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観客のいない世界  作者: 亀


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第131章 焼け跡に残された名前

男主と直人が次の調査先を決めようとしていたとき、金属加工店の店主から連絡が入った。


「今、少し時間はあるか?」


店主の声は、いつもより硬かった。


「何かありましたか?」


「以前、お前たちが調べていた工房のことだ。すぐに来てくれ。詳しい話は、ここではできない」


通話は短く終わった。


男主は直人と顔を見合わせた。


「工房で何か起きたらしい」


「例の身份牌を作っていた店か?」


「その可能性がある。行ってみよう」


二人は必要な記録を持ち、店主のもとへ向かった。


店に着くと、店主は入口の扉を閉めてから、二人を奥へ案内した。


机の上には、折り畳まれた紙片が置かれていた。


「今朝、知り合いから知らせが来た。お前たちが以前調べた工房が襲撃されたそうだ」


男主の表情が変わった。


「襲撃?」


「そうだ。工房だけじゃない。以前、武器の注文を受けていた鍛冶屋も被害に遭ったらしい。どちらも、複数の人間が入り込み、店の者たちを襲ったという話だ」


直人が身を乗り出した。


「何人くらいですか?」


「正確な人数は分からない。ただ、死者が出ている。負傷した者も多いそうだ」


店主は、言葉を選ぶように続けた。


「襲撃した連中が何者なのか、まだはっきりしていない。金品を奪うための襲撃ではなかったらしい。品物を持ち去ったという話も、今のところ聞いていない」


男主は、これまでの調査記録を思い返した。


身份牌の製造記録。


武器の注文書。


仲介者を通じて行われた取引。


それらは、いずれも過去の記録だった。工房の人間が襲われる理由になるような情報を、男主はまだつかんでいない。


「襲撃された工房の名前を教えてください」


店主は二つの名前を告げた。


どちらも、男主が実際に足を運び、帳簿を確認した場所だった。


「ほかにも被害を受けた店はありますか?」


「今は分からない。ただ、襲撃された二つの店は、どちらも以前から同じような取引を扱っていた。だから、偶然とは言い切れないだろう」


男主はすぐに断定しなかった。


取引の記録を調べた人間が、必ずしも襲撃の対象になったとは限らない。


しかし、過去に身份牌や武器の製造を請け負っていた工房が、同じ時期に襲われたのであれば、無関係だと考えるのも難しかった。


「被害に遭った人たちと連絡は取れますか?」


「今は難しい。負傷者の治療や、店の後始末に追われている。生き残った者も、何が起きたのか整理できていないそうだ」


男主は頷いた。


「分かりました。まず、現場の状況を確認します。ただし、無理に立ち入ったり、被害に遭った人たちへ何度も質問したりするつもりはありません」


店主は二人を見た。


「気をつけろ。襲撃した連中がまだ近くにいるかどうかも分からない」


「はい」


男主と直人は、最初に金属加工店へ向かった。


店の前には人が集まり、近くの者たちが小声で話し合っていた。


建物の一部は壊れ、作業場の入口には血の跡が残っていた。


男主は足を止めた。


以前ここを訪れたとき、店主は古い帳簿を広げ、何十年も前の取引について丁寧に説明してくれた。


そのとき、彼は身份牌の用途については何も知らないと言っていた。


ただ、頼まれた品物を作り、決められた相手へ渡しただけだった。


それが、襲撃される理由になるのだろうか。


男主には分からなかった。


直人が周囲を見渡した。


「中に入るのはやめておこう。今は、俺たちが何かを見つけるより、被害に遭った人たちの安全が先だ」


「そうだな」


二人は、現場を管理している人間に声をかけた。


調査のために以前この店を訪れたこと、今回の襲撃について確認したいことがあることを説明したが、相手は首を横に振った。


「今は詳しい話はできない。必要な確認が終わるまで、関係者以外は入れられないんだ」


