第144章 動き出した条件
翌朝、男は前日に記録した荷物の一覧を持って、別の通りへ向かった。
昨日と同じ倉庫を見張り続けても、新しい情報が得られるとは限らない。
それよりも、荷物が運び込まれた先で何が起きているのかを確かめたかった。
直人には、昼までに戻れなかった場合の連絡方法を伝えてある。箱と記録類はこれまでどおり彼に預け、必要な資料だけを持ち出した。
市場の西側は、東側よりも道幅が狭かった。
小さな工房が並び、材料を積んだ荷車が人の流れを避けながら進んでいる。店先では職人たちが品物を確認し、運搬人に受け取りの印を渡していた。
男は通りの入口で立ち止まった。
昨日見た荷物と同じ種類の金属部品が、別の工房へ運ばれている。
だが、荷車の印は違っていた。
男は荷車が通り過ぎるのを待ってから、工房の看板と時刻を記録した。
その直後、工房の奥から一人の男が出てきた。
男は運搬人と短く話し、荷物を受け取ると、運搬人に紙片を渡した。
運搬人は紙片を確認し、懐へしまった。
それだけなら、受け取りの確認書か支払いに関する書類だろう。
しかし、運搬人はその場を離れる前に、通りの向こうを一度だけ見た。
視線の先には、使われていない小さな倉庫があった。
男はそちらを見たが、何も起きなかった。
追いかけるべきか。
一瞬そう考えたものの、すぐには動かなかった。
昨日までの記録と照らし合わせても、同じ倉庫が関係しているとは断定できない。運搬人が単に道を確認しただけという可能性もある。
男はまず、荷物を受け取った工房の様子を観察することにした。
工房の入口には、材料を待つ職人が二人いた。
そのうち一人が、運び込まれた部品を確認して首を振った。
「これでは数が足りない」
「伝票では、これで全部だ」
運搬人はそう答えた。
「なら、どこかで積み替えたのか?」
「俺は受け取ったものを運んだだけだ。途中のことまでは知らない」
二人は言い争いを始めた。
男は距離を保ったまま、会話の一部を聞いた。
部品が不足している。
しかし、それが意図的なものなのか、単純な配送ミスなのかは分からない。
しばらくすると、工房の主人らしい人物が出てきて、伝票を確認した。
「前にも同じことがあったな」
その言葉に、男は記録を取る手を止めた。
前にもあった。
それは一つの手掛かりになり得る。
ただし、部品の不足が繰り返されていることと、昨日の倉庫が関係していることは別の問題だ。
男は工房の名前と会話の内容だけを記録し、その場を離れた。
⸻
昼前、男は市場の端で、再会した男と合流した。
「何か分かったか?」
相手が尋ねた。
「部品の不足が繰り返されている工房を見つけた。ただ、原因は分からない」
「不足した部品は、どこへ行ったと思う?」
「まだ考えていない」
「考えないのか?」
「考えることはできる。でも、今ここで一つに決めても意味がない」
男は記録を見せた。
「工房の主人は、以前にも同じことがあったと言っていた。だから、次に確認するのは不足の原因ではなく、過去にも同じ配送経路を使っていたかどうかだ」
相手は記録に目を落とした。
「それが分かれば?」
「特定の経路だけで起きているのか、複数の経路で起きているのかを比較できる。もし特定の経路に偏っていれば、そこを重点的に調べる理由ができる」
「なるほど」
相手は紙を返した。
「俺の組織でも、似たような調査をすることがある。問題が起きた場所だけを調べると、原因を見誤ることがあるからな」
「お前の組織は、何を調べているんだ?」
男が尋ねると、相手はわずかに間を置いた。
「地域の物流や、いくつかの事業の動きだ。詳しいことは、まだ話せない」
「今回の件も、その仕事に関係しているのか?」
「可能性はある。ただ、俺自身も全部を把握しているわけじゃない」
男は相手の顔を見た。
以前なら、ここで問い詰めていたかもしれない。
しかし、相手が何を知っていて、何を知らないのかを、今の段階で正確に区別することはできない。
