第十一章 見られない選択
機械は動かなかった。
赤い光だけが、暗い施設の中でゆっくりと明滅している。
青年は武器を下ろしたまま、機械を見ていた。
さっきまでなら、次に何が起こるのか分からなかった。
攻撃されるのか。
逃げるのか。
もう一度戦うのか。
だが、今は違った。
青年自身が、何もしないことを選んでいる。
「……どうした?」
少し離れた場所で、男が立ち上がった。
肩を押さえている。
血が流れていた。
「戦わないのか?」
「戦う必要があるなら戦う」
青年は答えた。
「でも、こいつらが見たいから戦うつもりはない」
男はしばらく黙っていた。
そして、笑った。
「お前、本当に変な奴だな」
「そうか?」
「普通なら、今の状況でそんなこと言わない」
「普通って何だよ」
「生き残るために戦う。それだけだ」
男は自分の腕を確認した。
「俺はそうしてきた」
「今まで?」
「ああ」
「ずっと?」
「ずっとだ」
男は壁に背を預けた。
「俺の先祖もそうだった」
「……先祖?」
「お前と同じだ」
男は少しだけ視線を落とした。
「昔から、この時代じゃない人間と接触していた」
青年は黙った。
「俺の家には記録が残っていた。誰かに見られていることも、技術を渡されていたことも知っていた」
「だったら、最初から全部知ってたのか?」
「全部じゃない」
男は首を振った。
「知っていたのは、ほんの一部だ」
「それでも俺よりは知ってる」
「そうかもしれないな」
男は苦笑した。
「だから、俺は強くなろうとした」
「観測者を増やして?」
「それも一つだ」
「支援値を上げれば、生き残れると思った?」
「思ったんじゃない」
男は画面を見た。
そこにはまだ、観測者数が表示されている。
「実際に、生き残ってきた」
青年は何も言わなかった。
それは否定できなかった。
男の身体には、何度も戦ってきた人間にしかない傷があった。
腕。
首。
頬。
そして、古い傷跡。
この男が未来から与えられた力だけで強くなったわけではないことは分かった。
「お前は?」
男が聞いた。
「何が?」
「これからどうする」
青年は機械を見た。
画面には、
――番組評価――上昇
という文字が残っている。
「分からない」
「珍しいな」
「何が?」
「お前は、いつも答えを出してるように見える」
「そんなことない」
「逃げる時も、戦う時も、何か理由をつけてるだろ」
「それは……」
青年は言葉を止めた。
確かにそうだった。
逃げた。
戦った。
箱を使った。
施設へ入った。
そして今は、戦わないことを選んでいる。
全部、自分で決めたつもりだった。
だが。
その選択を見ている人間がいる。
それが頭から離れない。
「……俺が何を選んでも、誰かが見てる」
「そうだな」
「だったら、何をしても同じなのかもしれない」
男が眉を動かした。
「違う」
「え?」
「それは違う」
男はゆっくり立ち上がった。
「見られていることと、決められていることは同じじゃない」
青年は男を見る。
「お前、さっきまで俺たちを楽しませるために戦ってただろ」
「そうだ」
「じゃあ――」
「だから変わった」
「何が?」
男は画面を指差した。
「俺の観測者も、意見が割れてる」
青年は表示を見る。
数字が変化していた。
八千を超えていた観測者数が、少しずつ減っている。
しかし、完全には減っていない。
コメント欄のような表示が流れていた。
――戦え。
――いや、もうやめろ。
――二人とも逃げた方がいい。
――機械を倒せ。
――続きを見たい。
――このまま終わるのは嫌だ。
――彼らが何を選ぶのか見たい。
男は言った。
「俺の観測者も、俺の人生を一つに決めているわけじゃない」
「……」
「俺に戦えと言う奴もいる」
「いるな」
「逃げろと言う奴もいる」
「いる」
「俺が死ぬところを見たい奴もいる」
男は一瞬だけ黙った。
「俺が生きてほしいと思っている奴もいる」
青年は表示を見つめた。
「じゃあ、何なんだ?」
「何が?」
「観客って」
男は答えなかった。
その代わり、機械へ近づいた。
そして、右手を伸ばした。
赤い光が男の手を照らす。
「こいつに聞いてみるか」
「何を?」