男主は、それ以上求めなかった。


「分かりました。被害に遭われた方々の無事を願っています」


二人はその場を離れた。


次に訪れた鍛冶屋も、状況は似ていた。


建物の一部が壊され、作業道具が散乱している。店の人間が何人も負傷し、近くの者たちが運び出された品物を整理していた。


男主は、入口から見える範囲だけを確認した。


襲撃者の人数も、武器も、正確な動きも分からない。


目撃者がいたとしても、混乱した現場で見たものを、すぐに正確な情報として整理できるとは限らない。


「今は、これ以上調べられないな」


直人が言った。


「そうだな。被害の状況を確認できただけでも十分だ。次は、誰かが襲撃について話せる状態になってからにしよう」


二人が帰ろうとしたとき、背後から声がかかった。


「お前たち、ここで何をしている?」


振り返ると、見知らぬ男が立っていた。


年齢は四十代ほど。服装は地味で、身につけているものにも特別な特徴はなかった。


男主は慎重に答えた。


「以前、この店の取引記録を調べたことがあります。襲撃があったと聞いて、状況を確認しに来ました」


男は二人を見比べた。


「取引記録?」


「はい。古い身份牌や金属部品の製造経路を調べています」


男の目つきが変わった。


「……身份牌を調べているのか」


男主は、その反応を見逃さなかった。


「ご存じなのですか?」


男はすぐには答えなかった。


周囲に人がいないことを確認してから、低い声で言った。


「ここで話すことではない。場所を変えよう」


直人が警戒した様子で尋ねた。


「あなたは誰ですか?」


「お前たちが探していた仲介者について、知っている人間だ」


男主は、以前の受け渡しで出会った男を思い出した。


今回の男が、その本人なのか。


それとも、別の関係者なのか。


まだ判断できなかった。


男は二人の反応を見て、続けた。


「ただし、先に言っておく。俺はお前たちが知りたいことを、何でも知っているわけじゃない」


男主は少し考えた後、答えた。


「分かりました。話を聞かせてください。ただ、場所は人目があり、必要ならすぐに離れられるところにしましょう」


男は頷いた。


三人は、襲撃現場から少し離れた、人の出入りがある小さな茶屋へ移動した。


男は席に着くと、しばらく黙っていた。


やがて、男主に尋ねた。


「お前は、なぜ身份牌を調べている?」


男主は、これまでに確認した事実だけを話した。


過去の襲撃者が身につけていた身份牌。


その牌の製造方法を調べるために訪れた工房。


帳簿に残された、注文者と受取人が異なる取引。


そして、仲介者を通じて製造や受け渡しが行われていた可能性。


ただし、身份牌を持っていた人物の所属や、誰がその人物を動かしていたのかについては、確証がないことも伝えた。


男は最後まで黙って聞いていた。


話が終わると、男は深く息を吐いた。


「なるほど。そこまで調べたのか」


「あなたは、襲撃された工房と関係があるのですか?」


男は、すぐには答えなかった。


そして、ようやく口を開いた。


「俺は、あの工房の背後で取引をまとめてきた人間だ。身份牌も、武器も、必要な品物を作らせ、指定された相手に届ける。その仕事を長年続けてきた」


直人が顔を上げた。


「つまり、あなたが仲介者だったんですか?」


「そうだ」


男は頷いた。


「ただし、すべての品物を自分で使っていたわけじゃない。依頼を受け、製造先を手配し、代金と受け渡しを管理していた。俺の仕事はそこまでだ」


男主は尋ねた。


「では、今回の襲撃は、あなたの取引に関係しているのでしょうか?」


「分からない」


男は、はっきりと答えた。


「だからこそ、納得できないんだ」


男の声に、初めて強い怒りが混じった。


「俺は長年、あの連中の注文を取りまとめてきた。必要な品物を用意し、決められた条件で届けてきた。取引に問題があれば、こちらが責任を取ることもあった。だが、今回のように、品物を作った人間たちを襲う理由がどこにある?」


