第129章 取引の裏側
男主は、手帳に書き残した二つの記録を見比べていた。
一つは、仲介者が身份牌という言葉を聞いた瞬間に態度を変えたこと。
もう一つは、相手が注文を自分の判断で中止できたことだった。
直人は机の向かい側に座り、完成した金属牌を手に取った。
「結局、相手が何を知っているのか、ほとんど分からなかったな」
「そうだな」
「もう一度、別の注文を出すのか?」
男主はすぐには答えなかった。
同じ方法を繰り返せば、相手は二度と姿を現さないかもしれない。別の店を使っても、同じ仲介者が現れる保証はない。
何より、相手が警戒した理由を確認しないまま動けば、こちらが調べていることだけを相手に知らせる結果になりかねなかった。
「今は、注文を増やすより、これまでの取引をもう一度整理したい」
男主は帳簿を開いた。
「今回、相手は俺たちが身份牌を調べていると知って、取引をやめた。でも、身份牌そのものを知らないという反応ではなかった。少なくとも、何かを警戒した」
「それが、あの組織に関係しているとは限らないだろう?」
「もちろん。商売上の秘密を守りたかっただけかもしれない。だから、今の段階では決めつけない」
男主は、これまでに調べた複数の店の記録を並べた。
鍛冶屋の帳簿。
金属加工店の注文書。
修理を請け負った職人の控え。
それぞれの記録には、注文内容も、日付も、書式も違いがあった。しかし、共通する点が一つあった。
注文を受けた店と、実際に品物を受け取る人物が一致しない取引が、いくつもの店で確認されていたのだ。
「この仕組み自体は、珍しいものじゃないな」
直人が言った。
「商人がまとめて注文して、別の場所へ運ぶこともある。工房が直接客と会わずに済むようにすることもある」
「そうだ。仲介者がいるだけでは、何も証明できない」
男主は一枚の注文書を指で押さえた。
「ただ、身份牌に関係する注文が、武器や金属部品の取引と同じ経路を使っていた可能性はある。もしそうなら、身份牌だけを追うより、関連する品物の流れを調べたほうがいい」
直人は別の帳簿を開いた。
「以前の鍛冶屋の記録に、まとめて納品した武器の注文があったな。注文者と受取人が違っていた」
「それも確認したい。だが、武器の注文があったからといって、身份牌と同じ組織のものとは限らない。注文の時期、数量、受け渡し方法を比較しよう」
二人は記録を照合した。
日付が近い取引はあった。
数量が不自然にそろっている注文もあった。
しかし、決定的な一致は見つからなかった。
名前が違うものもあれば、受取人の欄そのものが空白になっているものもある。
しばらくして、直人が手を止めた。
「この記録、少し変じゃないか?」
男主は隣へ移動した。
それは、ある店が過去に受けた金属部品の注文だった。
注文者の名前は記載されていない。
代わりに、受け渡しの条件だけが簡潔に記されていた。
指定日までに製作すること。
品物は店の裏口から搬出すること。
受取人の確認は、仲介者が行うこと。
「受取人の名前がないのか」
「そうだ。しかも、店主の控えには代金を受け取った記録があるのに、誰から受け取ったかは書かれていない」
男主は別の記録を取り出した。
同じ店で、別の時期に行われた取引だった。
こちらも注文者の名前がなく、受取人の確認を仲介者に任せていた。
ただし、二つの取引が同じ仲介者によるものかどうかは、記録だけでは判断できなかった。
「この店に、まだ話を聞ける人はいるか?」
「店主は今もいるはずだ。ただ、古い取引だから、どこまで覚えているか分からない」
「それでも、確認する価値はある。誰が代金を持ってきたのか、受け渡しのときに何か決まりがあったのか。記録にないことを聞いてみよう」
二人は翌日、その店を訪ねることにした。
その夜、男主はオンラインで連絡を取っている相手にも、今回の出来事を簡単に伝えた。
仲介者を呼び出すことはできたが、相手は身份牌という言葉に反応し、取引を中止したこと。
そして、過去の注文記録から、受取人を明かさない取引が複数見つかったこと。
しばらくして、返事が届いた。
『相手が何を守ろうとしているのか、まだ分からないなら、そこを分けて考えたほうがいいと思う。取引の秘密なのか、特定の相手を守っているのか、それとも自分自身を守ろうとしているのか』
男主は画面を見つめた。
『確かに、今の段階では区別できないな』
『うん。次に話せる機会があったら、相手が何を知っているかだけじゃなくて、何を知らないのかも確認できるといいね』
男主は短く返事をした。
『ありがとう。まずは、記録を残した店に確認してみる』
通信を終えた後、彼は手帳を開いた。
仲介者について分かっていること。
複数の店を通じて注文を取りまとめている可能性があること。
取引の中止を自分で決められること。
身份牌という言葉に反応したこと。
そして、まだ分からないこと。
相手がどの組織に属しているのか。
誰から注文を受けているのか。
身份牌の用途をどこまで知っているのか。
男主は、最後の項目に線を引いた。
相手が身份牌の製造や取引に関わっているとしても、その用途まで知っているとは限らない。
製造を請け負う者と、品物を使う者。
注文をまとめる者と、組織を動かす者。
それらが同じ人物であるという保証はなかった。
翌朝、二人は店を訪れた。
店主は古い帳簿を確認した後、当時の受け渡しについて、断片的な記憶を話してくれた。
「名前は覚えていない。ただ、何度か同じ男が来たことはある。品物を受け取る人間とは別に、注文や代金の話をまとめる男だ」
男主は尋ねた。
「その男は、いつも一人で来ていたんですか?」
「いや、毎回同じとは限らなかった。だが、取引の条件を伝えてきたのは、たいていその男だったと思う」
「顔や服装について、何か覚えていますか?」
店主はしばらく考えた。
「ずいぶん前のことだからな。確かなことは言えない。ただ、職人ではなかった。少なくとも、品物の出来を細かく確認するような人間ではなかったな」
男主は礼を言い、店を出た。
新しい情報は得られた。
しかし、それだけで先日の仲介者と同一人物だとは断定できない。
「どうする?」
直人が尋ねた。
男主は、手帳に記録した内容を閉じた。
「今までの記録だけでは、もう限界がある。相手が自分から話す気になるかどうか、それも含めて考えないといけない」
「つまり、もう一度接触するのか?」
「そうだ。ただし、同じ失敗は繰り返さない」
男主は歩きながら、次の方法を考え始めた。
仲介者は、注文をまとめる立場にある。
ならば、相手が普段どおりの取引だと判断できる条件を整えれば、再び接触する機会を作れるかもしれない。
ただし、相手を呼び出すことと、相手から信頼を得ることは別だった。
次に接触できたとしても、話を聞けるとは限らない。
それでも、男主は調査をやめるつもりはなかった。
身份牌の製造記録だけでは、その先にいる人間には届かない。
今度は、品物ではなく、取引を動かしている人間そのものを追う必要があった。




