第十章 最初の反抗
機械の拳が、再び振り下ろされた。
青年は横へ飛んだ。
床が砕ける。
破片が頬をかすめ、血が一筋流れた。
「速い……!」
さっきまでとは違う。
機械の動きが明らかに変わっている。
青年は距離を取った。
支援値を見る。
4.8
だが。
数字だけを見ていても勝てない。
相手の動きを読む。
機械は強い。
しかし、完璧ではない。
右腕を振るたびに、ほんのわずかに左足が遅れる。
青年はそこを見ていた。
「今だ!」
走る。
機械も同時に動いた。
拳が迫る。
青年は直前で身体を沈めた。
拳が頭上を通り過ぎる。
そのまま懐へ入り込む。
武器を振る。
金属音。
機械の装甲に亀裂が入った。
しかし。
浅い。
「くそっ!」
反撃。
青年の身体が吹き飛ぶ。
十メートルほど転がった。
「まだ……!」
立ち上がろうとした瞬間。
目の前に男が立った。
「下がれ」
「何?」
「今度は俺がやる」
男が前へ出る。
青年は止めなかった。
男の身体から、明らかに昨日とは違う力が感じられる。
支援値。
青年とは比較にならない。
男が拳を握る。
その瞬間。
床が沈んだ。
次の一歩。
男の姿が消える。
轟音。
機械の身体が壁まで吹き飛んだ。
青年は目を見開いた。
「……これがお前の支援か」
「そうだ」
男は短く答える。
「俺には長い時間があった」
「何年も、この日のために調べてきた」
機械が立ち上がる。
装甲の一部が砕けている。
だが。
まだ動く。
『戦闘継続』
男が構える。
「来い」
機械が突進した。
二人の距離が一瞬で消える。
拳。
蹴り。
金属音。
衝撃。
地下施設の壁が次々と崩れていく。
青年は戦いを見ながら考えていた。
男は強い。
だが。
それだけではない。
この男には。
何千人もの観測者がいる。
そして自分には。
数千人。
いや、今も増え続けている観測者がいる。
画面を見る。
観測者数――4,816
ついさっきまで三千人だった。
増えている。
だが。
その数字の下に。
新しい表示が出ていた。
支援分布――不安定
青年は眉をひそめる。
「不安定?」
箱から声が返る。
『観測者の意見が分かれています』
「どういう意味だ?」
『あなたを支援する者』
『相手を支援する者』
『戦闘そのものを望む者』
『あなたの生存を望む者』
『あなたの死を望む者』
『様々です』
青年は黙った。
つまり。
数字が多ければ強くなる。
だが。
数字だけではない。
誰が何を望んでいるか。
それによっても。
力は変化する。
青年は画面を見つめた。
そこには大量のコメントが流れている。
――逃げろ。
――戦え。
――あいつを倒して。
――この戦いをもっと見たい。
――死なないで。
――いや、ここで終わった方がいい。
――都市終了まで見たい。
青年は拳を握った。
「……人の命を賭けて、投票してるのか」
誰も答えなかった。
その時。
男が吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
青年が振り返る。
機械が男へ迫る。
「危ない!」
青年は走った。
考えるより先に身体が動いた。
武器を構える。
機械の腕が振り下ろされる。
青年はその腕に飛び乗った。
装甲を掴む。
身体が大きく振られる。
そのまま。
亀裂の入った場所へ武器を突き刺した。
――ガンッ!
機械が停止する。
青年は叫んだ。
「今だ!」
男が立ち上がる。
「任せろ!」
一撃。
機械の胸部が大きくへこんだ。
内部から火花が散る。
しかし。
完全には壊れない。
赤い光が点滅する。
『戦闘条件を変更します』
青年の表情が変わる。
「何?」
『観測者数、増加』
画面を見る。
観測者数――9,207
さらに。
11,634
14,008
数字が止まらない。
機械が青年を見る。
『現在の注目度を確認』
そして。
『戦闘継続による観測価値――高』
青年の背筋が凍った。
男も同じことを感じたらしい。
「……こいつ」
機械が腕を上げる。
『戦闘を終了する必要性はありません』
「何だと?」
『あなたたちが生存している限り』
『観測は継続できます』
青年は理解した。
最初から。
この機械は。
自分たちを殺すことだけを目的にしていなかった。
「じゃあ……」
青年が呟く。
「俺たちを戦わせるために来たのか?」
機械は答えない。
ただ。
画面に一つの表示を出した。
番組評価――上昇
青年はその文字を見つめた。
胸の奥に。
怒りが湧いてくる。
自分が強くなったこと。
未来の人間が支援してくれること。
それ自体は悪くない。
だが。
自分の痛みまで。
自分の恐怖まで。
自分の生死まで。
誰かの娯楽として数字に変えられている。
その事実だけは。
どうしても受け入れられなかった。
「……お前ら」
青年は機械を睨んだ。
「俺たちが戦わなかったら、どうする?」
機械が止まる。
「観測できないなら?」
沈黙。
「面白くないなら?」
青年は武器を下ろした。
男が驚いて見る。
「何をする?」
「戦わない」
「正気か?」
「分からない」
青年は画面を見る。
未来の何万人もの観測者。
その中には。
戦いを望んでいる者もいる。
だが。
同時に。
青年の言葉を聞いて考え始めた者もいる。
青年は初めて。
その人たちに問いかけた。
「俺は、お前たちのために戦うんじゃない」
「俺の街を守るために戦う」
「だから――」
青年は武器を握り直した。
「俺の生き方まで、お前たちが決めるな」
その瞬間。
支援値が跳ね上がった。
4.8
↓
6.2
↓
8.7
男が目を見開く。
未来の画面でも。
大量のコメントが一斉に流れ始めた。
――その通りだ。
――自分たちは何をしている?
――今まで、考えたことがなかった。
――この人間は、本当に俺たちのために存在しているのか?
そして。
たった一つのコメントが。
大量の文字の中に残った。
――俺は、もう「観客」でいたくない。
青年はそれを見ることができなかった。
だが。
未来では。
その一文が。
最初の小さな反抗として記録されていた。
同じ頃。
遠い未来の、とある部屋。
一人の人間が。
初めて配信画面を閉じた。
そして。
窓の外を見た。
そこには。
自分が生まれてから一度も見たことのないものがあった。
雨だった。
その人間は。
しばらく黙っていた。
そして小さく呟いた。
「……触れてみたい」
その瞬間。
未来の社会で。
まだ誰も名前を付けていない変化が。
静かに始まった。




