第161章 仕事を配る男
翌朝、男は直人に一つの条件を伝えた。
「今日から、俺がどこへ行くかを、必要以上に人へ話さないでほしい」
直人は机の上の書類をまとめながら顔を上げた。
「受け入れ先にもか?」
「箱の移動に必要な情報は伝える。ただ、俺の調査については別だ。箱を預かる人間まで、余計な危険に巻き込みたくない」
「分かった。箱の移動は、相手の確認が済んでから進める」
男は頷いた。
昨日の荷置き場では、相手が三人いた。
それだけなら、逃げることもできる。だが、相手が仕事を配り、運搬経路を変え、記録を回収し、現場の人間を入れ替えているなら、問題は一つの倉庫では終わらない。
彼が追うべきなのは、荷を運んだ人間ではなく、荷を運ぶ仕事そのものを誰が動かしているのかだった。
最初に向かったのは、水路沿いにある小さな人材斡旋所だった。
荷運びや倉庫整理、工房の臨時作業員を紹介する場所で、入口には仕事の募集札がいくつも貼られている。
男は中に入り、受付の女性に尋ねた。
「最近、北の水路周辺で、臨時の荷運びを募集しているところはありますか」
女性は顔を上げた。
「北の水路ですか。あそこは今、荷の移動に制限があるので、通常の募集は減っています」
「通常ではない募集なら?」
「それは、依頼主と直接契約している人に聞いてください。こちらで紹介した仕事なら記録がありますが、個人間の依頼までは分かりません」
男は無理に聞き出さなかった。
「この一週間で、北の水路周辺の仕事を断った人はいますか」
女性は少し考え、帳面を開いた。
「何人かいます。急に仕事の条件が変わったとか、報酬の支払い方法が違うとか……ただ、断った理由は人それぞれです」
「条件が変わった仕事は、同じ依頼主から出されたものですか」
「依頼主の名前が違っていても、連絡先が同じというケースはあります。ただ、それだけで同じ人が関わっているとは言えません」
男はその言葉を記憶した。
名前が違う。
連絡先は同じ。
それは、同じ人間が複数の名前を使っている可能性もあれば、一つの仲介窓口が複数の依頼主を扱っているだけかもしれない。
現時点では、どちらとも判断できない。
「可能なら、条件変更があった仕事の記録を確認したいのですが」
「本人の同意がなければ、個別の記録は見せられません。ただ、募集条件の変更についてなら、公開されている範囲で説明できます」
女性は、掲示板から一枚の紙を外した。
そこには、臨時作業員の募集条件が記されていた。
報酬の一部は仕事の完了後に支払う。
指定された場所から離れないこと。
荷の内容について、依頼主の許可なく第三者へ話さないこと。
最後の条件には、特に強い注意書きが付いていた。
男は紙を見つめた。
「この条件は、以前からあったものですか」
「いえ。最近追加されたものです」
「どの依頼主が追加したのですか」
「複数あります。すべて同じ理由かどうかは分かりません」
男は礼を言い、斡旋所を出た。
情報を得ることはできたが、まだ仕事を配る男にはたどり着けていない。
ただ、現場で働く者たちが、荷の内容を知らされないまま運搬を請け負う仕組みは、少しずつ見え始めていた。
次に向かったのは、以前、荷車の記録を確認した商人の店だった。
店主は男の顔を見ると、すぐに奥から帳面を持ってきた。
「また荷車の話か?」
「今回は、荷車を借りる人間ではなく、仕事を手配する人間について聞きたい」
「同じようなものじゃないのか」
「違う。荷車を借りる者が自分で仕事を探している場合もある。誰かから仕事を渡されている場合もある」
店主は帳面を閉じた。
「お前は、何を見つけようとしている?」
「まだ分からない。だから、確かめている」
店主はしばらく男を見ていたが、やがて店の奥へ入った。
戻ってきたとき、手には古い受領書があった。
「この前、荷車を借りた男がいた。荷を運ぶ仕事を受けたらしいが、行き先は自分で決めていなかった」
「誰が行き先を決めた?」
「本人は、依頼主から指示されたと言っていた。俺が知っているのはそこまでだ」
「その依頼主の名前は?」
「受領書には別の商人の名前が書かれている。だが、荷車の代金を払ったのは、また別の人間だった」
男は受領書を見せてもらった。
そこには、荷車の貸し出し日、使用料、返却予定日、支払人の署名が記されていた。
しかし、依頼主と支払人の関係は書かれていない。
「この支払人を知っていますか」
「顔は覚えている。名前までは知らない」
「また来たら、知らせてもらうことはできますか」
