第108章 名前だけが残る
翌朝、主人公は前日に見つけた名簿をもう一度開いた。
仲介人の姓は、榊原から提供された記録にも残っていた。しかし、名前の部分が欠けているため、同一人物かどうかは分からない。
直人は名簿の写しを見ながら言った。
「この家の取引先を全部調べるのか?」
「全部は無理だ。まずは、名前が重なっている相手を調べる」
主人公は、これまで集めた資料を机の上に広げた。
川瀬家の帳簿。
黒田家の預かり物の記録。
南雲家に残っていた受領書。
高瀬宗一が働いていた商家の記録。
そして、今回見つかった名簿。
それぞれに共通するのは、品物の名前や最終的な受取人が欠けている記録があることだった。
だが、それだけで同じ取引を示しているとは言えない。
「この仲介人が、本当に箱を扱っていたのか。それが分かれば話は進むんだが」
直人が言った。
「まずは、何を扱っていた人間なのかを確認する。箱の話は、そのあとだ」
主人公は資料をまとめ、榊原に追加の情報を尋ねた。
しばらくして、榊原から返事が届いた。
該当する姓の人物は、過去の収集記録に二度登場していた。いずれも、箱を直接所有していた人物ではなく、別の所有者から箱を預かった可能性がある人物として記録されていた。
ただし、記録の出所は異なり、本人が実際に箱を扱ったと確認できる証拠はなかった。
主人公は返信を読み、直人に画面を見せた。
「これで、少なくとも名前を追う理由はできたな」
「だが、まだ箱を扱ったとは言えない」
「そういうことだ」
二人は、仲介人の家族について調べることにした。
***
数日後、二人は仲介人の子孫が暮らす町を訪れた。
対応したのは、商売を引き継いだことのない中年の男性だった。
主人公が古い記録の写しを見せると、男性はしばらく眺めたあと、首を横に振った。
「この姓の者は、確かにうちの先祖にいます。ただ、名前が欠けているので、誰なのかまでは分かりません」
「当時の仕事について、何か残っていませんか」
「家には古い帳簿が少しあります。でも、商売の全体像が分かるほどではありません」
男性は、保管していた書類をいくつか持ってきた。
そこには、取引先の名前や支払額、荷物の受け渡しを示す短い記録が残されていた。
主人公たちは、該当する時期を中心に確認した。
やがて、直人が一枚の紙を見つけた。
《預かり物、次の仲介人へ引き渡し》
その下には日付と短い署名があった。
品名も、受取人の正式な名前もない。
主人公は、これまで見つけた記録と日付を比較した。
時期は近い。
しかし、同じ日ではなかった。
署名も、既存の資料にあるものと一致するとは言い切れない。
「この次の仲介人が誰なのか、分かりますか」
主人公が尋ねると、男性は首を横に振った。
「分かりません。うちの先祖は、荷物を次の人間へ渡したところまでしか記録していなかったようです」
「なぜ、その先を記録しなかったのでしょうか」
「依頼人が決めた相手へ渡しただけだったのかもしれません。あるいは、当時のやり方では、それ以上の情報を必要としていなかったのかもしれません。私には分かりません」
男性の答えは、もっともだった。
取引の仕組みがどうなっていたのか、すべての仲介人が同じ基準で記録を残していたのかも分からない。
主人公は、見つかった記録を撮影させてもらい、礼を述べた。
今回も、箱そのものにはたどり着かなかった。
ただ、荷物が一人の仲介人から次の仲介人へ渡され、その過程で品名や受取人の情報が残されないことがあった。
その事実は確認できた。
***
帰りの道で、直人が言った。
「このまま仲介人を追っていけば、いつか箱にたどり着けると思うか?」
「分からない」
主人公はすぐに答えた。
「ただ、今の記録では、次の仲介人の名前さえ分からない。ここから先を追うには、別の資料が必要だ」
「別の資料って?」
「当時の取引先の記録か、同じ時期に荷物を預かった別の商家の記録か。それが見つからなければ、この経路はここまでだ」
直人は少し黙った。
「せっかく、ここまで調べたのに」
「ここまで調べたからこそ、どこで止まっているのか分かったんだ」
主人公は、手元の記録を確認した。
次の仲介人へ渡したという記録はある。
しかし、その相手の名前は残されていない。
この先に何があったのかを知るには、別の場所に残された記録と照合するしかない。
それができなければ、推測で空白を埋めることになる。
主人公は、今回の調査結果を榊原へ送った。
榊原からは、すぐに返事が来た。
『こちらでも、同じ時期に仲介人を経由した記録がないか調べてみる。現時点では、箱との関係は確認できない』
主人公は短く返信した。
『分かった。こちらは別の商家の記録を探してみる』
二人は、まだ調査を続ける余地があると判断した。
ただし、同じ経路を何度もたどることはしない。
新しい資料が見つからなければ、別の方向へ進む。
それだけだった。
***
夜、主人公は机に向かい、調査記録を整理した。
これまでに見つかった資料の中には、箱の所在を示すものもあれば、単に当時の商取引の様子を示すだけのものもある。
その区別を曖昧にすると、いつの間にか推測が事実のように扱われてしまう。
主人公は記録の末尾に書き加えた。
《仲介人から次の仲介人への引き渡しを確認。箱との関係は未確認。次の受取人は不明》
書き終えたところで、端末が震えた。
いつもの相手からのメッセージだった。
『今日はどうだった?』
主人公は少し考えてから返した。
『名前の残っていない仲介人を追っていた。荷物を次へ渡した記録は見つかったけど、その先が分からない』
返事はすぐには来なかった。
しばらくして、短い文章が届いた。
『記録が残っていないところまで、無理に答えを作らなくてもいいと思う』
主人公はその文面を読み返した。
『そうだな。分からないものは、分からないままにしておく』
そう返信して、端末を伏せた。
箱の秘密は、まだ遠い。
それでも、調査の限界が見えた場所を記録しておけば、いつか別の資料が見つかったときに、そこから再開できる。
主人公は帳簿を閉じた。
明日は、別の商家に残る記録を探す。
そこにも何もなければ、また別の方法を考えればいい。
今のところ、それ以上のことはできなかった。




