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放課後には、まだ名前がない。  作者: 御子柴 流歌
第2話: 消えた学級旗

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2-2: 全員の総意、とは


 加納は、すぐには答えなかった。


 答えられない、というより、自分の記憶の中をもう一度歩き直しているような顔だった。


「……でも、児玉が旗を片づけるって言ってたんだぞ」


「たしかに、それは聞いたな」


 俺は頷く。


「で、戻ってきたら児玉が濃紺の布を巻いて、筒に入れてた」


「ええ」


「そこまでは見た」


「そうね。じゃあ、その布が旗だったっていうのはなぜ?」


 真っ直ぐに瑛里の視線が突き刺さり、加納の口が止まった。


「……そう思った、から」


「そうだな。そこまでが確かだ」


 俺が言うと、隣で瑛里が小さく頷いた。


「断っておくけれど、加納くんが嘘をついたわけじゃないよ。私もそうは思ってないし」


 瑛里はそう言って、机の上の筒へ手を置く。


「見たことと、そうだと思ったことが、説明の中でくっついてただけ」


「いや、でも」


 愛川くんが口を挟む。


「児玉が片づけるって言って、そのあと筒に布が入ってたんだろ? 普通は旗だと思うだろ」


「うん。私もたぶん思う」


 瑛里はあっさり認めた。


「だから、思ったこと自体は全然おかしくないよ。ただ、それが本当に旗だったかどうかとは別の話」


 それを言われると、愛川くんも反論しづらそうだった。


 たぶん、この事件でいちばん厄介なのはそこなのだと思う。


 全員が極端におかしなことはしていない。


 見たものから自然に判断して、その判断を次の人へ渡している。


 ただそれがやる気のない伝言ゲームみたいなモノで、そういうことが連続していく内に、誰も確認していないことまで事実みたいな顔をし始めていることが厄介だった。


「愛川くん」


 瑛里が今度は愛川へ向き直る。


「筒を閉じたのは愛川くんだったよね」


「ああ」


「その前に中を見た?」


「……中?」


「筒の中。旗が入ってるところ」


 愛川くんが目を瞬く。


「いや。児玉が入れたあと、筒を受け取って、そのまま蓋した」


「じゃあ、愛川くんが確認したのは?」


「……筒を閉じたことと、テープで封をしたこと」


「うん」


 愛川くんの怪訝そうな顔を無視するように、瑛里は満足そうに頷いた。


「つまり、この封が証明してるのは、封をした後ではその中身を抜いてないってことだけだね」


 愛川くんが黙る。


「だからこれは、最初から旗が入ってたことまでは証明できない」


 その一言で、筒の意味が少し変わった。


 さっきまでこの筒は、旗が消えたあとに残された密室の証拠みたいに見えていた。


 今は違う。本当に、ただの筒だ。


 中身を誰も確かめなかったまま全員が「旗が入っている」と思っていただけの、封をされたただの筒。


「じゃあ、これ何なんだよ」


 愛川くんが机の上の濃紺の布を指した。瑛里もそちらを見る。


「そこなんだよね」


 俺も近づいて、布の端を摘まんだ。


 かなり大きい。


 厚手というほどではないが、普通の布よりは雑に扱っても大丈夫そうな感じがする。


 端を見ると、学級旗らしい縁取りもなければ、棒へ取り付けるための紐も穴もない。


「これが旗なら」


 俺は布の端を少し持ち上げた。


「どこを棒に結ぶんだろうな?」


「あ」


 加納が声を上げた。


 それより少し遅れて、愛川くんも何かに気づいたらしい。


「これ、養生布じゃないか?」


「そうだ作業するとき床に敷いてたやつ。あと机の上にも」


 愛川くんが布を広げる。


 ところどころに、乾いた絵の具の跡が残っていた。


「そうだ。これ使ってた」


 加納も頷く。


「旗と同じくらいの大きさだから、畳んで一緒に置いてた」


「色も似てるね」


 瑛里が言う。


 濃紺。学級旗の地と、ほとんど同じ色。


 巻かれていれば、旗の裏側だと思っても不思議ではない。