「俺たちがここから出られるのか」
男の指が機械の装甲に触れた。
機械が反応する。
赤い光が強くなった。
――出演者二名。
――観測継続中。
――番組評価、上昇。
「うるさいな」
男が呟いた。
そして機械を殴った。
金属音が施設内に響く。
機械は動かない。
「……意味ないだろ」
青年が言った。
「分かってる」
「じゃあ、何で殴った?」
「腹が立ったからだ」
青年は少しだけ笑った。
その瞬間。
施設の奥で音がした。
ゴゴゴゴゴ……。
二人は同時に振り返った。
床が開いていく。
隠されていた通路が現れた。
暗い階段が地下へ続いている。
青年は箱を見た。
表示が変わっていた。
――未登録区域を確認。
――観測経路を変更。
「またかよ……」
青年はため息をついた。
「行くのか?」
男が聞く。
「行くしかないだろ」
「そう言うと思った」
二人は階段へ向かった。
しかし、三段目まで下りたところで、青年は足を止めた。
「待て」
「どうした?」
「音がする」
二人とも耳を澄ませた。
遠くから、何かを引きずるような音が聞こえる。
金属。
そして、足音。
一人ではない。
「誰かいる」
男が小声で言った。
青年は箱を開いた。
画面に文字が浮かぶ。
――生命反応、三。
「三人?」
「俺たち以外に一人か」
男が言った。
その時だった。
階段の下から声が聞こえた。
「……誰かいるのか?」
青年と男は顔を見合わせた。
声は若かった。
怯えているようにも聞こえる。
「いる」
青年が答えた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、一人の青年が階段を上がってきた。
服は汚れていた。
右腕には包帯が巻かれている。
その顔を見た瞬間。
男の表情が変わった。
「お前……」
新しく現れた青年も、男を見た。
「……知ってるのか?」
男が聞いた。
「ニュースで見た」
「ニュース?」
「お前が、あの機械を倒したって」
男は笑った。
「倒してない」
「じゃあ、何をした?」
「逃げただけだ」
新しく現れた青年は、少し困った顔をした。
「……そうなのか」
青年はその会話を聞きながら、箱を見た。
観測者数がまた増えている。
だが、今までとは違った。
数字の下に、新しい表示があった。
――観測者意見の分裂を確認。
――支援対象の再評価を開始。
青年はその文字を見つめた。
「再評価……?」
男が振り返る。
「何だ?」
「分からない」
箱の表示がさらに変わる。
――支援配分、変動中。
――旧支援対象への支援減少。
――新規対象への観測開始。
男の顔から笑みが消えた。
「……俺の数字が落ちてる」
「え?」
青年は画面を見た。
男の支援値が、
82.9
から、
78.4
へ。
さらに、
75.1。
少しずつ下がっている。
その代わり。
青年の支援値は、
8.7
から、
9.3。
そして、
10.1。
「……何だよ、これ」
男が呟いた。
青年は答えられなかった。
新しく現れた青年も、何が起きているのか分かっていない。
ただ。
未来では。
誰かが画面を見ていた。
そして、別の画面を閉じていた。
「この人を見よう」
誰かが言った。
「でも、今まで見ていた人は?」
「もう少しだけ様子を見る」
「支援は?」
「減らす」
「理由は?」
少しの沈黙。
そして。
「同じことを繰り返す人間より、何をするか分からない人間の方が面白い」
別の場所では、別の声がした。
「私は違うと思う」
「何が?」
「面白いかどうかじゃない」
「じゃあ?」
「この人たちは、自分たちで選ぼうとしている」
「だから?」
「それを見たい」
画面の中で、数字が動いた。
そして。
青年の箱に、新しい一行が表示された。
――観測目的の変化を確認。
青年はその文字を読んだ。
何を意味するのか、まだ分からない。
ただ一つだけ。
今までとは違うことが起き始めている。
観客は、同じものを見続けるとは限らない。
そして。
観客が変われば。
出演者の立場も、変わっていく。
青年は地下の暗闇を見た。
その先に何があるのかは分からない。
けれど、今度は誰かに指示されたからではなく。
自分で一歩、階段を下りた。




