第125章 帳簿に残らない取引
翌朝、男主は直人とともに、前日訪れた店へ向かった。
店主からの返事によれば、古い修理品の受け取り控えが、倉庫の整理箱に残っている可能性があるという。
ただし、帳簿と違って年代順に並べられているわけではない。必要な記録が見つかる保証もなかった。
店に着くと、店主は二人を奥の倉庫へ案内した。
「この箱に入っているものがそうだ。古い伝票や控えが混ざっているから、必要な時期のものがあるかどうかは分からない」
「確認させていただけるだけで十分です。お手数をおかけします」
男主は礼を言い、直人と一緒に箱の中を調べ始めた。
紙は変色し、角が折れたものも多かった。記録が残っていても、文字が薄れて読めないものがある。
二人は日付を確認しながら、以前の帳簿に名前が記されていた時期の伝票を探した。
しばらくして、直人が一枚の紙を持ち上げた。
「これじゃないか?」
男主は受け取って、記載内容を確認した。
日付は、古い工房が閉鎖する数か月前。
修理品の受け取りを示す記録だったが、品名の欄は空白になっていた。代わりに、備考欄に短い記号と番号が書かれている。
男主は前日の帳簿を取り出し、該当する取引記録と照らし合わせた。
日付は近い。
しかし、記号が何を意味するのかは分からなかった。
「店主さん、この記号について何かご存じですか?」
店主は伝票を受け取り、しばらく眺めた。
「うちで使っていた一般的な記号ではないな。少なくとも、私が帳簿を管理するようになってからは見たことがない」
「昔から使われていたものかどうかも分かりませんか?」
「そこまでは分からない。前の店主なら覚えていたかもしれないが、もう亡くなっている」
男主は記号を手帳に写した。
さらに箱の中を探すと、似た形式の伝票がもう一枚見つかった。
今度は別の日付だったが、同じ記号が記されている。
こちらにも品名はなく、金額と受け渡しの日付だけが残されていた。
直人が二枚の伝票を並べた。
「同じ記号が使われているな」
「そうだな。でも、これだけじゃ何を示しているのか分からない」
男主は店主に尋ねた。
「この伝票に書かれた取引は、店から直接相手に品物を渡したものですか?」
店主は少し考えてから答えた。
「全部が直接取引だったわけではない。昔は、注文をまとめて持ってくる人間がいた。複数の店から品物を集め、代金の受け渡しも取りまとめていたんだ」
男主の手が止まった。
「注文をまとめる人間、ですか?」
「ああ。店ごとに個別の注文を受けるより、そのほうが手間が少なかったからな。誰が最初に注文を出したのか、こちらでは知らないこともあった」
「その人の名前や連絡先は残っていませんか?」
「残っているものもあるかもしれないが、今の記録だけでは何とも言えない」
男主は二枚の伝票を見直した。
これまでの調査では、古い工房が何を仕入れていたか、閉鎖後にどこへ似た加工品が流れたかを追ってきた。
しかし、その取引がすべて製造元と最終的な注文主との直接取引だったとは限らない。
工房が品物を作る。
別の人間がそれを受け取る。
さらに別の相手へ渡す。
その間に複数の店や人物が関わっていれば、帳簿をいくら調べても、最終的な注文主の名前が残っていない可能性がある。
「なるほど……」
男主は小さく呟いた。
直人が尋ねた。
「何か分かったのか?」
「まだ、確かなことは何も分かっていない。ただ、これまで探していた記録が、最初から店に残っていなかった可能性がある」
男主は店主に向き直った。
「その注文を取りまとめていた人について、もう少し調べることはできますか?」
「昔の話だからな。私が直接担当していたわけでもない。ただ、当時の伝票がほかにも残っていれば、何か分かるかもしれない」
男主は無理に答えを求めなかった。
店主の協力で確認できる範囲には限界がある。ここで急いで名前を聞き出そうとしても、曖昧な記憶に頼ることになるだけだ。
二人は残りの伝票を確認し、同じ記号が使われているものを探した。
結果として、さらに三枚の伝票が見つかった。
いずれも金属部品や加工品に関係しているようだったが、具体的な品名は記されていなかった。
それでも、日付と記号を並べると、一定の期間に取引が集中していることが分かった。
男主は記録を整理し、店主に礼を述べて倉庫を出た。
店の外で、直人が口を開いた。
「つまり、注文をまとめていた人間がいるかもしれないってことか」
「そうだ。ただ、今回見つけた伝票だけで、身份牌の注文を取りまとめていた人物と同じだとは言えない」
「それでも、今までとは違う方向が見えてきたな」
男主は頷いた。
「製造元だけを探すのではなく、取引を仲介した人間も調べる必要がある。もし注文主と店の間に誰かがいたなら、その人物が複数の店をつないでいた可能性がある」
「その人間が見つかれば、注文主までたどり着けるかもしれないな」
「逆に、その人間も注文主の正体を知らない可能性はある。そこは確認するまで分からない」
男主は宿に戻ると、これまでの調査記録をすべて机の上に並べた。
身份牌の刻印。
古い工房の取引記録。
閉鎖後の加工品の流れ。
そして、今回見つかった仲介取引らしき伝票。
それぞれの情報は、まだ一つの結論につながっていない。
しかし、これまでの調査で不足していたものが少し見えてきた。
製造元の記録がないのではなく、製造元と注文主の間に、記録が分断される仕組みがあったのかもしれない。
男主は手帳に新しい項目を書いた。
次の調査対象――注文を取りまとめていた仲介者。
その下に、確認すべきことを三つ並べた。
同じ記号がほかの店でも使われているか。
複数の工房が同じ仲介者を通じて取引していたか。
そして、その仲介者が現在も取引を続けているか。
三つとも、まだ答えは出ていない。
男主は記録を閉じ、直人に言った。
「明日は、これまで調べた店の記録を照合しよう。同じ取引の仕組みが見つかれば、仲介者を探す手掛かりになる」
直人は頷いた。
身份牌を作った工房を見つけることと、それを注文した人間を見つけること。
二つは似ているようで、必要な調査が違う。
男主はようやく、その違いを具体的に意識し始めていた。




