第122章 調べるべきこと
翌朝、男主は昨日までの記録をまとめ、直人とともに金属加工の工房へ向かった。
身份牌の調査を始めてから、数日が過ぎていた。
職人の話を聞き、古い工房の跡地を訪ね、複数の商店で帳簿を確認した。しかし、製造元はまだ特定できていない。
男主はそのこと自体を失敗だとは考えていなかった。
ただ、これまでと同じ方法を繰り返しても、得られる情報は少なくなっていく。
そろそろ調査の方向を整理する必要があった。
工房に着くと、職人は二人を見て、作業台の上を片づけた。
「今日は何を調べる?」
男主は手帳を開いた。
「これまでに分かったことを整理しました。刻印の特徴、古い工房の取引記録、それから閉鎖後の仕事の引き継ぎについてです」
「見せてみなさい」
男主は手帳を差し出した。
職人は記録を一通り読み、いくつかの箇所に目を留めた。
「ずいぶん調べたな。ただ、今の記録だけでは、牌を作った工房を探すのは難しいだろう」
「やはり、そうですか」
「理由は単純だ。お前たちは、製造元を探すために、製造元かもしれない場所を探している。だが、そもそもこの牌がどんな方法で作られたのか、まだ十分に分かっていない」
職人は牌を取り出し、作業台の上に置いた。
「まず、これをもう少し詳しく見よう」
職人は拡大鏡を使い、刻印の形状や表面の傷を確認した。
「前にも言ったが、刻印は手作業で彫られた可能性もあれば、型を使った可能性もある。表面の傷も、製造時についたものか、使用中についたものかは断定できない」
「それを区別する方法はありますか?」
「専門の設備を使えば、もう少し詳しく調べられるかもしれない。ただ、この町でできる範囲には限界がある」
男主は頷いた。
「では、専門の設備がある場所を探すべきでしょうか」
「それも一つの方法だ。ただし、費用も時間もかかる。今すぐそこまで進める必要があるかどうかは、お前たちが判断することだ」
男主は少し考えた。
身份牌の持ち主を知りたいという気持ちはある。
しかし、現時点では、持ち主を特定するためにどこまで調査すべきなのかも分からない。
「今、分かっていることだけで、次にできることはありませんか?」
職人は牌を裏返した。
「この刻印の形だけを手掛かりにするなら、似た加工をする工房を探すことはできる。ただ、それには時間がかかるだろう」
「ほかには?」
「牌そのものについて、もう少し情報を集めることだ。たとえば、大きさや厚さ、重量を正確に記録する。表面の傷や刻印の位置も、写真や図に残しておく。別の品物と比較するときに役立つ」
男主は手帳に書き込んだ。
「材質が分かれば、さらに絞り込めますか?」
「そうだな。だが、材質が分かったからといって、製造元がすぐに分かるわけではない。一般的な金属なら、複数の工房が扱っている可能性がある」
「分かりました」
職人は牌を男主に返した。
「もう一つ、覚えておくといい。お前が探しているのは、牌を作った場所なのか、それとも牌を使っていた人間なのか?」
男主は顔を上げた。
「両方です。ただ、今は持ち主を直接探すより、製造元を調べたほうがいいと思っています」
「なぜだ?」
「持ち主を知っている人間に直接尋ねれば、相手に警戒されるかもしれません。榊原さんも、この牌については深入りしないほうがいいと言っていました」
職人は頷いた。
「なら、今の方針は間違っていない。ただし、製造元を探すこと自体が目的にならないようにすることだ。製造元が分かっても、持ち主につながらない場合もある」
男主はその言葉を手帳に書き加えた。
工房を出ると、直人が言った。
「今日は、あまり進まなかったな」
「いや。調べる順番が少し整理できた」
「どういう順番だ?」
「まず、牌の特徴を正確に記録する。そのうえで、材質を調べる必要があるか判断する。製造元探しは、それからでも遅くない」
直人は考え込んだ。
「じゃあ、これまで回った店は無駄だったのか?」
「そうとは思わない。取引記録や工房の閉鎖時期は、後で使えるかもしれない。ただ、今は同じことを繰り返すより、牌そのものを詳しく調べるほうがいい」
二人は町の中心部にある文具店へ向かった。
男主は、細かな部分を記録できる紙と、寸法を測るための道具を購入した。
宿に戻ると、机の上に白い紙を敷き、牌を置いた。
直人が横から覗き込んだ。
「ここまで細かく記録する必要があるのか?」
「後で別の人に見せることになったとき、口で説明するより正確だからな」
男主は牌の縦横を測り、厚さを確認した。重量も記録し、表面の刻印をいくつかの角度から描き写した。
ただし、無理に傷をつけたり、表面を削ったりはしなかった。
現在の状態を保ったまま、分かることを記録する。
それが今回の目的だった。
しばらくして、男主は作業を終えた。
紙には、牌の形状、寸法、重量、刻印の配置、目視できる傷の位置が記されている。
「これで、比較するための資料はできたな」
直人が言った。
「そうだな。あとは、この記録を使って、専門の設備がある場所を探すかどうか考える」
男主は記録をまとめた。
そのとき、机の端に置いていた連絡用の道具が反応した。
応援者からのメッセージだった。
『調査の進み具合はどうですか?』
男主は、これまでの経緯と、今日職人から聞いた話を簡潔に説明した。
しばらくして、返事が届いた。
『調べる対象が整理できたのなら、次は費用と得られる情報を比べてもよさそうですね。専門的な検査をしても、製造元が分かるとは限りませんから』
男主は頷いた。
『そうだな。今のところ、そこまで費用をかける必要があるのか判断できない。もう少し、別の方法がないか考えてみる』
送信してから、男主は画面を見つめた。
ふと、相手のことが気になった。
自分がこれまで伝えてきた情報は、かなり多い。
黒箱を集めていること。祖先の記録を調べていること。襲撃者と遭遇したこと。身份牌を手に入れたこと。
一方で、相手がどんな生活をしているのかは、ほとんど知らない。
男主は文章を打ち込んだ。
『あなたは、普段どんなことをしている人なんだ? こういう調査の話をしていると、少し気になる』
送信した。
既読の表示がついた。
しかし、返事はなかった。
男主は画面を閉じかけたが、しばらくして、短い文章をもう一度送った。
『答えにくいなら、気にしなくていい。調査の相談に乗ってくれるだけでも助かっているから』
今度も返事はすぐには届かなかった。
男主はそれ以上、何も送らなかった。
相手には相手の事情がある。
自分が話したいことを話すからといって、相手にも同じように話してほしいと求めるのは違うだろう。
男主は連絡用の道具を机に置いた。
その後、直人と夕食を取りながら、今後の調査について話し合った。
専門的な検査を受けるなら、まずは費用と検査内容を確認する必要がある。現在の資料を持って別の職人に相談する方法もある。
二人は、すぐに大きな費用をかけることはせず、もう少し情報を集めることにした。
身份牌の持ち主は、まだ分からない。
それでも、男主の手元には、調査を始めた頃にはなかった記録が増えていた。
製造元を探すための情報。
今後の調査に必要な判断材料。
そして、どこまで調べるべきなのかという新しい課題。
男主は机の上の資料をまとめ、引き出しにしまった。
明日からは、同じ店を回り続けるのではなく、今日整理した情報を使って、次の方法を選ぶつもりだった。
調査を進めることと、調査を続けることは、必ずしも同じではない。
その違いを意識しながら、男主は灯りを消した。




