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観客のいない世界  作者: 亀


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第140章 以前とは違う

男は、再会した相手をすぐには連れて帰らなかった。


二人で歩きながら、互いの近況を話すこともしなかった。


以前なら、聞きたいことはいくらでもあったはずだ。


どこへ行ったのか。何をしていたのか。なぜ突然姿を消したのか。


だが、今はそれ以上に確かめなければならないことがある。


相手がどのような力を手に入れたのか。


そして、その力をどこまで自分の意思で使えるのか。


「少し付き合ってくれ」


男は市場の外れにある空き地を指した。


「何をする?」


「お前の言う力を見せてもらう」


相手は男の顔を見たあと、うなずいた。


「いいだろう」


空き地には古い木箱や壊れた荷車が置かれていた。人通りは少ないが、完全に人目がないわけではない。


男は周囲を確認し、荷車の陰に積まれた木材から少し距離を取った。


「ここでいい」


「お前は相変わらずだな」


「何が?」


「最初に逃げ道を確認するところだ」


男は答えなかった。


以前からそうしていたのか、それとも最近の経験によって意識するようになったのか、自分でもはっきりしない。


相手は空き地の中央へ進み、右手を軽く上げた。


「どうすればいい?」


「俺に向かって攻撃してみろ。ただし、本気で傷つけるつもりなら、ここで終わりだ」


「分かった」


相手は一度、深く息を吐いた。


次の瞬間、地面を蹴った。


速い。


男は反射的に横へ移動した。


相手の手が、先ほどまで男の肩があった場所を通り過ぎる。


男は距離を取ろうとしたが、相手はすでに体勢を立て直していた。


二度目の接近。


今度は正面からではない。


男は腕で受けようとせず、身体をひねって攻撃の線から外れた。相手の動きがわずかに乱れたところで、男は足元へ踏み込もうとした。


だが、相手は後退して距離を取り直した。


二人は向かい合った。


男は息を整えた。


今の攻防で分かったことはある。


相手の動きは速くなっている。以前なら追いつけなかったかもしれない。


しかし、動きが速いからといって、すべての攻撃が避けられないわけではない。接近する前の重心移動、踏み込む足、肩の動き。そうした変化は、今も見ることができた。


「どうだ?」


相手が尋ねた。


「速くなったな」


「それだけか?」


「今のところは」


相手は苦笑した。


「相変わらず、簡単には認めないんだな」


「認めることと、信用することは別だ」


男はそう答えた。


「それに、今のはお前が俺に合わせていた。実際の戦いで同じように動くとは限らない」


相手の表情が少し変わった。


否定はしなかった。


「確かにそうだ」


彼は自分の手を見つめた。


「以前の俺なら、今の動きはできなかった。ここへ来てから、少しずつできることが増えたんだ。最初は、何が変わったのかも分からなかった」


「誰かに教わったのか?」


「教わったこともある。でも、それだけじゃない」


相手は言葉を探すように間を置いた。


「力を使う機会が増えた。失敗もしたし、負けたこともある。何度も試して、ようやく自分の使い方が分かってきた」


男はうなずいた。


その説明なら理解できる。


力を得たことと、力を使いこなせることは同じではない。経験を積み、失敗を繰り返し、ようやく自分のものにしていく。


自分もまた、そうする必要があるのだろう。


「もう一度やるか?」


相手が尋ねた。


「いや」


男は首を振った。


「今度は、お前が俺の動きを見てくれ」


「何を見ればいい?」


「俺が何を見ているかだ」


相手は一瞬、意味が分からないという顔をした。


男は続けた。


「さっき、お前が攻撃してきたとき、俺はお前の肩と足を見ていた。だが、攻撃を避けることに集中すると、周囲が見えなくなる」


「それで?」


「実際の戦いなら、周囲も使わなければならない。俺が何を見落としているのか、お前の目から教えてほしい」