「つまり」


 加納がゆっくり言った。


「俺が見たの、これだったってことか」


「たぶんね」


「で、俺がこれを旗だと思って」


「愛川くんも、加納くんが見てるなら入ってると思った」


 瑛里が続ける。


「先生は筒があるから、中に旗があると思った」


 誰も嘘をついていない。誰も見ていない。


 それなのに、旗は筒へ入ったことになっていた。


「うわ、なんで気が付かなかったんだろ……」


「先入観か、これが……」


 愕然とした様子の加納と愛川くん。


「つまり、途中ですり替えられたんじゃなくて、最初からこれが入ってた」


「そう考えるのが自然よね」


 俺の結論に瑛里が答えた。


 ――じゃあ、誰が一体。


 そんなことを考える、必要性はあまり無かった。


 その間、児玉くんは一度も口を挟まなかった。ただ黙って、俺たちの話を聞いている。


 一瞬の緊張。


 愛川くんが児玉くんを見る。


「児玉。お前、これ入れたのか?」


 少しの間があった。


「布を巻いて、筒に入れたのは俺」


 やはり。


 旗とは言わない。


「じゃあ旗は?」


「……」


 児玉くんは答えなかった。


 そこで椅子が引かれる音がした。さっきまで腕を組んでいた近藤さんが、俺たちを――否、自分のクラスメイトの方を鋭く見る。


「……今の話なら、もう私が疑われる理由なくない?」


「近藤」


 愛川くんが渋い顔をする。


「だってそうでしょ。私が教室出たあとに旗はあった。児玉が最後に片づけた。筒の中身は最初から別の布だった」


「誰かに頼んだ可能性はあるだろ」


「それ言い出したら何でもありじゃん」


 疑い始めればすべてが疑わしくなるのは世の常だろう。


「今のところ、近藤さんが誰かに頼んだ証拠はない」


 俺が言う。


「は? 何よ、今のところって」


 部外者が私を疑うな――という意志をありありと感じる。


 もちろん、俺が言いたいのはそういうことではない。


「ただし、そもそも近藤さんが教室を出たのは変更後の旗が完成する前だろ?」


「そう」


 加納が頷く。


「そのあとも普通にあった。乾かしてたのも見てる」


 近藤さんが「ほら」と言わんばかりに愛川くんを見る。


 ただ、ひとつだけ残っていることがある。


「近藤さん」


「何よ」


「旗がなくなったって聞いたとき、ちょっと安心したのは本当か。さっきは違うと言ったと思うから、念のため」


 睨まれた。別に責めたいわけではない。


 ただ、そこだけ曖昧に残すと、たぶんまた誰かが勝手に意味を付ける。それは確実に本意では無い。


 近藤さんはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……安心したっていうか」


 視線を落とす。


「このまま提出されなくて済む、とは思った」


 愛川くんが眉をひそめる。


「ほら」


「だから最後まで聞いて」


 近藤さんが睨み返す。攻撃力は彼女の方が上だった。


「誰かが止めたんだって思ったの。私が何言っても止まらなかったから。少しだけ、ほっとした」


「そういう意味か」


 加納が呟く。


「でも」


 俺は愛川を見る。


「安心したことは、隠した証拠にはならない」


「……」


「結果を望んでたことと、その結果を起こしたことは別ってことだ」


 愛川くんは何も返さなかった。


 近藤さんも勝ち誇るような顔はしない。


「……私はさ」


 少し間を置いてから、近藤さんが言った。


「自分の案を残せって言ってたわけじゃないの。一回みんなで決めたものを、その場にいる人だけで変えていいのかって言っただけ」


「でも時間なかっただろ」


「それは分かってる」


「全員に聞き直してたら終わらないし」


「そこよ、問題は。だからって、聞いてない人の票まで勝手に賛成票にしていいの?」


 また空気が張る。


 瑛里が口を開いた。


「愛川くん、さっき言ってたよね」


「何を」


「『あの場にいたみんなで決めた』って」


「ああ」


「みんなって、誰のこと?」


 愛川くんが怪訝な顔をする。