男主は、相手の言葉を遮らなかった。


男は続けた。


「俺は、あいつらのために働いてきたんだ。少なくとも、俺はそう思っていた。なのに、なぜ今になって、長年仕事をしてきた人間たちを殺す必要がある?」


男主は、静かに尋ねた。


「襲撃した者たちが、本当にあなたの取引相手だった組織の人間なのか、確認できているのですか?」


男は首を横に振った。


「まだだ。ただ、襲われた工房には、共通する取引があった。俺が取りまとめていた仕事の一部だ」


「それだけでは、同じ組織の人間が襲ったとは断定できません」


「分かっている」


男は、苛立ちを抑えるように言った。


「だから、俺は確認したい。何が起きたのか。誰がこんなことをしたのか。そして、なぜ長年働いてきた人間たちが、突然殺されなければならなかったのか」


男主は、相手の表情を見た。


彼が怒っているのは、単に商売を失ったからではなさそうだった。


長年の取引を通じて築いてきた関係が、何の説明もなく壊された。その事実を、まだ受け入れられずにいるように見えた。


男主は尋ねた。


「あなたが取引をまとめていた組織の名前を教えていただけますか?」


男はしばらく黙っていた。


そして、ようやくその名を口にした。


男主は、聞き取った名前を手帳に書き留めた。


それは、これまで調べた帳簿には一度も記されていなかった名前だった。


「本部の場所も知っていますか?」


「知っている。ただし、そこへ行けば何が分かるのかは保証できない。俺が知っているのは、取引をしていた頃の情報だ。今も同じ状況かどうかは分からない」


男主は頷いた。


「それでも、手がかりになります。教えていただけますか?」


男は本部の所在地を伝えた。


男主はそれも記録した後、手帳を閉じた。


ようやく、調査は帳簿の外へ進んだ。


しかし、これで襲撃の全容が分かったわけではない。


仲介者は、組織の名前と本部の場所を知っている。


だが、襲撃を命じた者が誰なのか、組織の内部で何が起きているのかについては、まだ分からない。


男主は立ち上がった。


「情報をありがとうございます。こちらでも、確認できることを調べてみます」


男は二人を見た。


「待て」


男主が振り返ると、男は続けた。


「お前たちが本部へ行くつもりなら、俺は残った人間たちを避難させる。あの連中が本当に取引相手の組織なら、次にどこを狙うか分からない。工房を失ったうえに、これ以上仲間を失うわけにはいかない」


男主は頷いた。


「避難を優先してください。こちらの調査に、無理に協力する必要はありません」


「協力するかどうかは、俺が決める」


男は、はっきりと言った。


「俺は自分の仕事に責任を持ってきた。何が起きたのか分からないまま、すべてを終わらせるつもりはない。ただし、残った人間たちを危険にさらすこともしない」


その言葉を聞き、男主はそれ以上、同行を求めなかった。


二人は茶屋を出た。


通りを歩きながら、直人が言った。


「本部の場所が分かった。ようやく、次へ進めるな」


「そうだな」


「でも、相手が本当に襲撃を命じたのかは分からない。向こうに行けば、危険もある」


男主は、手帳に記した組織名と所在地を見た。


「それでも、誰が何をしたのかを確かめたい。襲撃された人たちが、ただ仕事を請け負っていただけなのか。それとも、何か別の事情があったのか。今はまだ、どちらも分からない」


「一人で行くつもりか?」


男主は答えなかった。


組織の本部へ向かうことは、これまでの調査とは違う。


帳簿を確認することも、職人に質問することもできない場所へ、自分から足を踏み入れることになる。


そこには、取引の記録だけでは分からない現実が待っているかもしれなかった。


男主は歩みを止めずに言った。


「まずは、行く前に準備をする。相手が何者なのか分からない以上、勢いだけで動くわけにはいかない」


直人は頷いた。


二人は、次の行動について話し合いながら歩き続けた。


その頃、別の場所では、襲撃された工房から運び出された品物が、少しずつ別の場所へ移され始めていた。


長年取引をまとめてきた男は、残った職人たちを安全な場所へ移すため、連絡を取り続けていた。


彼は、これまで自分が扱ってきた取引のすべてを知っているわけではない。


誰が最終的な依頼人だったのか。


誰が身份牌を使用したのか。


そして、今回の襲撃を誰が命じたのか。


その答えは、まだ彼の手元にはなかった。


ただ、長年信じてきた取引相手が、今までどおりの相手ではなくなった可能性だけは、否定できなくなっていた。

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