第152章 誰のための道
男は、その夜、直人に倉庫で起きたことをすべて話した。
匿名の手紙に書かれていた水路の図。
配送先をめぐる作業員たちの口論。
箱について知っていると話しかけてきた若者。
そして、倉庫から木箱を運び出した二人と、暗がりから声をかけてきた人物。
直人は途中で何度か質問したが、男は分かっていることと、推測にすぎないことを分けて答えた。
「つまり、箱があったかどうかも分からないんだな」
「ああ。運び出されたのは普通の木箱だった。中身も確認できていない」
「それなのに、あの場所へもう一度行くのか?」
「行く。ただし、相手が指定した時間に、指定された場所へ、そのまま向かうつもりはない」
男は地図を広げた。
水路の曲がり方。
古い倉庫の位置。
資材置き場から出ていった荷車の方向。
覚えている範囲で、順番に書き込んでいく。
「昼間の若者は、俺が箱を探していると知っていた。だが、俺が何を持っているのか、どこまで調べたのかは分からない。相手が本当に情報を持っているなら、こちらから何を聞くかによって、向こうの知識も測れる」
直人は腕を組んだ。
「逆に、向こうが俺たちの情報を探っている可能性もある」
「そうだ。だから、箱や古い記録の保管場所については話さない」
男は地図の端に印をつけた。
「まず、今日見た荷車がどこへ向かったのかを確認する。倉庫にもう一度入る必要はない。外から確認できる範囲で、何が運ばれているのかを調べる」
「それで何も分からなかったら?」
「そのときは、別の方法を考える」
男は地図を折りたたんだ。
今までの調査では、情報が足りないと感じるたびに、さらに近づいて確かめようとしていた。
それは必要なこともあったが、相手が自分の動きを把握している場合には危険だった。
自分が何を知っているかだけでなく、相手が自分について何を知っているのか。
それも考えなければならない。
⸻
翌朝、男は市場へ向かった。
最初に訪れたのは、荷車を扱う商人のところだった。
男は昨日見た荷車の特徴を説明し、似た車両がどの方向へ向かったのか、確認できる範囲で尋ねた。
商人は、すぐには答えなかった。
「荷車なんて、毎日何十台も通る。色と大きさだけじゃ分からないな」
「車輪の片側に、金属の補強がありました。荷台の後ろには、横向きの板が一本ついていました」
「それなら、見覚えがあるかもしれない」
商人は少し考えた。
「ただ、俺が見たとしても、どこへ行ったかまでは知らないぞ」
「見たかどうかだけでも構いません」
商人は、荷車の特徴を聞きながら、店の脇に置かれた古い帳面をめくった。
しばらくして、ある日の記録を指で押さえた。
「これと同じかどうかは分からないが、昨日、似た荷車が北側の通路を通ったという記録がある。運んでいたのは資材だ」
男は記録の内容を確認した。
荷主の名前は、昨日の配送依頼に書かれていたものとは違っていた。
「この荷主は、どこから資材を仕入れているのでしょうか?」
「取引先までは知らない。うちは運搬を請け負っただけだ」
男は礼を言い、店を出た。
荷主が違うからといって、昨日の荷車と無関係とは限らない。
反対に、北側を通ったというだけで同じ荷物だと決めることもできない。
今のところ、得られたのは一つの可能性にすぎなかった。
それでも、昨日の倉庫だけを見ていたときより、確認できる範囲は少し広がった。
⸻
昼前、男は市場の外れで、昨日の若い作業員を見つけた。
若者は荷物を運び終え、建物の脇で休んでいた。
男が近づくと、若者はすぐに立ち上がった。
「昨日は、どうしてあの倉庫へ来たんですか?」
男は先に尋ねた。
若者は周囲を見た。
「ここで話すことじゃありません」
「では、話せる場所を教えてください。ただし、あなたが指定した場所へ、何も確認せずに行くつもりはありません」
若者は男を見つめた。
「警戒しているんですね」
「あなたが何を知っているのか分からないからです。こちらも、あなたに何を話せるのか決められません」
若者は少し黙った。
やがて、低い声で言った。
「俺は、あの倉庫に何があるのか、全部知っているわけじゃありません。ただ、古い記録を探している人間が来たら、知らせるように言われていました」