相手は空き地を見回した。


「分かった。ただし、俺もすべてを見抜けるわけじゃない」


「それでいい」


男は木箱の近くへ移動した。


今度は、相手が攻撃する役ではない。


男が周囲を観察しながら動き、相手がその様子を確認する。


男は最初、空き地の出入口と荷車の位置を確認した。次に、地面の石や木材の配置を見て、移動できる範囲を頭の中で整理した。


その後、相手に合図を送った。


相手はゆっくりと近づいた。


男は距離を取りながら、足元の障害物を避けた。相手の進路を予測し、木箱の横へ移動する。


そこで、相手が足を止めた。


「今、何を見ていた?」


「お前の進路と、背後の木箱だ」


「木箱は見ていた。だが、地面は?」


男は足元を見た。


木箱の近くには、細い縄が落ちていた。さきほどから視界に入っていたはずだが、移動の計算には含めていなかった。


「見えてはいた。でも、意識していなかった」


「そういうことだ」


相手は縄を拾い上げた。


「目に入っているものと、判断に使っているものは違う。全部を意識するのは無理だが、危険が起きたときに何が邪魔になるかは、考えておいたほうがいい」


男は縄を見た。


昨日、青年から聞いた話と似ている。


偶然なのか、それとも誰もが経験を積めば同じような考えにたどり着くのか。


今は分からない。


ただ、二人の話は同じ方向を向いていた。


強くなるためには、力を増やすだけでは足りない。


自分が何を見て、何を見落とし、どこで判断を誤るのかを知る必要がある。


「もう一度、やってみる」


男はそう言った。


今度は、相手の動きだけを追わなかった。


出入口までの距離。


足元の石。


荷車の位置。


相手の肩と重心。


それらを同時に意識しようとした。


結果は、うまくいかなかった。


相手が動き始めると、男の視線はそちらへ引き寄せられた。足元への注意が薄れ、木箱の角に肩をぶつける。


男は体勢を崩し、片膝をついた。


「大丈夫か?」


「問題ない」


男は立ち上がった。


膝には痛みがあったが、動けないほどではない。


「今のは失敗だな」


相手が言った。


「見れば分かる」


「だが、何を失敗したのか分かっているなら、次は変えられる」


男は息を整えた。


以前なら、失敗したこと自体を気にしていたかもしれない。


だが、今は違う。


何が起きたのか。


なぜ起きたのか。


次に同じ状況になったら、何を変えられるのか。


その順番で考えればいい。


「今日はここまでにしよう」


男が言うと、相手は少し意外そうな顔をした。


「もう終わりか?」


「これ以上やっても、疲れて判断が鈍るだけだ。続きは別の日にする」


相手は笑った。


「ずいぶん慎重になったな」


「慎重にならなければ、生き残れないこともある」


男は空き地の出口へ向かった。


相手も隣に並んだ。


しばらく歩いてから、男は尋ねた。


「これから、どうするつもりだ?」


「お前の近くにいる」


「それだけか?」


「今はな」


相手は前を向いたまま答えた。


「俺にも、やらなければならないことがある。だが、お前を助けたいと思っているのは本当だ」


男は、その言葉を否定しなかった。


しかし、全面的に信じたわけでもない。


今の相手には、以前にはなかった力がある。


それを利用できれば、自分一人では進めなかった場所へ行けるかもしれない。


同時に、相手には相手の事情がある。


それを知らないまま、すべてを預けることはできない。


「なら、しばらく一緒に行動してみよう」


男は言った。


「ただし、互いに知らないことまで、知っているふりをするのはやめよう」


相手は足を止めた。


そして、ゆっくりとうなずいた。


「ああ。それでいい」


二人は再び歩き始めた。


かつて別れたとき、二人の間には埋められない力の差があった。


今、その差がなくなったわけではない。


ただ、以前にはできなかったことを、今度は試せるようになった。


それだけでも、二人が再び並んで歩く理由にはなった。

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