第119章 同じ痕跡
翌日、男主は昨日の工房を再び訪れた。
直人はその後ろを歩きながら、手にした紙を見下ろしていた。紙には、前日に職人から聞いた内容と、男主が自分で気づいた点が整理されている。
「本当に、これだけで何か見つかると思うか?」
「分からない」
男主は正直に答えた。
「ただ、昨日の時点では、何を調べればいいのかさえ曖昧だった。今日は少なくとも、確認する項目がある」
「答えが出なかったら?」
「そのときは、次に調べるものを考える」
直人は苦笑した。
「お前は、いつもそうだな」
「そうしないと、何も進まないからな」
工房の扉を開けると、昨日の職人が作業台の前にいた。
彼は二人を見ると、手を止めた。
「また来たのか」
「昨日の話の続きです。できれば、刻印の特徴をもう少し詳しく知りたいと思って」
男主は紙を差し出した。
職人は紙に目を通し、机の上に置かれた牌を手に取った。
「まず、昨日も言ったが、これだけで製造元を断定するのは無理だ。似た道具を使う職人はいるし、同じ技術が別の地域に伝わっていることもある」
「はい」
「それを理解したうえで見るなら、調べる意味はある」
職人は拡大鏡を取り出し、牌の刻印を一つずつ確認した。
男主と直人は邪魔にならないよう、作業台から少し離れて立った。
しばらくして、職人が口を開いた。
「この部分だ」
彼は刻印の端を指した。
「線の終わりが、ほかの部分と少し違う。単純に手で彫っただけなら、こういう跡が必ず残るとは限らない。先に型を作って、それを使って刻んだ可能性もある」
「型というのは、同じ形を作るためのものですか?」
「そうだ。もちろん、型が使われたと断定できるわけじゃない。別の方法でも似た跡はできる」
男主は頷きながら、紙に書き込んだ。
「もし型を使っていた場合、同じ型で作られたものがほかにもある可能性は?」
「ある。ただし、同じ型で作ったからといって、同じ人間が使っていたとは限らない。注文した人間と、実際に持つ人間は別かもしれないからな」
その言葉を聞き、男主はペンを止めた。
製造元を見つけても、持ち主が分かるとは限らない。
当たり前のことだった。
それでも、調査を始める前は、どこかで製造元と持ち主が結びつくことを期待していた。
「まずは、同じ加工の痕跡を持つ品物がないか探してみるのがいい」
職人はそう言って、牌を布の上に戻した。
「この町には古い金属製品を修理する工房がいくつかある。昔の道具を扱う店もあるだろう。そこに似た刻印があれば、少なくとも比較はできる」
「その店を教えていただけますか?」
職人は近隣の店を三つ挙げた。
そのうち二つは現在も営業しているが、残る一つは数年前に閉じているという。
男主は店の名前と場所を書き留めた。
「ありがとうございます。これ以上は、こちらで調べてみます」
「そうしてくれ。あと、一つ忠告しておく」
職人は男主を呼び止めた。
「こういう物を調べるときは、最初から特別な品だと思い込みすぎないことだ。珍しい刻印だからといって、必ず大きな秘密があるとは限らない」
男主は少しだけ笑った。
「分かっています。今は、何なのかも分かっていませんから」
「ならいい」
二人は工房を出た。
最初に向かったのは、古い道具を修理する店だった。
店内には、農具、金具、古い錠前、装飾の剥がれた箱など、さまざまな品物が並んでいた。
店主は年配の男性で、男主が事情を説明すると、興味深そうに牌を眺めた。
「見たことがある、とまでは言えないな。ただ、こういう刻印のある品物なら、昔は注文に応じて作ることもあった」
「どのような人が注文するんですか?」
「商人、職人、組合、場合によっては役所だってある。品物を管理するために、目印をつけることもあるからな」
男主は直人と顔を見合わせた。
管理するための目印。
それなら、牌が何らかの組織に関係していても不思議ではない。
しかし、それだけでは何も確定しない。
「この刻印に似たものは、残っていませんか?」
店主は棚の奥から古い金属部品をいくつか取り出した。