「誰って、そのとき残ってたやつら」


「全員、賛成した?」


「……たぶん」


「たぶん?」


 瑛里は責めるでもなく繰り返す。


 愛川くんが思い出すように視線を上げた。


「……いや、近藤は反対してた。あとは……別に反対は」


「賛成した?」


 愛川くんが止まる。


「反対しなかった人と、賛成した人って同じなの?」


 瑛里の追撃には、誰もすぐには答えなかった。


 当然のように瑛里は続ける。


「その場にいなかった人は?」


「それは」


「いつ賛成になったの?」


「……でも、全員に聞いてたら本当に終わらなかったんだって」


 愛川くんの声に、初めて少し苛立ちが混じる。


「俺だって適当にやったわけじゃない。材料も取りに行ったし、片づけもした。体育祭で遠くから見える旗にしたかっただけだし」


「うん」


 瑛里は頷いた。


「だから、愛川くんが悪い人だって話じゃないよ」


「じゃあ何なんだよ」


「誰も決めてないことが、いつの間にか『決まったこと』になってるって話」


 加納がそこで、わずかに顔をしかめた。


「……俺も、先生にそう言った」


「何て?」


「デザイン変更で決まりました、って」


 俺たちの視線が集まる。


「いや、だってもう塗り始めてたし。近藤も帰ったし。止める感じじゃなかったから」


「加納くんが決めたの?」


「決めてない」


「愛川くんが?」


「俺は、みんなで決めたと思ってた」


「近藤さんは?」


「反対した」


「児玉くんは?」


 児玉くんが顔を上げた。


 少し迷ってから、小さく言う。


「……俺は、賛成してない」


 愛川くんがそちらを見る。


「でも、お前の隼は残しただろ」


「俺の案が残ったわけじゃない」


 初めて、児玉くんの声に輪郭が付いた気がした。


「何?」


「最初のデザインは、そういう分け方じゃなかったから」


「……え?」


 愛川くんが意味を掴めずにいるらしいので、俺はスマートフォンに表示された最初の旗を見た。


 中央の隼。――その周囲を飛ぶ、色も形も違う羽根。


 児玉くんはずっと、自分の絵だけが残ったことを喜んでいなかった。


 そもそも、あれを『自分の部分』と思っていなかったのだとしたら。


「児玉くん」


 俺が声をかける。


「君が、旗を片づけるって言ったよな」


「うん」


「そのあと、加納が教室を出た」


「うん」


「愛川くんたちも片付けに行った」


 児玉くんは答えなかった。


 瑛里が机の上の養生布を見る。それから、教室の中をゆっくり見回した。


「もし旗が最(・)初(・)か(・)ら(・)筒(・)に(・)入(・)っ(・)て(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)なら、密室でも何でもないんだよね」


「でも、児玉が外に持ってったなら誰か見るだろ」


 加納が言う。


「そうだな」


 俺は教室の出入口を見る。


「あの大きさだ。筒と旗を両方持って廊下に出れば、普通に目立つ」


「じゃあどこだよ」


 愛川くんが訊く。


 瑛里は答えなかった。


 代わりに、開けられた窓から風が入った。


 濃紺の暗幕がふわりと膨らむ。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 その端にある一枚だけが、少し遅れて動いた。


 俺も瑛里も、ほとんど同時にそちらを見た。


「圭吾、わかるよね」


「そりゃあな。……窓際だろ」


「うん」


 瑛里が歩き出す。


 変更前の旗の写真を、もう一度見る。


「旗の裏側ってほとんど無地の濃紺だよね」


 窓際まで行き、暗幕の前で立ち止まる。


「そう。旗は、誰にも盗まれてない」


 教室の空気が止まった。


「そもそも筒にも入らず、教室からも出ていない」


 瑛里が、動きの鈍い一枚へ手を伸ばす。


「だったら」


 その指先が、濃紺の裾に触れた。


「まだ、この教室にある」




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