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観客のいない世界  作者: 亀


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第167章 記録にない場所

翌朝、男は紙片に書かれた番号を、これまで集めた荷札の記録と照合した。


直人が机の上に広げたのは、荷物の移動経路、倉庫の管理番号、そして過去に見つけた古い記録の写しだった。


「同じ形式の番号は、いくつかある」


直人が言った。


「だが、この番号そのものは、今までの記録にはない」


男は紙片を持ち上げた。


数字の並び方は似ている。けれど、番号の前につく記号が違っていた。


「管理区域が違うのかもしれない」


「それとも、同じ形式を別の組織が使っているか」


「そうだな。今の段階では、どちらとも言えない」


男は紙片を裏返した。


そこには何も書かれていなかった。


「昨日の男は、この場所に何かがあると言った。だが、そこに何があるのかは言わなかった」


「お前が見つけることを期待しているのかもしれない」


「あるいは、俺がそこへ行くこと自体に意味があるのかもしれない」


直人は腕を組んだ。


「行かないという選択肢は?」


「ある。ただ、行かなければ分からないこともある。相手が何を狙っているのか分からない以上、完全に避けることが安全だとも限らない」


男は、記録の中から倉庫の位置を示す古い地図を取り出した。


紙片に記された場所は、北の水路からさらに東へ進んだ区域にあった。


その一帯は、かつて荷物の一時保管に使われていたらしい。現在の地図では、倉庫の名称が一部変更されている。


「ここなら、歩いて確認できる」


「中へ入るつもりか?」


「まずは外から見る。誰かが管理している場所なら、いきなり中へ入る理由はない」


直人は頷いた。


「俺も一緒に行こうか?」


男は少し考えた。


「今回は別々に動こう。二人で同じ場所へ行けば、相手が俺たちをまとめて把握しやすくなる。直人は、この番号が使われている別の記録がないか探してほしい」


「分かった。何かあったら、決めておいた場所で合流する」


男は紙片をしまい、出発した。


*


目的地に近づくにつれ、街の様子が変わっていった。


商店の並ぶ通りを抜けると、古い倉庫や作業場が増えた。人通りは少ないが、完全に使われなくなった区域ではない。荷車が通った跡があり、建物の前には新しい足跡も残っていた。


