↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
観客のいない世界  作者: 亀


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

122/455

第122章 調べるべきこと

翌朝、男主は昨日までの記録をまとめ、直人とともに金属加工の工房へ向かった。


身份牌の調査を始めてから、数日が過ぎていた。


職人の話を聞き、古い工房の跡地を訪ね、複数の商店で帳簿を確認した。しかし、製造元はまだ特定できていない。


男主はそのこと自体を失敗だとは考えていなかった。


ただ、これまでと同じ方法を繰り返しても、得られる情報は少なくなっていく。


そろそろ調査の方向を整理する必要があった。


工房に着くと、職人は二人を見て、作業台の上を片づけた。


「今日は何を調べる?」


男主は手帳を開いた。


「これまでに分かったことを整理しました。刻印の特徴、古い工房の取引記録、それから閉鎖後の仕事の引き継ぎについてです」


「見せてみなさい」


男主は手帳を差し出した。


職人は記録を一通り読み、いくつかの箇所に目を留めた。


「ずいぶん調べたな。ただ、今の記録だけでは、牌を作った工房を探すのは難しいだろう」


「やはり、そうですか」


「理由は単純だ。お前たちは、製造元を探すために、製造元かもしれない場所を探している。だが、そもそもこの牌がどんな方法で作られたのか、まだ十分に分かっていない」


職人は牌を取り出し、作業台の上に置いた。


「まず、これをもう少し詳しく見よう」


職人は拡大鏡を使い、刻印の形状や表面の傷を確認した。


「前にも言ったが、刻印は手作業で彫られた可能性もあれば、型を使った可能性もある。表面の傷も、製造時についたものか、使用中についたものかは断定できない」


「それを区別する方法はありますか?」


「専門の設備を使えば、もう少し詳しく調べられるかもしれない。ただ、この町でできる範囲には限界がある」


男主は頷いた。


「では、専門の設備がある場所を探すべきでしょうか」


「それも一つの方法だ。ただし、費用も時間もかかる。今すぐそこまで進める必要があるかどうかは、お前たちが判断することだ」


男主は少し考えた。


身份牌の持ち主を知りたいという気持ちはある。


しかし、現時点では、持ち主を特定するためにどこまで調査すべきなのかも分からない。


「今、分かっていることだけで、次にできることはありませんか?」


職人は牌を裏返した。


「この刻印の形だけを手掛かりにするなら、似た加工をする工房を探すことはできる。ただ、それには時間がかかるだろう」


「ほかには?」


「牌そのものについて、もう少し情報を集めることだ。たとえば、大きさや厚さ、重量を正確に記録する。表面の傷や刻印の位置も、写真や図に残しておく。別の品物と比較するときに役立つ」


男主は手帳に書き込んだ。


「材質が分かれば、さらに絞り込めますか?」


「そうだな。だが、材質が分かったからといって、製造元がすぐに分かるわけではない。一般的な金属なら、複数の工房が扱っている可能性がある」


「分かりました」


職人は牌を男主に返した。


「もう一つ、覚えておくといい。お前が探しているのは、牌を作った場所なのか、それとも牌を使っていた人間なのか?」


男主は顔を上げた。


「両方です。ただ、今は持ち主を直接探すより、製造元を調べたほうがいいと思っています」


「なぜだ?」


「持ち主を知っている人間に直接尋ねれば、相手に警戒されるかもしれません。榊原さんも、この牌については深入りしないほうがいいと言っていました」


職人は頷いた。


「なら、今の方針は間違っていない。ただし、製造元を探すこと自体が目的にならないようにすることだ。製造元が分かっても、持ち主につながらない場合もある」


男主はその言葉を手帳に書き加えた。


工房を出ると、直人が言った。


「今日は、あまり進まなかったな」


「いや。調べる順番が少し整理できた」


「どういう順番だ?」


「まず、牌の特徴を正確に記録する。そのうえで、材質を調べる必要があるか判断する。製造元探しは、それからでも遅くない」


直人は考え込んだ。


「じゃあ、これまで回った店は無駄だったのか?」


「そうとは思わない。取引記録や工房の閉鎖時期は、後で使えるかもしれない。ただ、今は同じことを繰り返すより、牌そのものを詳しく調べるほうがいい」


二人は町の中心部にある文具店へ向かった。


男主は、細かな部分を記録できる紙と、寸法を測るための道具を購入した。


宿に戻ると、机の上に白い紙を敷き、牌を置いた。


直人が横から覗き込んだ。


「ここまで細かく記録する必要があるのか?」


「後で別の人に見せることになったとき、口で説明するより正確だからな」


男主は牌の縦横を測り、厚さを確認した。重量も記録し、表面の刻印をいくつかの角度から描き写した。


ただし、無理に傷をつけたり、表面を削ったりはしなかった。


現在の状態を保ったまま、分かることを記録する。


それが今回の目的だった。


しばらくして、男主は作業を終えた。


紙には、牌の形状、寸法、重量、刻印の配置、目視できる傷の位置が記されている。


「これで、比較するための資料はできたな」


直人が言った。


「そうだな。あとは、この記録を使って、専門の設備がある場所を探すかどうか考える」


男主は記録をまとめた。


そのとき、机の端に置いていた連絡用の道具が反応した。


応援者からのメッセージだった。


『調査の進み具合はどうですか?』


男主は、これまでの経緯と、今日職人から聞いた話を簡潔に説明した。


しばらくして、返事が届いた。


『調べる対象が整理できたのなら、次は費用と得られる情報を比べてもよさそうですね。専門的な検査をしても、製造元が分かるとは限りませんから』


男主は頷いた。


『そうだな。今のところ、そこまで費用をかける必要があるのか判断できない。もう少し、別の方法がないか考えてみる』


送信してから、男主は画面を見つめた。


ふと、相手のことが気になった。


自分がこれまで伝えてきた情報は、かなり多い。


黒箱を集めていること。祖先の記録を調べていること。襲撃者と遭遇したこと。身份牌を手に入れたこと。


一方で、相手がどんな生活をしているのかは、ほとんど知らない。


男主は文章を打ち込んだ。


『あなたは、普段どんなことをしている人なんだ? こういう調査の話をしていると、少し気になる』


送信した。


既読の表示がついた。


しかし、返事はなかった。


男主は画面を閉じかけたが、しばらくして、短い文章をもう一度送った。


『答えにくいなら、気にしなくていい。調査の相談に乗ってくれるだけでも助かっているから』


今度も返事はすぐには届かなかった。


男主はそれ以上、何も送らなかった。


相手には相手の事情がある。


自分が話したいことを話すからといって、相手にも同じように話してほしいと求めるのは違うだろう。


男主は連絡用の道具を机に置いた。


その後、直人と夕食を取りながら、今後の調査について話し合った。


専門的な検査を受けるなら、まずは費用と検査内容を確認する必要がある。現在の資料を持って別の職人に相談する方法もある。


二人は、すぐに大きな費用をかけることはせず、もう少し情報を集めることにした。


身份牌の持ち主は、まだ分からない。


それでも、男主の手元には、調査を始めた頃にはなかった記録が増えていた。


製造元を探すための情報。


今後の調査に必要な判断材料。


そして、どこまで調べるべきなのかという新しい課題。


男主は机の上の資料をまとめ、引き出しにしまった。


明日からは、同じ店を回り続けるのではなく、今日整理した情報を使って、次の方法を選ぶつもりだった。


調査を進めることと、調査を続けることは、必ずしも同じではない。


その違いを意識しながら、男主は灯りを消した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。