「分かった。ただ、俺の調査に直接影響することが分かったら、話せる範囲で教えてくれ」
「約束する」
「その約束を、どこまで守れるかはお前が決めることだ。ただし、隠したことで俺が危険になるなら、そのときは一緒に行動する方法を考え直す」
相手は少しだけ表情を変えた。
「厳しいな」
「一緒に行動することと、何もかも信じることは違う」
「それは分かっている」
二人はそれ以上、組織について話さなかった。
代わりに、男は工房で起きたことを説明し、相手の意見を聞いた。
相手は、配送の記録を調べるなら、受け取り側だけでなく、材料を発注した側にも目を向けるべきだと指摘した。
「発注元が同じなら、配送の途中で何かが起きている可能性がある。発注元も違うなら、工房側の管理や需要の変化も考えられる」
「確かに、その比較は必要だな」
男は記録に一行を書き加えた。
相手の助言は役に立つ。
しかし、役に立つ助言をしたからといって、相手のすべてを信用できるわけではない。
その二つを、男は以前よりも自然に分けて考えられるようになっていた。
⸻
午後、二人は工房から少し離れた場所で別れた。
再会した男は、指定された連絡場所へ向かった。
そこには、組織から渡された新しい指示が置かれていた。
彼は内容を確認し、しばらく動かなかった。
指示には、現地で接触すべき人物と、報告すべき項目が記されていた。
だが、そこには、男の旧友が調べている工房の名前も含まれていた。
彼はもう一度、書類を読み直した。
偶然なのか。
それとも、組織がすでに同じ動きを把握していたのか。
今の情報だけでは判断できない。
彼は指示を破棄せず、内容を記憶してから元の場所へ戻した。
任務を放棄すれば、組織の中で得た立場も、今後使える資源も失うかもしれない。
一方で、指示どおりに動けば、旧友の調査を妨げることになる可能性があった。
彼は、どちらかをすぐに選ぶことを避けた。
まずは、指示の範囲を確認する。
誰に接触するのか。
何を報告する必要があるのか。
そして、自分が直接行動しなければならない部分はどこなのか。
すべてを知ることはできなくても、自分が何をするのかは把握できる。
彼はそう考え、次の連絡を待つことにした。
⸻
夕方、男は直人のもとへ戻った。
直人は、午前中に男が残していった記録を整理していた。
「何か進展はあったか?」
「少しだけ。部品の不足が繰り返されている工房を見つけた」
男は新しい記録を机に広げた。
「明日は発注元と配送経路を確認する。そこで関係が見つからなければ、別の原因を考える」
直人は記録を確認しながら、入口に置かれていた紙片のことを思い出した。
「そういえば、あの紙片だけど」
男は顔を上げた。
「何か分かったのか?」
「いや。まだ何も。ただ、数字と記号の並びを、以前の記録と照らし合わせてみた」
直人は紙を一枚差し出した。
「完全に一致するものはなかった。ただ、数字の一部は、以前に記録した荷物の番号と同じ形式に見える」
男は紙片の写しを確認した。
数字は似ている。
だが、番号の形式が似ていることと、同じ仕組みで使われていることは違う。
「元の紙片は?」
「ほかの記録とは分けて保管してある」
「そのままでいい。今は無理に結びつけないでおこう」
直人はうなずいた。
男は二つの記録を並べた。
一方には、荷物の流れと工房の情報。
もう一方には、入口に残された紙片の記号と数字。
まだ両者を結びつける根拠はない。
それでも、今後の調査で新しい情報が得られれば、比較できる材料にはなる。
男は紙片の写しに日付を書き、別の封筒へ戻した。
明日、調べるべきことは決まっている。
だが、調査を進めるほど、自分が見ている範囲の外にも、同じ問題を追っている人間がいる可能性が見えてきた。
それが協力者なのか、競争相手なのか、あるいは別の目的を持つ者なのか。
今はまだ分からない。
男は明日の予定を書き終え、灯りを消した。
次に確かめるのは、荷物がどこから来たのかということだった。