二人は一つずつ確認したが、完全に一致するものはなかった。
似ている線や形はあっても、刻印の配置や溝の特徴が違う。
「残念だが、これでは判断できないな」
店主は部品を片づけた。
男主は礼を言い、店を後にした。
二軒目も、結果は似たようなものだった。
職人は刻印の形に興味を示したものの、製造元を示す決定的な特徴は見つからなかった。
ただ、一つだけ分かったことがある。
牌の表面に残っている細かな傷は、単に古くなったためにできたものとは限らないということだった。
使用中についた傷なのか、製造段階でできたものなのか、現時点では区別できない。
そのため、表面を磨いてしまえば、かえって重要な痕跡を失う可能性がある。
男主はその助言を記録した。
調査を始めて二日目。
まだ、持ち主の手掛かりは得られていない。
それでも、無理に結論を出す必要はなかった。
二人が宿へ戻ったのは、夕方になってからだった。
直人は椅子に腰を下ろすと、深く息を吐いた。
「今日はずいぶん歩いたな」
「そうだな」
「結局、何も分からなかったと言ってもいいんじゃないか?」
男主は記録を机に広げた。
「製造元は分からなかった。でも、調べるときに表面を傷つけないほうがいいこと、似た刻印があっても同じ工房とは限らないこと、注文者と使用者が別の場合もあることは分かった」
「それは進展なのか?」
「少なくとも、無駄なことをしないための情報にはなる」
直人はしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「まあ、そういう考え方もあるか」
男主は紙を整理し、三つの店の名前を並べた。
そのうち二つは、これ以上調べても新しい情報が得られる可能性は低そうだった。
残る一つは、すでに閉じている古い工房だった。
「明日はここを調べよう」
男主は、その店の名前を指した。
「閉店しているなら、何も残っていないかもしれないぞ」
「それでも、店が閉じた時期や、誰が引き継いだのかくらいは確認できるかもしれない」
「そこまで調べるのか」
「今のところ、ほかに確かな手掛かりがないからな」
直人は机の上の牌を見た。
「お前は、こいつの持ち主が誰なのか、そんなに気になるのか?」
男主はすぐには答えなかった。
気になるかと聞かれれば、気になる。
あの襲撃者たちは、なぜ高橋家の箱を奪ったのか。そして、なぜ男主たちが持つ箱まで要求したのか。
榊原は、なぜ牌の持ち主を調べるなと言ったのか。
それぞれの理由は分からない。
「持ち主を知りたいというより、何が起きているのか知りたいんだと思う」
男主は答えた。
「箱を集めている人間がいる。俺たちの持っている箱にも関心を示している。だったら、少なくとも自分が何に巻き込まれているのかは知っておきたい」
直人は何も言わなかった。
男主は牌を布に包み、引き出しにしまった。
この小さな物品が、すべての答えにつながるとは思っていない。
だが、今の自分にできることは、目の前にある手掛かりを調べることだった。
その夜、男主は応援者に短い報告を送った。
『今日も工房を回ったが、製造元は分からなかった。ただ、似た刻印があるだけでは同じ工房とは限らないらしい。明日は閉店した工房の記録を調べてみる』
返事はしばらくして届いた。
『分かりました。記録を調べるなら、閉店した時期だけでなく、設備や仕事を誰が引き継いだのかも確認できるとよさそうです』
男主は、その文章を読んで頷いた。
『そうしてみる』
それだけ返して、道具を置いた。
以前なら、相手がどこでそんな考え方を身につけたのか、少し気になったかもしれない。
今も気にならないわけではない。
だが、相手が答えたくないことを無理に聞き出しても、得られるものは少ないだろう。
男主は灯りを消した。
明日向かうのは、すでに閉じた工房だ。
何かが残っている保証はない。
それでも、今度は製造技術だけではなく、仕事の引き継ぎという別の角度から調べることができる。
調査は、まだ始まったばかりだった。