「誰に?」
「名前は言えません」
「その人物は、箱について何を知っているんですか?」
若者は答えなかった。
男は質問を変えた。
「あなたは、俺に何をさせたいんですか?」
「俺は、あなたが自分で判断すると思っています」
「それなら、なぜ最初から情報をすべて話さないんですか?」
若者は視線を落とした。
「話せば、俺がここで働けなくなるかもしれない」
その言葉には、少なくとも現実的な理由があった。
若者が嘘をついている可能性はある。
しかし、仕事を失う危険を避けたいという事情も、十分に考えられる。
男は少し考えたあと、告げた。
「俺は箱を探しています。祖先が残したものを調べるためです。ただ、あなたが誰かに命令されているのなら、その命令の内容まで俺に隠している可能性があります」
若者は何も言わなかった。
「あなたが協力するかどうかは、自分で決めてください。ですが、俺をどこかへ誘導することが目的なら、その理由を確かめるまでは従いません」
男はそれ以上、問い詰めずに立ち去った。
若者は呼び止めなかった。
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帰り道、男は自分の言葉を振り返っていた。
相手を疑うことと、相手を敵だと決めつけることは違う。
若者が誰かに命じられているとしても、彼自身の目的が命令した人物と完全に一致するとは限らない。
仕事を失いたくないのかもしれない。
何かを守ろうとしているのかもしれない。
あるいは、男を利用することで、自分の立場を変えようとしている可能性もある。
どれも、今の段階では推測だった。
男は市場の掲示板の前で足を止めた。
新しい配送依頼が貼り出されている。
その中に、昨日の資材置き場で見たものと似た部品の名前があった。
届け先は、北の水路から離れた別の地区だった。
男は依頼の内容を記録した。
その場で関係者に質問することはしなかった。
同じ部品が別の場所へ運ばれているという事実だけでは、何も断定できない。
しかし、もし配送先の変更が複数の取引で起きているなら、それぞれの取引に関わった人間を調べることで、共通する部分が見つかるかもしれない。
男は、これまでの記録と新しい依頼を照らし合わせることにした。
その調査が、箱の秘密につながるのか。
それとも、別の問題を明らかにするだけなのか。
まだ分からなかった。
⸻
夕方、男が直人のもとへ戻ると、机の上に新しい紙が置かれていた。
直人が、これまでの記録を整理する途中で見つけたものだった。
「昨日の匿名の紙片と、箱について書かれた古い記録を比べていたんだ」
直人は二枚の紙を並べた。
「ここを見てくれ」
男は、紙片に書かれた数字と、古い記録に残された番号を見比べた。
数字の並びは完全には一致していない。
だが、同じ形式で記されている箇所があった。
「これは、何を意味しているんだ?」
直人が尋ねた。
「まだ分からない。ただの管理番号かもしれないし、別の意味があるのかもしれない」
男は二枚の紙を分けて置いた。
「でも、少なくとも、昨日の紙片を調べる理由はできた」
彼は新しい記録を作り、確認できた一致点と相違点を書き出した。
そのあと、箱を保管している場所を確かめた。
箱は以前と同じ場所にある。
封印にも、外から確認できる範囲では変化がなかった。
男は、箱を開けようとはしなかった。
今はまだ、開けるための条件がそろっていない。
必要なのは、焦って手を出すことではなく、箱がどのような記録や権限と結びついているのかを、少しずつ明らかにすることだった。
男は最後に、翌日の予定を書き込んだ。
北の水路へ戻る前に、もう一つだけ確認しておきたいことがあった。
昨日、倉庫から木箱を運び出した二人は、どこへ向かったのか。
そして、暗がりから自分に声をかけた人物は、なぜあの場所にいたのか。
男は、匿名の手紙を引き出しにしまった。
誰かが用意した道筋を進むこと自体が、必ずしも間違いとは限らない。
だが、その道の先に何があるのかを知らないまま進めば、相手に都合のいい場所へ連れていかれる可能性がある。
男は、次に動く前に、自分が選べる道を増やすことにした。




