第十五章 測れない価値
未来の管理室では、朝も夜もなかった。
正確には、朝も夜も存在していた。
ただ、そこで働く人間たちにとって、それは仕事の区切りではなかった。
画面の数字が更新されるたびに、一日の意味も変わる。
観測者数。
平均滞在時間。
再訪率。
支援数。
離脱率。
予測誤差。
プロジェクトごとに、それらが並んでいる。
女性は、自分が担当するプロジェクトの画面を見ていた。
前日より観測者は増えている。
しかし、それだけではなかった。
「この数値、少し変ですね」
部下が言った。
「どれ?」
「視聴時間です」
画面が拡大される。
戦闘が発生した時間。
観測者は増える。
大きな事件が起きた時間。
さらに増える。
ところが。
事件が終わった後も、観測者が減らない。
むしろ、ゆっくりと増えていた。
「戦闘が終わってからも、離脱率が低い」
「はい」
「次の事件を待っている?」
「最初はそう考えました」
「違う?」
「データを見る限り、違います」
女性は画面を見た。
そこには、地下施設の映像があった。
青年が椅子に座っている。
黒服の男は壁にもたれている。
直人は古い端末を調べている。
軍服の男は別の場所にいる。
何も起きていない。
少なくとも、表面的には。
「この時間の視聴者が多い」
「はい」
「何を見ているの?」
「分かりません」
部下が答えた。
「会話もほとんどない。戦闘もない。新しい情報も少ない」
「それでも?」
「観測が続いています」
女性はしばらく画面を見た。
青年が立ち上がった。
水を飲む。
棚を開ける。
古い資料を一枚取り出す。
それだけだった。
「この部分を切り取ったら?」
部下が聞いた。
「どうなると思います?」
「短い映像にして、重要な場面だけ残せば、もっと多くの人が見る可能性があります」
「たぶん」
「なら、編集しますか?」
女性は答えなかった。
画面には、青年が資料を読んでいる姿が映っている。
未来の人間から見れば、退屈な時間だった。
だが。
観測者は離れていなかった。
むしろ。
少しずつ増えている。
「編集した場合の予測値は?」
「短期的には上がります」
「長期では?」
「不明です」
「過去の類似プロジェクトは?」
「短期的な視聴率は上がりました。ただ、その後の離脱率も高くなっています」
「理由は?」
「次の刺激を期待するようになるからです」
女性は画面を見た。
「つまり、刺激を増やすほど、刺激がない時間の価値が下がる」
「そういう傾向があります」
彼女は少し考えた。
「逆に、このプロジェクトでは?」
「刺激がない時間にも観測が続いています」
「なぜ?」
「それが分かりません」
部下はそう答えた。
女性は椅子から立ち上がった。
別の資料を開く。
過去に終了した歴史観測プロジェクトのデータだった。
どれも似た形をしている。
事件。
対立。
危機。
解決。
次の事件。
その繰り返し。
運営側は、視聴者が離れないように介入する。
出演者に新しい情報を与える。
敵を配置する。
資源を調整する。
偶然を増やす。
危機を延長する。
そして。
数字を上げる。
「このプロジェクトでは、介入回数が少ない」
女性が言った。
「はい」
「それなのに、数字が上がっている」
「はい」
「むしろ、介入した後より、介入していない時間の方が継続率が高い」
部下が少し驚いた。
「確認します」
データが再計算される。
数秒後。
「……本当です」
「もう一度」
「はい」
再計算。
結果は変わらない。
女性は画面を見た。
「このデータ、今までの評価方式ではどう処理されてる?」
「通常通りです」
「つまり?」
「事件が起きた時の価値が高く評価されます」
「事件がない時間は?」
「基本的には低評価です」
「でも実際の観測者は?」
「離脱していません」
女性は黙った。
そこに一つの違和感が生まれた。
今までの評価方式は。
何が起きたかを測っていた。
しかし。
観測者が何を見たいと思っているのかまでは、正確に測っていなかった。
「モデルを変える必要があります」
女性が言った。
部下が顔を上げた。
「新しい評価モデルですか?」
「すぐには作らない」
「では?」
「まず、介入を減らします」
「減らす?」
「はい」
「プロジェクトの成長を妨げる可能性があります」
「分かっています」
「予算審査にも影響します」
「分かっています」
「それでも?」
女性は画面を見た。
「今の数字が、本当にこのプロジェクトの価値を測れているか確認したい」
その日の午後。
最初の介入申請が上がってきた。
青年たちの移動経路に、新しい敵を配置する提案。
目的は明確だった。
緊張感を高める。
観測者を増やす。
視聴時間を延ばす。
女性は申請書を読んだ。
「却下」
部下が驚く。
「理由は?」
「必要性が確認できない」
「危機が減ります」
「それが問題?」
「観測者が離れるかもしれません」
「なら、離れるかどうかを見ましょう」
申請書が閉じられた。
数時間後。
青年たちは敵と遭遇しなかった。
何も起きない。
彼らは地下施設を出て、別の場所へ移動した。
直人が道を間違えた。
黒服の男が文句を言った。
青年は地図を見ながら笑った。
その後。
四人は小さな食料店に入った。
食料を買う。
店員と短い会話をする。
金を払う。
店を出る。
それだけだった。
未来の画面では。
観測者数が少し増えた。
女性は数字を見た。
「……増えた」
部下も見ていた。
「はい」
「何も起きていないのに」
「はい」
「この時間を編集したら?」
「……たぶん、短期的には数字が下がります」
「そう」
女性は画面を閉じなかった。
青年たちは歩いている。
何かを探している。
何をするかは、まだ誰にも分からない。
未来の誰かがコメントを残した。
――「この人たち、次にどこへ行くんだろう」
別の誰か。
――「何も起きてないのに、なんとなく見てしまう」
さらに別の誰か。
――「この時代の普通の生活が見たい」
女性は、その言葉を見つめた。
普通の生活。
今までの評価項目にはなかった。
戦闘。
事件。
危機。
勝敗。
そうしたものは測れる。
だが。
人が何もせずに過ごす時間を、どう測るのか。
誰かが誰かと話す時間を。
道を迷う時間を。
食事をする時間を。
明日の予定を考える時間を。
それらを一つの数字にする方法は、まだなかった。
女性は画面の隅にある小さな項目を開いた。
そこには。
――予測不能行動。
と表示されていた。
現在値は異常に高い。
彼女は、その項目をしばらく見ていた。
「……これかもしれない」
「何がですか?」
「このプロジェクトの価値」
部下は意味が分からないようだった。
女性は続けなかった。
まだ、仮説に過ぎない。
ただ一つだけ。
彼女には分かり始めていた。
これまで自分たちが「価値」と呼んでいたものは。
実際に存在する価値の一部しか測っていなかったのかもしれない。
そして。
測れないものを切り捨てることと。
存在しないと判断することは。
同じではなかった。




