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第11話:特殊詐欺の罪と嘘の重さ

 ──金曜の夜七時。


 常連の男がいつもの席でバーボンを煽りながら、煙草の煙をくゆらせている。

 指先で長く伸びた灰が、重力に耐えきれずに光を照り返す灰皿の底へと落ちた。

 崩れた灰を見つめながら、清水は男に声を向けた。


「先日、八神さんが店に来ました」

「そうか、その件は木嶋の行方も含めて追っている。連中の繋がりまで見えたんだが」

「……京一さん、やっぱり記事にするんですか?」

「もちろんだ。奴らには借りがあるからな」


 複雑だった。知りたい気持ちはある。だが、全てが暴かれた時、自分がどうなってしまうのか。

 清水は、三上の手から立ちのぼる煙を目で追いながら、得体の知れない不安と恐怖に飲み込まれていた。


「ところで、店に入る前に妙な男を物陰で見た。細身で背が高い。黒縁眼鏡に、ベージュのコート。振り向くと消えていた」

「少なくとも、俺を待ってた感じじゃなかった……身に覚えは?」

「いいえ」


 誰なのか、まったく見当がつかない。ただ、胸の奥が小さくざわついた。


「気をつけてな」


 そう言い残し、三上はグラスに残ったバーボンを飲み干して席を立った。


 *


 ──夜十時。


 カウンターに客の姿はなく、清水は乾いたクロスで使いこまれたグラスを磨き続けていた。

 そんな冷え切った店内に、本日何度目かのドアベルが鳴った。

 湿った夜気とともに、ビジネスマンを絵に描いたようなスーツを着た男が額に汗をにじませて入ってきた。

 その靴の底には泥がこびりつき、ネクタイの結び目は不格好な形で整えられている。


「……テキーラを使った強めのカクテルをお願いします」


 男は手にしていた茶色い角二封筒をカウンターへ無造作に置き、椅子に腰を下ろすなり短くそう告げた。

 そしてスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、誰かに宛ててメッセージを打ち込もうと指先を乗せるが、やがて諦めたように画面を伏せた。


