あなたを愛し姫の名の下に
「今、兎瓦けいと惑星巫天がいたな。」
シャチは、眼下の街を見下ろしながら、娘に確認した。勢いよくひなたが反応する。
「うそ!阿修羅様!」
シャチの声は特徴的で、変に高い。獰猛さを連想する声色ではない。
「まだ付き合ってるのかな。気になるな。」
「兎瓦けいと合ってないよ。絶対、求喰川出身のあたしの方が相応しい!お父さん、会ったことあるの?」
シャチは答えた。
「会ったことがあるも何も、、、。」
スカイツリーを横切った。
「ふうん。あーあ、『地球返し』で普通に生活できなくなっちゃったなあ。こうなったら、グレるしかないなあ。」
シャチの背中に、巨大な鳥とムカデが出現した。
「どんくらい凄いことをしたら、阿修羅様は振り向いてくれるかなあ。よし!」
ひなたは、シャチの目を見た。天使のように、無邪気な声で言った。
「富士山焼きに行こう。」
目撃情報の内容はこうである。
『シャチにヒトがぶら下がって空を飛んでいる』
増渕部長が声を荒げる。
「人を殺傷する能力が十分にある猛獣が、逃げた!不可解と言うには余りある他の情報は気にするな!一点だ!殺人獣が逃げた!一刻も早く捕獲できるようすでに関東全域すべての交番に、三枝ひなたの情報を通知してある!この事件に関して火炎放射器の使用が認められているが、必ず適切な人数で!確実に仕留められる条件下で駆逐しろ!」
「鈴木!」
廊下を走り抜ける鈴木を、近藤は呼び止めた。
「何か言ってたろ!悪い、何だった?」
思い出したように、鈴木が答えた。
「あ、、、はい!いや、ちょっと気になったことが、、、。もう5年、、、くらい前の事件なんですが。」
「なんだ、言ってみろ。」
「覚えてますか?千葉の水族館の事件、、、。」
近藤は少し考えた。
「飼育員が襲われた事故のことか?ああ、あったな。」
鈴木は、抑えた声で言った。
「あの時も確か、水族館周辺で空飛ぶイルカの目撃情報があったんですよ。飼育員の惨殺との関連性は見つけられなかったんですが。」
近藤は黙って聞いている。
「それも三枝ひなたの犯行ってことは、ないですよね?」
「何とも言えないな。ただその頃、三枝は日本にいなかった可能性がある。」
「そうなんですか??」
近藤は、頭の上で指をくるくる回した。
「ああ、火星にいたんだそうだ。完全に頭ラリってる。」
立ち去っていく近藤を見ながら、鈴木は頭の奥で何かが腑に落ちた。だが、それが何かはわからなかった。
叔母の家で、三日月ちなつは仏壇の前で手を合わせていた。かれこれ、30分以上同じ体勢である。庭で植物をいじっている父、敏成が大きな独り言を言った。
「けいちゃん、無事だといいなあ!」
ちなつは手を合わせている。
叔母が奥から出てきた。
「なにでかい声で独り言言ってんの?」
昼間から飲んでいる集団が、話を弾ませている。
恵比寿の駅からほど近い。
酔っ払って目つきがおかしくなっているそのうちの一人が、急に声のトーンを落として切り出した。
「ってかさあ!こんなこと言うのダメなんだけどさあ。あの池袋の事件の犯人の顔、マジでタイプ!」
ある程度のことは言っても許されそうな、開放的な空気だったにもかかわらず、全員がドン引いた。見事な空気の激変である。
「いや、つかさあ、ごめん、冗談だとしても今マジで引いた。」
皆、うんうんと頷いた。
酔いに任せて場に適切でない発言をしてしまった会社員は、耐え切れず顔を手で覆った。
横で真顔なのは、別の男性だ。
「ほんとに危ないよ!街中に何の前触れもなく現れたって、、、。」
「、、、死んだ人とかいるの?」
「死んだ人はいない。でも、大怪我した人はけっこういるよ?あと、声で鼓膜潰されたとか。」
「こわーい!」
皆、うんうんと頷いた。
「え、、、でもそれ誰が捕まえたの?警察?」
「じゃない?いや、一般人じゃ無理だろ。」
皆、うんうんと頷いた。
一般人、兎瓦けいは眺めの良い場所から、望遠鏡で東京の街を見渡していた。
真後ろで、柚宇がつっこむ。
「いや、ここから見つけられたとして、どうすんだ。飛び降りて捕まえんのか。」
振り返って、けいが切り返す。
「パンプキンフレイバーのシュークリームの残り食べといて何だべ、その態度!」
「根に持ってんのかよ!半分も食べてねえだろ。」
望遠鏡に、けいは目を戻した。
「なんかわたし、、、ひなたと一緒にいたシャチって、サトザクラのような気がするんだけど。」
「ああ、そうだろうな。」
再び、固定してある望遠鏡を回しながらけいが振り返った。
「なんで教えてくんなかったんだべ、花男!」
「その意味のわからんモノをおれに向けるな。親父だって言ってたもんな、サトザクラが。信じられるか?あのいい加減野郎が親って。子の顔が見てみたいっていうか、その結果があれか。」
「なんだべ。わたし、サトザクラっていったら、初対面で殴っちゃったことしか覚えてない。」
柚宇とけいの間を、小さな子供二人がはしゃぎながら、駆け抜けて行った。
「けい、、、あんまり無理すんなよ?」
「ん?」
一度息を吸ってから、柚宇は諭した。
「サトザクラは何考えてんのかわかんねえからな。」
柚宇は子供を目で追っていた。
「今頃、あいつらおれの噂してるかな。」
間の抜けた高い声で、サトザクラが娘であるひなたに話しかけた。ひなたは、ワカメのブランコに掴まりながら眠りそうになっていた。
一人と一頭は現在、立川市上空にいる。
「知らない。」
サトザクラが尾ビレを少し持ち上げ、胸ビレの角度を変え、ゆるやかに旋回した。
「兎瓦けいおもしろいよな。」
「兎瓦けいはもういい!求喰川中なんで兎瓦けいのファンなの!?理解できない。ただの栃木弁じゃん。」
「おれのこと初対面で殴ったからな。」
ひなたが、目を開いて父を見上げた。
「ほんとに?、、、お父さん怒らなかったの??」
「兎瓦けいおもしろいよな。」
「、、、信じらんない。」
サトザクラは、前方から向かってくる何かに気づいた。
飛行船だ。
「兎瓦けいじゃなかったら、、、たぶん怒ってただろうな。」
ひなたの座っているワカメには、よく見るとコブが6つ付いている。察知したひなたは、座る位置をずらした。
瞬間、一つのコブが激しく痙攣を起こした。
「こんぐらい。」
石を叩くような破裂音を追って、一瞬にして飛行船は丸ごと炎に包まれた。
ゆっくり、燃え盛る飛行船は下に落ちて行った。
街中に落ちて行った。
火だるまは無事、地面と接触した。
街を混乱の渦に叩き込んだ。
広がる炎を見ながら、ひなたが言った。
「もっとじゃない?」