店主はすぐには答えなかった。
「俺は、客のことをむやみに他人へ話す商売はしていない」
「分かっています。では、本人が同じ仕事を依頼してきたとき、俺がここに来ていたことだけ伝えてもらえませんか」
店主は男の意図を測るように目を細めた。
「何をするつもりだ?」
「相手が話をする気があるなら、話す。なければ、それまでだ」
「それで済む相手ならいいがな」
店主は受領書を帳面へ戻した。
「確約はできない。ただ、客に迷惑をかけない範囲なら考えておく」
男は礼を言った。
店を出ると、通りの向こうに見覚えのある人物がいた。
昨日、荷置き場の搬入口を塞いでいた男だった。
男はすぐに追わなかった。
相手は一人で歩いている。こちらにはまだ気づいていないように見えたが、確証はない。
男は通りの反対側へ移り、距離を保った。
相手は市場の裏手を通り、細い路地に入った。
男は路地の入口で足を止めた。
昨日の負傷を思い出す。
狭い通路に入れば、相手の人数が分からなくなる。背後を塞がれれば、逃げるのが難しくなる。
彼は路地へ入らず、近くの店で品物を選ぶふりをした。
しばらくして、路地から別の男が出てきた。
その男は、昨日、荷置き場で見た人物ではなかった。年齢も服装も違う。
二人はすれ違いざまに短く言葉を交わし、別々の方向へ歩き出した。
男は、昨日の人物ではなく、後から出てきた男の方を見た。
相手は通りの角にある小さな事務所へ入っていった。
看板には、運送業と臨時作業員の紹介を扱う会社名が書かれていた。
男はその場で立ち止まった。
仕事を配る男。
荷車の支払人。
運送業者。
臨時作業員。
それぞれの役割が、少しずつつながってきている。
だが、今見た男が仕事を配る本人なのか、単なる仲介者なのかは分からない。
男は事務所の看板と入口の位置を記憶し、すぐには入らずにその場を離れた。
相手の正体を知りたいからといって、何も準備せずに飛び込む必要はない。
まずは、事務所がどのような仕事を扱い、誰が出入りしているのかを確かめる。
そのためには、外から観察するだけでなく、正当な理由を持って中へ入る方法も考えなければならなかった。
男は通りを歩きながら、頭の中で手順を組み立てた。
一つ目は、公開されている募集条件を調べること。
二つ目は、荷車の支払人と仲介事務所の関係を確認すること。
三つ目は、臨時作業員の証言を、現物の荷札や記録と照合すること。
どれか一つだけで結論を出すつもりはなかった。
その日の夕方、男は直人のもとへ戻った。
直人は、箱の受け入れ先から届いた連絡を見ていた。
「保管場所の確認は終わった。相手も、こちらが指定した条件を受け入れている。ただ、移動するなら明日の午前中がいいそうだ」
「分かった。明日、俺も同行する」
「調査はどうする?」
男は、斡旋所で見た募集条件と、荷車の受領書、事務所の位置について説明した。
直人は話を聞きながら、紙に三つの名前を書いた。
「この三者がつながっている可能性はある。ただ、まだ証拠はない」
「そうだ。今の段階で、誰か一人を黒幕だと決めるつもりはない」
「でも、相手がこちらの動きを知っている可能性はある」
「だから、箱の移動は調査と切り離す。相手が俺を追っていても、箱の場所まで簡単には分からないようにする」
直人は紙を見つめた。
「お前は、箱を集めることが相手の望みと関係している可能性も考えているんだな」
男は答えるまでに少し時間を置いた。
「まだ、そう考えるだけの材料は足りない。ただ、箱を守ることだけに集中して、相手が箱をどう利用したいのかを考えないのも危険だと思う」
箱は、ただ古い品物を集めるためのものではない。
過去の契約と、返却されなかった権限。そして、後継者による再申請。
それらの記録が示すものを、男はまだ理解しきれていない。
相手が箱を欲しがっているのか、箱を集める男を利用したいのか、それとも別の目的があるのか。
今のところ、どれも可能性にすぎない。
「明日、箱を移す。調査はそのあとだ」
男はそう決めた。
自分の目的を進めるために、守るべきものを危険にさらす必要はない。
一方で、箱を安全な場所へ移せば、今までより自由に動けるようになる。
その自由を使って、相手の動きを待つのではなく、相手が仕事を配る仕組みへ踏み込む。
男は机の上の書類をまとめた。
翌日、箱は新しい保管場所へ移される。
そして彼は、仕事を配る男を探すために、初めて自分から運送の仕組みの内側へ入るつもりだった。




