第156章 奪われた許可
翌朝、男は一人で出かけた。
直人には、荷物の識別札と通行許可に関する記録を整理してもらうことにした。自分が外で何かを見つけても、それが以前の記録と一致するかどうかをすぐに判断できるようにするためだった。
目指すのは、荷役組合の管理所ではない。
通行許可を発行している部署でもなかった。
男が向かったのは、市場の外れにある小さな荷物保管所だった。
昨日、商人から聞いた話では、そこには配送先が決まるまでの荷物や、通行制限によって運べなくなった荷物が一時的に保管されているという。
もし通行許可と荷物の識別札が別々に管理されているのなら、その二つが現場で照合される場所を見つける必要があった。
保管所の入口には、荷物を運び込む人々が並んでいた。
男は受付で事情を説明した。
「通行制限の影響で、荷物の受け渡しが止まっていると聞きました。どのような手続きになっているのか、確認したいのですが」
受付の男は、警戒するように彼を見た。
「荷主ですか」
「違います」
「運送業者ですか」
「違います」
「では、こちらでお答えできることはありません」
予想していた返事だった。
男は無理に押し通そうとせず、入口の脇へ移動した。
保管所から出てくる人間と、入っていく人間を観察する。
荷物を受け取る者は、受付で書類を見せている。荷物を預ける者は、識別札を渡していた。
その手順自体は不自然ではない。
しかし、一度預けられた荷物が再び運び出されるとき、受付で確認される書類は必ずしも同じではなかった。
ある荷車の御者は、通行許可証を提示したあと、別の小さな札を渡されていた。
別の御者は、識別札だけを確認され、何も受け取らずに荷物を積み込んでいた。
荷物の種類が違うのか。
配送先が違うのか。
それとも、扱う担当者によって手順が違うのか。
男は、すぐに結論を出さなかった。
そのとき、保管所の奥から怒鳴り声が聞こえた。
「この荷物は、今日中に出す約束だったはずだ!」
男が振り返ると、三人の男が受付の前で言い争っていた。
そのうちの一人は、昨日、市場で通行を止められた商人だった。
「許可証はある。荷物の識別札も一致している。それなのに、どうして引き渡せないんだ」
受付の担当者は書類をめくった。
「こちらの記録では、保管の継続が指示されています」
「誰が指示した!」
「上からです」
「上とは誰だ!」
担当者は答えなかった。
商人は机を叩いた。
「荷物を返してくれ。取引先は今日まで待つと言っている。これ以上遅れたら、契約を取り消される」
「私の判断では動かせません」
「では、誰なら動かせるんだ!」
男は、そのやり取りを聞きながら、保管所の出入口を確認した。
商人の後ろには、荷物を積むための荷車が一台止まっている。荷車の脇には、二人の作業員が待機していた。
一人は荷物を見ている。
もう一人は、受付の奥にある扉を何度も気にしていた。
何かが起きるのを待っているようにも見えた。
その瞬間、奥の扉が開いた。
出てきた男は、受付の担当者に短い指示を出した。
「その荷物は引き渡すな。記録を変更する」
商人が振り返る。
「何を変更するんだ。許可は出ているだろう!」
「確認が必要になった」
「何の確認だ!」
「これ以上騒ぐなら、保管所から出てもらう」
商人は、相手の胸元をつかみかけた。
周囲の作業員が慌てて止める。
男は、そこで初めて動いた。
「記録を変更するなら、変更前の記録は残るんですか」
その場にいた全員が、こちらを向いた。
奥から出てきた男が、険しい目で尋ねた。
「お前は誰だ」
「通りかかった者です。ただ、許可証がある荷物を引き渡さないのなら、何を根拠に止めているのか確認したい」
「関係ない人間が口を挟むな」
「関係がないからこそ、今のやり取りを聞いて疑問に思っただけです」
男は、商人の書類を見た。
「許可証の発行元は、どこですか」
商人は戸惑いながらも、書類を示した。
男は発行元の印を確認し、続いて、荷物に取り付けられた識別札を見た。
昨日、直人から受け取った木片と似た刻印があった。
ただし、細部は違う。
男はそれを覚えておいた。
「この荷物を止める指示は、許可証を発行した部署から出たものですか」
奥から出てきた男は、答えなかった。
「それとも、保管所の管理者が独自に判断したのですか」
「質問は終わりだ」
男が近づいてきた。
「ここから出ていけ」
男は、相手の動きを見て、半歩だけ後ろへ下がった。
争うつもりはなかった。
だが、相手の手が伸びてきた瞬間、彼は腕をつかまれる前に身体の向きを変えた。
手の傷が痛んだ。
それでも、相手の力を正面から受け止めず、肩を引いて距離を取ることはできた。
「抵抗するのか!」
「触られたくないだけです」
男は声を荒らげなかった。
周囲の人間が見ている。
ここで殴り合いになれば、相手にとっても都合が悪いはずだった。
奥から出てきた男は、しばらく彼をにらんだあと、受付の担当者へ向き直った。
「荷物は奥へ移せ。記録は私が確認する」
作業員たちが動き出した。
商人が追いすがろうとしたが、別の作業員に止められた。
男は、荷物が運ばれていく方向を見た。
保管所の奥には、通常の荷物を置く区画とは別に、扉で仕切られた区域がある。
そこへ入る荷物は、外から見えなくなる。
