第130章 予定された受け渡し
男主は、仲介者と再び接触する方法を考えていた。
前回の失敗から、少なくとも二つのことが分かっている。
一つは、仲介者が取引の中止を自分で決められる立場にあること。
もう一つは、身份牌を調べていると知られた途端、相手が警戒を強めたことだった。
同じ方法で再び呼び出せば、相手は現れないかもしれない。
だからといって、何も知らないふりをして近づくのも難しい。相手が警戒している以上、こちらの態度や質問の仕方を変えただけで、信頼が生まれるわけではなかった。
「次は、相手が普段から扱っている取引の形に合わせる」
男主が言うと、直人は腕を組んだ。
「身份牌の注文を、もう一度出すのか?」
「そうだ。今回は、前回のように最初から調査の話をするつもりはない。まずは注文を成立させる。相手が現れたら、取引の仕組みについて話を聞く」
「相手が来たとしても、また拒否されるかもしれないぞ」
「その可能性はある。だから、今回の目的は相手を捕まえることじゃない。話せる機会を作ることだ」
男主は、以前訪れた金属加工店を再び訪ねた。
店主は、二人の姿を見ると、少し困ったような顔をした。
「また注文か?」
「はい。前回の件では、お手数をおかけしました。今回は、通常の手続きで受け渡しが可能かどうか、改めて相談したいと思っています」
男主は、相手を呼び出すために何かを隠しているとは説明しなかった。しかし、仲介者が来る可能性があることを期待している以上、今回の注文が単なる商取引ではないことも自覚していた。
店主は慎重に尋ねた。
「前回の仲介者とは、何か問題があったのか?」
「取引そのものに問題があったわけではありません。ただ、確認したいことがあって話しかけたところ、相手が警戒してしまいました」
「それなら、今回も同じことになるかもしれないな」
「承知しています。それでも、普段どおりの方法で取引を進められるなら、お願いしたいと思っています」
店主は図面を受け取り、注文内容を確認した。
今回も、小型の金属牌を一定数製作する。
大きさ、厚み、刻印の形式は、前回の注文とそろえる。ただし、完成品はあくまで調査用の品物であり、実際に誰かの身分を偽装するために使用するつもりはなかった。
男主は、受け渡しの日付についても希望を伝えた。
「この日に受け取ることは可能でしょうか」
店主は日程を確認した。
「製作時間を考えれば問題ない。ただし、仲介者が受け渡しを引き受けるかどうかは、確認しなければならない」
「お願いします」
店主は注文を受け付けた。
数日後、連絡が届いた。
注文は仲介者を通じて処理され、指定した日に受け渡しが可能だという。
男主は、連絡の内容を直人に見せた。
「来る可能性はあるな」
「ただし、本人が来るとは限らない」
「そうだな。別の人間が来た場合も、無理に問い詰めない。取引の手順を確認して、分かる範囲で記録する」
二人は、受け渡し当日に向けて準備を整えた。
今回は、前回のように突然相手へ調査の話を切り出すのではなく、まず品物の確認を済ませ、その後で仲介者に話をするつもりだった。
相手が話を拒否した場合は、それ以上追及しない。
無理に追いかけたり、身元を調べるために相手の生活を侵害したりすることもしない。
男主は、今回の調査で得られる情報には限界があることを理解していた。
受け渡しの日。
二人が店に到着すると、店主は完成した金属牌を机の上に並べていた。
「注文どおりに仕上げた。確認してくれ」
男主は一つずつ確認し、数と寸法を記録した。
「ありがとうございます」
店主は品物をまとめ、指定された場所へ運ぶ準備を始めた。
受け渡しの時刻が近づくにつれ、男主は周囲の様子に注意を払った。
やがて、通りの向こうから一人の男が歩いてきた。
前回と同じ男だった。
男は店主に声をかけ、注文の確認を始めた。
「品物はそろっているか?」
「そろっている。数も確認済みだ」
男は品物を確認した後、代金と受け渡しの条件について話を進めた。
その途中で、男主の姿に気づいた。
一瞬、男の手が止まった。
「……またお前か」
男主は相手を見て、静かに頷いた。
「前回は失礼しました。今日は、まず取引を終えていただいて構いません。その後、少しだけお話しできないでしょうか」
男はすぐには答えなかった。
店主が口を挟んだ。
「今回の注文は、こちらも正式に受けている。品物に問題はない。受け渡しをどうするかは、そちらの判断だ」
男は店主を見た後、男主へ視線を戻した。
「お前は、なぜそこまでして俺と話したい?」
