でも、あなたがこの番号を調べていることを知りたい人間はいる」


男は、昨日の黒い上着の男を思い出した。


「その人間は、あなたの知っている人物ですか?」


「一人ではないわ」


女性はそれ以上答えなかった。


*


倉庫を出た男は、すぐに直人のところへ戻った。


直人は、女性から聞いた話を最後まで聞き終えると、机の上に記録を並べた。


「古い番号の変更を調べていた人間が、途中でいなくなった。別の番号が割り当てられ、荷物の経路が変わった。そして、今もその番号を探している人間がいる」


「そうだ」


「偶然にしては、関係することが多いな」


「だが、まだ一つの組織が全部を動かしているとは言えない」


男は、女性が見せた金属片の形を紙に描いた。


「番号の形式も違っていた。単なる運送番号ではなく、別の管理区分を示すものかもしれない」


直人は紙を見つめた。


「箱の記録と関係があると思うか?」


「可能性はある。でも、今の段階では確かめられない」


男は、箱に関する記録を取り出した。


旧管理区の記録。


権限の返却。


返却先が存在しない場合の接続閉鎖。


それらは、運送番号の変更を説明するものではない。


しかし、もし管理権限そのものが失われた区域があるなら、そこに残された記録や物資を、現在の管理者がどう扱っているのかという問題は生まれる。


「次は、いなくなった人間を調べるのか?」


直人が尋ねた。


男は少し考えたあと、首を横に振った。


「先に、あの女性が見せた金属片と同じ形式の番号を探す。本人を探すにしても、名前も居場所も分からないままでは難しい」


「どこで探す?」


「荷物を受け取る側だけではなく、管理権限を変更する側だ。現場の作業員が知らないことでも、申請や通知を扱った人間なら、何か知っているかもしれない」


直人は頷いた。


「ただし、向こうもお前を探している可能性がある」


「分かっている」


男は紙片をまとめた。


「だから、次は相手が用意した場所へ行くのではなく、こちらから接触先を選ぶ」


これまで、男は誰かが残した手掛かりを追ってきた。


それによって得られた情報はある。


しかし、相手が見せたいものだけを見せている可能性もある。


次に必要なのは、情報を受け取ることだけではない。


自分が何を確かめたいのかを決め、そのために必要な相手を選ぶことだった。


*


その日の夕方、男が外へ出ると、通りの向こうで人々が騒いでいた。


荷車が横倒しになり、道の半分を塞いでいる。


積まれていた木箱がいくつも地面に落ち、そのうちの一つが割れていた。


男は近づいた。


荷車のそばには、若い作業員が倒れている。足が車輪の下敷きになり、周囲の人間が助けようとしていたが、荷車が重く、簡単には動かせない。


「誰か、支えを持ってきてくれ!」


一人の男が叫んだ。


別の作業員は、落ちた木箱を見て動けずにいた。


「先に荷物を確認しろ! 中身がなくなったら、誰が責任を取るんだ!」


「人が挟まれているんだぞ!」


「分かっている! だが、勝手に荷を動かすな!」


男は、二人の間に割って入った。


「荷物は後だ。まず車輪を持ち上げる。支えに使える木材はあるか?」


近くの店主が、店先に積んでいた厚い板を指さした。


「それなら使える」


「二人で板を運んでください。あなたは、倒れた荷車が動かないよう、反対側を押さえてください」


男は、負傷者の足元を確認した。


足は車輪と地面の間に挟まっている。無理に引っ張れば、傷を悪化させる恐れがあった。


「本人を引き抜く前に、車輪を少し浮かせます。合図をするまで、誰も引っ張らないでください」


作業員たちが位置についた。


男も荷車の側面に手をかけた。


掌の傷が痛んだ。


力を入れると、傷口が引きつる。


それでも、手を離すわけにはいかなかった。


「今だ!」


複数の人間が力を合わせ、車輪がわずかに浮いた。


別の作業員が板を差し込む。


車輪が落ちないことを確認してから、男は負傷者の足を慎重に引き出した。


若い作業員は、痛みに顔を歪めながらも意識を保っていた。


「動かさないで。医者を呼んでください」


周囲の人間が動き始めた。


男は立ち上がろうとしたが、掌から血がにじんでいることに気づいた。


そのとき、割れた木箱のそばで、一人の男が何かを拾い上げた。


男は、荷物を確認するふりをしながら、その小さな金属片を懐にしまった。


周囲の人間は、負傷者のことで手いっぱいだった。


しかし、男は見逃さなかった。


金属片の表面には、倉庫で見せられたものと似た形式の数字が刻まれていた。


拾い上げた男は、荷主らしい人物に短く何かを告げ、そのまま路地へ入っていった。


男は一歩踏み出しかけた。


だが、すぐに足を止めた。


負傷者を置いて追えば、助けを求める人間がいなくなる。


それに、今の自分は掌を傷めている。相手が複数なら、追いついたところで何ができるか分からない。


男は、近くの作業員に声をかけた。


「今の男を知っていますか?」


「いや。荷主の連れじゃないのか?」


「荷主はどの人ですか?」


作業員は、荷車のそばに立つ中年の男を指さした。


男は、その人物の顔を記憶した。


そして、路地へ消えた人物が拾った金属片についても、見たことと推測を分けて記録した。


金属片が同じ管理区分のものなのかは、まだ分からない。


だが、今度は誰かの匿名の指示を待つ必要がなかった。


自分の目の前で起きた出来事から、新しい接触先が生まれたのだ。


男は、負傷者の手当てが始まったことを確認してから、その場を離れた。


次に調べるべきものは、古い番号だけではない。


その番号に関わる人間が、現在どこで何をしているのか。


それを、自分の足で確かめる必要があった。

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