第124章 名前の行き先
翌朝、男主は前日に写し取った名前を、これまでの調査記録と照らし合わせていた。
古い工房の帳簿に残されていた、工房名とは異なる個人名。
工房が閉鎖する少し前、過去の取引について店を訪ねていた人物。
今のところ、分かっているのはそれだけだった。
「この名前が本当に本人の名前なのかも、まだ分からないんだよな」
直人が向かい側から言った。
「そうだな。略称かもしれないし、記録をつけた人間が便宜的に書いた名前かもしれない」
「それなら、名前を調べるだけじゃ、また行き止まりになるんじゃないか?」
男主は手帳を閉じた。
「だから、名前だけじゃなく、記録が書かれた前後の取引も調べる」
彼は昨日の帳簿を思い返した。
個人名が記されていたのは、工房との取引が続いていた時期だった。しかも、工房名が記載されていた以前のページとは違い、相手の住所や所属は書かれていなかった。
もし同じ人物が別の取引にも関わっていたなら、ほかの帳簿に名前が残っている可能性がある。
逆に、そこにしか名前がなければ、記録の意味を判断する材料は少ないままだ。
「まず、昨日の店で、同じ名前がほかの帳簿にも出てくるか確認しよう。それが見つからなければ、別の取引先を探す」
直人は頷いた。
二人は店が開く時間に合わせて出発した。
店主は前日に話したことを覚えていたらしく、二人を見ると奥の棚から数冊の帳簿を取り出した。
「全部を確認するのは無理だが、同じ時期のものなら、これくらいだな」
「ありがとうございます。該当する名前があるかどうかだけ、確認させてください」
男主は前日と同じ名前を紙に書き、店主に見せた。
店主はそれを見てから、帳簿を一冊ずつ開いた。
一冊目には、該当する名前はなかった。
二冊目にもなかった。
三冊目を確認していたとき、男主の手が止まった。
そこには、昨日と同じ名前が記されていた。
ただし、取引内容は金属部品でも加工品でもなかった。
古い道具の修理代。
金額は小さく、日付は工房が閉鎖する数か月前だった。
男主は記載を二度確認した。
「この名前で間違いありませんか?」
店主は帳簿を覗き込んだ。
「同じ名前だな。ただ、同一人物だと断言できるわけじゃない」
「修理を依頼した人の住所などは残っていますか?」
店主は別の欄を確認した。
「住所はない。品物の種類も詳しく書いていないな。修理代を受け取ったという記録だけだ」
男主はその内容を手帳に写した。
「この時期の修理を担当していた人は、分かりますか?」
「当時の職人はもう店にいない。何人かは引退したし、何人かは別の町へ移った。今すぐ連絡先を教えることはできない」
「分かりました。無理に探していただく必要はありません」
男主は礼を言った。
店を出た後、直人は歩きながら考え込んでいた。
「同じ名前が二つの記録にあったな」
「そうだな。ただ、同一人物かどうかはまだ分からない」
「片方は古い工房との取引に関係していて、もう片方は道具の修理か」
「それだけでは、身份牌とは結びつかない。でも、少なくとも、この名前が記録された時期と、工房が閉鎖した時期は近い」
直人は男主を見た。
「次は修理を担当した職人を探すのか?」
「その前に、修理の記録が何を意味するのか考えたい。もし一般的な道具の修理なら、身份牌とは関係がない可能性が高い。反対に、特定の加工道具に関係しているなら、調べる意味があるかもしれない」
「でも、何を修理したか書いてないんだろ?」
「そうだ。だから、今は無理に結論を出さない」
男主は手帳を開き、二つの記録を並べて書いた。
一つは、古い工房に関係する金属部品や加工品の取引。
もう一つは、同じ名前が記された小額の修理代。
その下に、短く付け加えた。
同一人物かどうか未確認。身份牌との関係も未確認。
宿へ戻ると、男主は応援者に今回の結果を伝えた。
『同じ名前が、別の帳簿にもありました。ただし、そちらは古い道具の修理代の記録です。同一人物かどうかも、何を修理したのかも分かりません』
しばらくして、返事が届いた。
『同じ名前が見つかったこと自体は、確認できた情報ですね。ただ、その人物を追うことで何が分かるのかは、まだ不明です。次に調べるなら、修理を担当した職人の記録が残っているか、あるいは当時の帳簿に品物を特定できる情報がないか、どちらかに絞ったほうがよさそうです』
男主はその返事を読んだ。
今回の調査で、次の選択肢が二つになった。
一つは、修理を担当した職人を探すこと。
もう一つは、店に残っている古い記録から、修理された道具を特定すること。
前者は、人間を探す調査になる。職人が見つかるかどうかも、当時のことを覚えているかどうかも分からない。
後者は、記録が残っていれば進められるが、現存する帳簿には詳しい品名が書かれていなかった。
男主はしばらく考えた後、店主にもう一度連絡を取ることにした。
修理を担当した職人を探す前に、当時の記録がほかにも残っていないかだけ確認する。
それで何も見つからなければ、次の方法を考えればいい。
男主は短い問い合わせ文を作り、店主に送った。
翌日、返事が届いた。
店主によれば、古い帳簿のほかに、修理品を受け取った際の控えが少し残っているという。ただし、整理されていないため、該当する時期のものがあるかどうかは、確認してみなければ分からないとのことだった。
男主は直人にその内容を伝えた。
「これで、もう一度店に行く理由ができたな」
直人が言った。
「そうだな。でも、今度確認するのは名前じゃない。修理された道具について、何か追加の記録があるかどうかだ」
男主は手帳を閉じた。
身份牌の製造元は、まだ分からない。
帳簿に現れた名前も、今のところはただの名前にすぎなかった。
それでも、次に確認する対象は決まった。
手掛かりを見つけることだけが調査ではない。
その手掛かりに、どこまで時間をかける価値があるのかを判断することも、調査の一部だった。




