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観客のいない世界  作者: 亀


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第141章 同行の条件

翌朝、男が目を覚ますと、直人はすでに起きていた。


机の上には、昨夜のうちに整理した記録が広げられている。箱に関する資料、これまでの調査で得た情報、殺手組織について書き留めた内容。それらは種類ごとに分けられ、すぐに取り出せるようになっていた。


「早いな」


男が声をかけると、直人は顔を上げた。


「お前が帰ってくるのが遅かったからな。何かあったのかと思った」


「少し話をしていた」


「誰と?」


「以前、一緒に行動していた人間だ」


直人は手を止めた。


「前に離れた、あの人か?」


「そうだ」


「戻ってきたのか」


「偶然会った。しばらく一緒に行動することになった」


直人はすぐには返事をしなかった。


男は、その反応を見て尋ねた。


「何か問題があるか?」


「問題があるかどうかは、まだ分からない。ただ、お前が一人で調査を続けるつもりだったことは覚えている」


「今でも、基本的には変わらない」


「なら、何が変わった?」


男は少し考えた。


「俺一人では、足りないものがあると分かった。それに、相手が何をできるのか確かめる必要もある」


直人は記録を閉じた。


「それなら、最初に決めておいたほうがいいことがある」


「何だ?」


「そいつに、どこまで話すつもりなのかだ」


男は黙った。


箱のことをすべて話すのか。


殺手組織とのやり取りを伝えるのか。


これまでに得た情報を共有するのか。


考えなければならないことは多かった。


「全部は話さない」


男は答えた。


「少なくとも、今はな。俺自身、まだ整理できていないことがある。それに、あいつが何を知っているのかも分からない」


「なら、それでいい」


直人は再び記録を開いた。


「ただし、隠していることがあるなら、自分でも把握しておけ。後になって、何を話したのか分からなくなるのは困る」


男はうなずいた。


それは、自分がこれまでの調査で何度も意識してきたことだった。


誰かと情報を共有する場合、相手に何を伝えたかを把握していなければ、後の判断に影響する。話した情報がどこまで広がるのかも考えなければならない。


信頼するかどうかは、相手の言葉だけで決まるものではない。


実際に何が起きたかを確かめながら、少しずつ判断するしかなかった。


⸻


昼前、男は市場の外れで再び青年と会った。


青年は昨日と同じように、通りの人の流れを眺めていた。


「また会ったな」


男が声をかけると、青年は振り向いた。


「今日は一人じゃないんだな」


男の隣に立つ男を見て、青年はそう言った。


「知り合いだ」


「それは見れば分かる」


青年は笑った。


「紹介してくれないのか?」


男は一瞬、隣の相手を見た。


相手は特に反対する様子もなく、青年に向かって軽く頭を下げた。


「以前からの知り合いだ。今は一緒に行動している」


それ以上の説明はしなかった。


青年も、無理に聞き出そうとはしなかった。


「そうか。なら、今日は三人で歩くか?」


「どこへ行く?」


「市場の向こう側。最近、人の流れが少し変わっている」


男は青年の言葉に注意を向けた。


「何が変わった?」


「荷物の運び方だ。以前は南側の通りを使っていた商人が、今は東側へ回っている。理由はまだ分からない」


男は考えた。


物流の変化は、武器や金属部品の流れにも影響する可能性がある。


ただし、人の流れが変わったからといって、必ず何かの組織が関係しているとは限らない。単に道が使いにくくなったのかもしれないし、取引相手が変わっただけかもしれない。


「確かめに行くのか?」


「それも一つの方法だな」


青年は答えた。


「ただ、理由を決めつけずに見てみたい」


男は昨日の話を思い出した。


相手が敵だと決めつけて行動を変える必要はない。


分からないものは、分からないまま扱う。


「分かった。行こう」


三人は市場の東側へ向かった。


途中、青年は何度か足を止め、荷車の数や人の流れを確認した。以前から市場を調べていた男も、それに合わせて周囲を観察した。


隣を歩く男は、二人のやり取りを黙って見ていた。


しばらくして、彼が口を開いた。


「お前は、いつもこんな調べ方をしているのか?」


青年は振り向いた。


「どんな調べ方だ?」


「すぐに結論を出さず、周囲を見ている」


「結論を出せるだけの情報がないからな」


青年は前を向いた。


「情報が足りないときに、無理に答えを出しても仕方がない」


「だが、判断が遅れることもある」


「そうだな。だから、何を判断しなければならないのかを先に考える」


青年は足を止め、道の先を指した。


そこには、荷車が二台並んでいた。


一台は木材を運んでいる。もう一台には、布で覆われた荷物が積まれていた。


「今、俺たちが知りたいのは、なぜ人の流れが変わったのかだ。荷車が二台あることだけでは、答えにならない」


男は荷車を見た。


布で覆われた荷物は、中身が分からない。だが、荷車の車輪には泥がついており、荷台の端には新しい傷があった。


それらが何を意味するのかは、まだ分からない。


「近づいて確かめるか?」


隣の男が尋ねた。


「いや、まずは他の荷車も見よう」


男は答えた。


「この二台だけで判断するのは早い」


青年は、わずかに笑った。


「昨日より、考えるようになったな」


「お前に言われたくない」


男が返すと、青年は声を立てずに笑った。


三人はそのまま歩き続けた。


東側の通りでは、確かに荷車の数が増えていた。だが、すべての商人が同じ方向へ向かっているわけではない。南へ戻る者もいれば、途中で荷物を別の車両に移す者もいた。


男は、それぞれの動きを記録するように頭の中で整理した。


やがて、ある荷車が道の途中で止まった。


御者は荷物を確認したあと、近くの商人と短く話し、積み荷の一部を別の荷車へ移した。


そのやり取りを見て、男は足を止めた。


「今の動き、覚えておいたほうがいいかもしれない」


「どうしてだ?」


隣の男が尋ねた。


「荷物の流れが変わっているだけなら、わざわざ途中で積み替える必要があるとは限らない。もちろん、荷物の重さや車両の故障など、別の理由も考えられる」


「つまり、まだ分からないんだな」


「そうだ」


男は答えた。


「だから、もう少し見る」


青年は何も言わず、二人の様子を見ていた。


しばらくして、彼は市場の奥へ続く道を指した。


「今日はここまでにしよう。今のところ、確かなことは何も分かっていない」


「異論はない」


男はうなずいた。


調査を続ければ、さらに情報を得られるかもしれない。


だが、疲れた状態で判断を重ねれば、見落としも増える。今ある情報を整理してから、次に何を調べるか決めたほうがいい。


三人はそれぞれ帰路についた。


別れ際、青年は男に声をかけた。


「また会おう」


「ああ」


男は短く答えた。


青年が去ったあと、隣の男が尋ねた。


「あいつは、何者なんだ?」


「まだ分からない」


「信用しているのか?」


男は少し考えた。


「信用できる部分があるかどうかを、確かめているところだ」


隣の男は、納得したようにうなずいた。


「なら、俺も同じだな」


男は相手を見た。


その言葉に、少しだけ安心した。


相手が自分を助けたいと思っていることは、ひとまず受け止めている。


だが、それだけで相手のすべてを知ったことにはならない。


これから一緒に行動するなら、互いにできることを確かめ、できないことも把握していく必要がある。


男は歩き出した。


一人で進むことと、誰かと進むこと。


どちらかが絶対に正しいわけではない。


ただ、誰かと行動するなら、以前とは違う判断が必要になる。


そして、その判断を誰かに任せきりにするつもりはなかった。

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