彼は追わなかった。
今、追いかければ、また相手の都合で動くことになる。
それよりも、目の前で起きた変更を記録する必要があった。
許可証がある。
識別札もある。
それでも、誰かが指示を出せば荷物は止まり、記録まで変更される。
その指示が正当なものかどうかは、まだわからない。
だが、誰が変更を決められるのかという問題は、昨日までよりも具体的になった。
*
保管所を出ると、商人が後を追ってきた。
「さっきは、ありがとう」
「礼はいい。それより、あの荷物は何だ?」
商人は周囲を見た。
「金属部品だ。工房に届ける予定だった」
「どこの工房だ」
「それは言えない」
男はうなずいた。
「わかった」
商人は、少し意外そうな顔をした。
「聞かないのか」
「話したくないことを無理に聞いても、正確な情報は得られない」
商人はしばらく黙っていた。
やがて、声を落とした。
「ただ、一つだけ言っておく。あの保管所では、最近、荷物の扱いが変わっている」
「どう変わった?」
「以前は、許可証があれば引き渡しの手続きが進んだ。問題があれば、その場で荷主に確認が来た。ところが最近は、何の説明もなく荷物が奥へ移されることがある」
「いつからだ」
「はっきりとはわからない。北の水路が騒がしくなる少し前からだと思う」
男は、その言葉を記録した。
水路の封鎖より前。
もしそれが正しければ、封鎖がすべての問題の始まりではない。
別の仕組みが先に動き、その結果として水路の通行制限が必要になった可能性もある。
あるいは、両者は別々の事情で起きているのかもしれない。
「荷物を奥へ移す指示を出した人間を、知っているか」
商人は首を振った。
「名前は知らない。ただ、保管所の人間ではない。時々、外から来て指示を出している」
「その人間は、毎回同じか」
「たぶん。顔を覚えている者なら、いるかもしれない」
男は礼を言った。
商人は荷車へ戻り、別の担当者と話を始めた。
男は、その場を離れながら考えた。
通路を封鎖する者。
荷物の引き渡しを止める者。
記録を変更する者。
それぞれが同じ組織に属しているとは限らない。しかし、荷物の流れを変える力を持っていることは確かだった。
その力が、どこから与えられているのか。
そして、なぜ今、それが使われているのか。
そこを調べなければ、箱につながる荷物を見つけても、手に入れることはできない。
*
直人のもとへ戻った男は、保管所で見たことを説明した。
直人は、木片の写しと新しい記録を並べた。
「刻印の外側は似ているが、内側の線が違う」
「同じ管理番号の形式を使っている可能性はある。ただ、同じ管理者が扱っているとは限らない」
「では、次はどうする?」
男は、しばらく考えた。
以前なら、奥へ運ばれた荷物の行き先を追っていただろう。
だが、それではまた、見えない相手が選んだ荷物を追うことになる。
「記録を変更した人間を探す」
「保管所の男か?」
「指示を出した人間だ。保管所の男は、変更を実行できる立場かもしれない。でも、自分で決めたのか、誰かに命じられたのかはわからない」
直人は、記録を見下ろした。
「その人間を見つけたら、何を聞く?」
「誰が荷物を止める権限を持っているのか。どの記録を変更できるのか。そして、変更前の記録がどこに残るのか」
「答えてくれると思うか」
「答えないかもしれない」
男は、包帯の巻かれた手を動かした。
まだ痛みはある。
今日のように相手が力ずくで追い払おうとすれば、次はもっと危険になる可能性もある。
「だから、相手に直接聞く前に、確認できるものを増やす」
直人はうなずいた。
机の上には、箱に関する古い記録と、最近の荷物の移動に関する記録が並んでいた。
今のところ、両者がつながっていると証明するものはない。
だが、男が追っているものを手に入れるには、荷物が運ばれる道だけでなく、その道を管理する仕組みを理解する必要がある。
彼は記録の端に、新しい項目を書き加えた。
「荷物の移動を止める権限と、記録を変更する権限は、同じ者が持っているのか」
その問いに答えが出れば、次に誰を調べるべきかも見えてくるはずだった。
しかし、その夜、男が記録を整理していると、直人が窓の外を見て立ち止まった。
「誰かいる」
男はすぐに立ち上がった。
窓の外、通りの反対側に、一人の男が立っていた。
こちらを見ているようにも見える。
だが、男が窓へ近づくと、その人物はゆっくりと歩き出した。
追うべきか。
男は一瞬だけ考えた。
そして、動かなかった。
今、追いかければ、相手が望んでいる場所へ自分から向かうことになるかもしれない。
代わりに、男はその人物の歩き方、服装、曲がった道を記録した。
「追わないのか」
直人が尋ねた。
「今日は追わない」
男は窓から離れた。
「相手が俺を見ていたのなら、こちらが気づいたこともわかっているはずだ。次に何をするか、少し待つ」
彼は、机の上の記録を閉じた。
箱の謎は、まだ解けていない。
水路の封鎖も、荷物の行き先も、誰が裏で指示を出しているのかもわからない。
だが、今度は相手の動きを待つことも、彼自身が選んだ行動だった。
そして、彼が知らないところで、保管所の奥に運び込まれた木箱には、新しい札が取り付けられていた。
その札には、以前の記録とは異なる番号が記されていた。