男は地図を確認しながら進んだ。


紙片に記された番号が示す場所は、三つの倉庫が並ぶ一角だった。


一つ目の倉庫には、現在の管理番号が掲示されている。


二つ目は、扉が閉じられ、入口に修繕工事の札が掛かっていた。


三つ目には看板がなく、外壁の一部が崩れている。


男は、まず一つ目の倉庫を訪ねた。


入口にいた作業員に、紙片の番号を見せる。


「この番号の管理場所を探している。ここで分かるか?」


作業員は紙片を見たが、すぐに返した。


「うちの番号じゃない」


「以前、この辺りで使われていた番号かどうかも分からないか?」


「古い番号なら、管理所に聞いてくれ。俺たちは、今使っている番号しか知らない」


男は礼を言い、倉庫を離れた。


次に、修繕工事の札が掛かった倉庫へ向かった。


入口は施錠されていた。扉の隙間から中をのぞいても、積み荷は見えない。


ただ、入口の脇に新しい木材が積まれていた。


工事が完全に止まっているわけではないらしい。


男は周囲を歩き、建物の裏側を確認した。


壁の一部には、古い荷札を取り付けていたと思われる金具が残っていた。金具そのものは珍しいものではないが、取り付けられた位置が、以前見た倉庫と似ている。


男は記録に残し、最後の倉庫へ向かった。


こちらの建物は、外から見る限り、長い間使われていないようだった。


だが、入口の前には新しい車輪の跡がある。


男は足を止めた。


古い建物が残っていることと、現在も使われていることは別だ。


彼は入口に近づく前に、周囲を確認した。


人影はない。


扉は完全には閉まっておらず、わずかに隙間ができている。


男は、すぐに中へ入らなかった。


「誰かいるのか?」


声をかけたが、返事はなかった。


しばらく待ってから、もう一度声をかける。


今度は、建物の奥で物音がした。


男は入口から一歩離れた。


「誰だ?」


中から、若い男の声が返ってきた。


「荷物の記録を調べている。ここが、ある番号の管理場所なのか確認したい」


「番号は?」


男は紙片の番号を告げた。


沈黙が続いた。


やがて、扉の向こうから声がした。


「その番号を、どこで手に入れた?」


「荷物を運ぶ仕事の関係者からだ」


「名前は?」


「今は言えない」


「なら、こちらも答えられない」


男は、それ以上押し込まなかった。


「分かった。ここが管理場所でないなら、別の場所を探す」


立ち去ろうとしたとき、扉が少しだけ開いた。


隙間から、若い男の顔が見えた。


彼は男の姿を確かめると、周囲を警戒するように視線を動かした。


「その番号は、今は使われていない」


「いつまで使われていた?」


「知らない」


「記録は残っているのか?」


若い男は答えなかった。


「ここにあるのか?」


「違う」


返事が早すぎた。


男は相手を見たが、問い詰めなかった。


若い男は、何かを隠しているようにも見える。しかし、恐れているのか、単に面倒を避けたいのか、それだけでは判断できない。


「分かった。邪魔をしたな」


男が離れようとすると、若い男が小さな声で言った。


「この番号を探しているなら、管理所へ行っても無駄だ」


男は振り返った。


「なぜだ?」


「番号がなくなったんじゃない。番号を使う権限がなくなったんだ」


「誰の権限が?」


若い男は、口を閉じた。


扉の向こうから、別の物音がした。


若い男の顔色が変わる。


「もう帰れ」


「待ってくれ。もう一つだけ聞きたい」


「帰れと言っている!」


扉が閉まった。


男は、無理に開けようとはしなかった。


代わりに、若い男の言葉を記録した。


番号が使われなくなったのではなく、番号を使う権限が失われた。


それが正しいなら、単なる倉庫の管理番号ではない可能性がある。


だが、若い男が正確な情報を持っているとは限らない。聞きかじった言葉を繰り返しただけかもしれない。


男は、建物の前を離れた。


*


帰り道、男は一度だけ振り返った。


古い倉庫の入口は、閉じたままだった。


そこに記録があるのかどうかは分からない。


ただ、紙片に書かれた番号が、現在の管理所では確認できず、古い倉庫の若い男は、その番号を知っていた。


そして、番号を使う権限がなくなったと話した。


男は、以前見つけた記録を思い出した。


《契約終了後、権限を返却する》


《返却先が存在しない場合、接続は閉鎖される》


《後継者が存在する場合、権限の再申請を認める》


箱に関する記録には、権限の返却や再申請について書かれていた。


今回の番号と同じ仕組みだと決めつけることはできない。


しかし、単なる荷物の移動だけでは説明できない言葉が、少しずつ現れ始めている。


男は、足を止めた。


もし、番号を使う権限が失われたのなら、その権限を持っていた者はどこへ行ったのか。


そして、その権限が失われたことで、何が使えなくなったのか。


彼は、紙片を懐から取り出した。


番号の横に、新たな印を一つ書き加えた。


「権限停止の可能性」


それ以上のことは書かなかった。


まだ、推測にすぎないからだ。


*


直人と合流したのは、夕方だった。


直人は、別の記録を調べていた。


「同じ形式の番号が、古い運送記録に一つだけあった」


直人は紙を差し出した。


そこには、数年前の荷物の受け渡しが記されていた。番号は完全には一致しないが、前につく記号が同じだった。


「この記録によると、荷物は一度、受領先を失っている。その後、別の管理区域へ移されたらしい」


「移された理由は?」


「書かれていない。担当者の欄も空白だ」


男は記録を見つめた。


「権限を持つ者がいなくなったのかもしれない」


「今日、何か分かったのか?」


男は、倉庫で聞いた話を説明した。


直人は、紙片と古い運送記録を並べた。


「もし同じ仕組みなら、受領先が変わったことにも説明がつくのか?」


「可能性はある。でも、まだ別の記録を見つけただけだ。今日運んだ箱と、古い運送記録が直接つながっているとは限らない」


直人は頷いた。


「それでも、調べる方向は見えてきたな」


男は、二つの記録を重ねずに並べておいた。


まだ一つの結論にまとめる段階ではない。


だが、これまで追ってきた荷物の行き先と、古い契約に残された権限の記録が、同じ場所で交差する可能性が出てきた。


男は、紙片を保管した。


次に確認すべきなのは、番号そのものではない。


その番号を使う権限が、いつ、誰によって、どのような理由で失われたのか。


そこが分かれば、今日の荷の移動についても、別の角度から考えられるかもしれない。


しかし、調査を続けるには、もう一つ問題があった。


あの倉庫にいた若い男は、番号を知っていた。


そして、彼は男を追い返そうとした。


単に関わりたくなかっただけなのか。


それとも、そこに残っているものを守ろうとしていたのか。


男は、明日、もう一度あの倉庫へ行くべきか考えた。


今度は、一人で扉を叩くのではなく、若い男が何を守ろうとしているのかを確かめる必要がある。


番号を使う権限が失われたという言葉の意味は、まだ分からない。


だが、それが本当なら、失われたのは単なる荷物の行き先ではないのかもしれなかった。

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