男主は、隠すことなく答えた。
「身份牌の製造経路を調べています。いくつかの店で、注文者と受取人が異なる取引が見つかりました。あなたがその取引に関わっている可能性があると考えています」
「それで?」
「あなたが最終的な注文者なのか、それとも誰かの依頼を取りまとめているだけなのか。それを確認したいんです」
男はしばらく黙っていた。
男主は続けた。
「あなたが知らないことまで、答えてほしいとは思っていません。分からないことは、分からないと言っていただければ十分です」
男の表情から、警戒が消えたわけではなかった。
しかし、前回のようにすぐ取引を中止することもなかった。
「……品物を受け渡した後なら、少しだけ話してもいい」
男主は頷いた。
「ありがとうございます」
取引は、通常の手順で進められた。
男は品物の数を確認し、受け渡しを完了させた。
店主がその場を離れると、男は男主と直人に向き直った。
「時間は長く取れない。聞きたいことがあるなら、先に言え」
男主は、あらかじめ考えていた質問を口にした。
「あなたは、身份牌を注文している人間ですか?」
男は首を横に振った。
「違う。俺は、依頼された品物をまとめて注文し、指定された場所へ届ける。それだけだ」
「依頼人は、どんな人ですか?」
「一人とは限らない。仕事によって違う」
「その人たちは、身份牌を何に使うのか知っていますか?」
男は、少しだけ考えた。
「俺には関係のないことだ。品物の用途を聞かないのが、長く商売を続けるための決まりだった」
男主は、その答えを手帳に記録した。
「では、あなた自身は、身份牌が何に使われているのか知っているんですか?」
男は男主を見つめた。
「お前は、質問の仕方を変えても、結局同じことを聞くんだな」
「すみません。ただ、確認したいんです」
男は息を吐いた。
「製造された品物がどこへ運ばれるのか、すべて知っているわけじゃない。俺が扱うのは注文と受け渡しだ。依頼人の事情まで知る必要はない」
「その依頼人と、今も取引を続けているんですか?」
男の表情が再び硬くなった。
「それは答えられない」
男主は、それ以上問い詰めなかった。
相手が何を知っているのか、少しずつ分かってきた。
少なくとも、男は製造工房と最終的な受取人の間に立ち、注文と受け渡しを取りまとめていた。
しかし、依頼人の正体や、身份牌の用途については、話すつもりがないようだった。
男主は質問を変えた。
「あなたが取引を続けてきた組織について、名前だけでも教えていただけませんか?」
男は、しばらく男主を見つめていた。
「なぜ、そんなことを知りたい?」
「身份牌を作った工房だけでは、取引の全体像が分からないからです。製造と運搬の間に、あなたのような人間がいる。ならば、その先にいる相手についても調べる必要があります」
男は何も答えなかった。
やがて、遠くで物音がした。
男はそちらへ目を向けた後、男主に告げた。
「今日はここまでだ。これ以上は話せない」
「分かりました。時間を取っていただき、ありがとうございました」
男は立ち去る前に、もう一度だけ男主を見た。
「忠告しておく。お前が調べているものは、工房の帳簿だけで分かるような話じゃない。だが、誰がどこまで関わっているのか、俺にもすべては分からない」
それだけ言い残し、男は通りの向こうへ歩いていった。
男主と直人は、しばらくその場に立っていた。
「少しは前進したな」
直人が言った。
「そうだな。ただ、まだ核心には届いていない」
男主は手帳を閉じた。
今回の接触で、仲介者が製造工房と依頼人の間に立つ人物であることは、本人の説明から確認できた。
しかし、依頼人が誰なのか。
身份牌が何のために使われているのか。
そして、その取引がどの組織につながっているのか。
重要な部分は、まだ分からないままだった。
男主は、仲介者の言葉を思い返した。
「誰がどこまで関わっているのか、俺にもすべては分からない」
それは、責任を避けるための言い訳かもしれない。
あるいは、本当に知らないのかもしれない。
今の段階では、どちらとも判断できなかった。
ただ一つ、男主が理解したことがあった。
製造に関わる人間。
取引をまとめる人間。
品物を受け取る人間。
そして、それを実際に使う人間。
それぞれの役割は、必ずしも一つの場所に集まっているわけではない。
身份牌の正体を知るためには、その間にある関係を一つずつ確かめていく必要があった。
男主は直人とともに、次の調査先へ向かった。