 清水は、シェーカーにテキーラ、赤いスロージン、レモンジュースの順に注ぎ入れ、最後に氷を加えて素早く振り合わせる。

 磨き終えていたグラスをクラッシュドアイスで満たし、そこへ注ぎ込む。

 砕かれた氷の山を、覆うように鮮烈な赤色が徐々に沈んでいく。

 最後にきゅうりスティックをグラスの縁に添えた。


「スローテキーラです」


 清水がグラスを置くと、男は一気に半分まで飲み干し、むせ返るような息を吐いた。

 目線の先に映るスマートフォンは、微動だにせず熱くなった回路を鎮めている。

 何かを伝えるための道具が、今はただ、無機質な重さだけをカウンターに預けていた。

 男は押し寄せる義務感を払いのけるかのように、閉じたままだった口を開いた。


「……マスターは、人を騙したり、人から騙されたりしたことはありますか?」


 清水は脈絡のない質問に一瞬面食らったが、それを顔には出さず、アイスピックで氷の角を削り落とす手を止めて静かに呟いた。


「どちらも、よくあります……」


 男は思いもしない返答だったのか、目を丸くしながら声を出して笑いだす。

 左手を添えたグラスの中のカクテルが、笑い声につられて波打った。


「マスター、正直ですね」

「なるべく……お客様には誠実さを心がけています……」


 他愛もない会話が、男の心を少し解きほぐしたのか。再度カクテルを一口含んで喉を潤すと、また静かに語り始めた。


「……人はなぜ嘘をついたり、騙したりするんでしょうか……」


 男はそう言うと黙り込んだまま、何かに迷う面持ちで再びスマホを手にする。

 鈍く動く指先で文字を打ち始めたが、数文字打ったところでピタリと手が止まる。

 そして、またカウンターに画面を伏せた。


「……実は、二週間前に会社をクビになったんです。でも、どうしても母には言えなくて」

「心配かけたくないし、早起きして弁当を作る姿を見るとなんとも言い出せなくて……。毎日カフェや公園で時間を潰しているんです……」


 清水が向けた視線の先には、板張りの床に湿った泥の跡が靴底の模様となって連なっている。

 ただ、男のスーツに無駄なシワは見当たらず、ピンと張られた襟元と真っ直ぐなスラックスの線が、彼のために誰かが整えていることを示していた。


「自分が『仕事は順調、何の問題もない』って嘘をつき続けている間に……先日、母がオレオレ詐欺に遭いました……」


 男はそう言いながら顔を歪ませて項垂れる。

 流れ出したピアノの和音が、カウンターの年輪を伝い、伏せたままのスマートフォンを微かに震わせた。


「警察から聞かされました。詐欺師は自分のフリをして、『仕事で横領をしてしまった、助けてくれ』って泣きついたそうです。振込先は、どこかの支援団体の名義だったとか」


 清水の呼吸がわずかに静まり、グラスを磨く手が止まると同時に目線だけが動く。

 グラスに施された氷割れ模様に明かりが射すと、清水の掌にいくつもの鋭い亀裂のような影が浮かび上がった。

 しかし男は清水の変化に気づくことなく、首元のネクタイに手をやると、まとわりつく息苦しさを逃がすように、さらに結び目を乱暴に引き下げる。


「呆れますよね。本当の息子は『大丈夫だ、心配ない』って嘘をついて、詐欺師は『助けてくれ』って嘘をついた。……母は、偽物の息子の嘘を信じて、金を振り込んだんです」


 男の目に滲んでいたのは、詐欺師への怒りではなく、深い自嘲だった。

 無理に笑おうとしたが、改めて口にした自分の言葉に顔が引きつり、苦い味がこみ上げてくる。


「母を問い詰めたんです。なんで騙されたんだって。そしたら、“だって、あんたが必死に助けを求めてたから”って……」

「気づいたんです。母は愚かだったから騙されたんじゃない。“自分を頼ってくれる”ことを求めてたんだって。なのに、自分の嘘を棚にあげて、母親を責めてる自分が情けなくて……」


 男の語る声が徐々に震え、言葉を吐き終えた時には、聞き取るにはあまりにもか弱い音になっていた。

 固く握りしめられた拳は、手の甲に白く骨が浮き出るほどに震えている。


「俺が『大丈夫だ』って嘘をついて強がるほど、母は『必要とされていない』と孤独になっていった。そうやって“母親の居場所”を奪ってたのかもしれないです」


 グラスの中に取り残された氷の、小さく溶け落ちるかすかな音が、彼の静かな崩壊を残酷なほど際立たせている。


「詐欺行為は絶対に許せない。けれど……詐欺師の悪意ある嘘が、皮肉にも、母に居場所を与えてしまった。だから母にとっては、“受話器の向こうの声”も自分だったんです」


 真実を隠すことで相手を遠ざける嘘と、偽りの弱さで相手を取り込む嘘。どちらも人を迷わせ傷つけてしまうことを清水は知っていた。

 それでも、嘘と知った上で受け入れる時があることも。


 男は両手で顔を覆い、ひどく重い息を吐き出す。

 指の隙間から漏れる声は、今にも泣き出しそうなほどにひび割れていた。

 グラスの肌から流れ落ちる雫がカウンターを伝って角二封筒に沁み込んでいき、得体の知れない染み模様を浮き出させている。


「自分がついた嘘と詐欺師がついた嘘……どちらが母にとって重たい嘘だったんでしょうか……」


 店内では、弓で擦るベースの音が地鳴りのようにスピーカーを響かせ、男の痛切な声と共鳴し合い、いつまでも耳に残り続けていた。

 清水はただグラスを拭く手を動かし続けながら、男の問いに八神の言葉を思い出していた。


 ──木嶋さんだけは見つけ出さなきゃならない……娘さんのためにも。


 あの時、八神に何も言葉を返せず、嘘までついた自分の沈黙が、まだ喉の奥に棘となって引っかかっている。

 偽ることに慣れ過ぎたとしても、この時ばかりは真実を口にすることが息苦しく思えた。

 清水はクロスを持つ手を止め、顔を男に向けた。


「嘘も真実も……ただの言葉にすぎないんだと思います」


 男は小さく頷き、わずかに唇が上がった。それが納得した合図なのか、諦めなのかは分からない。

 そして、再びスマホを手に取ると、メッセージアプリに一言一言ゆっくりと確かめるように文字を打ち出す。

 送信ボタンを押した男は、顔に軽い笑みを戻してカウンターにスマホを置いた。

 清水は短く目を伏せて顎を引いたが、グラスを拭く手の動きだけはいつもと変わらない。


 やがて、カウンターに置かれた男のスマホが短く震え、画面が明るく灯った。

 そこには、母親からの言葉が映し出されている。


『夕食の用意ができているから早くお帰り』


 男は、そのメッセージを見つめながら、そっと瞼を閉じて深く息を吐き出した。

 代金を置き、スーツの裾を整えて立ち上がる。

 沈黙の中、肩から離れた塵が、照明の中で泳ぎ、ゆっくりと宙を舞う。

 ドアに手をかけた時、振り返り、頭を深く下げ、歩き慣れた道へと戻っていった。


 静まり返った店内で、何故か落ち着かない気持ちを紛らわすために棚の奥を探ると、指先にざらついた紙が触れる。

 引き出すと、それは折り目が黒ずんだ一枚のチラシ。


 ──共生の会『Re:Link(リ・リンク)


『分断なき社会を』『人と人との再接続を』


 大きな見出しと整えられた活字、安心を絵にかいたような笑顔の写真が並んでいる。

 裏側には、「居場所、安堂涼介 090……」と、ボールペンで書きなぐられた文字と番号が、月日を物語るように消えかかっていた。

 擦れた文字をしばらく見つめ、清水は深く息を吐き、再びカウンターの奥に滑り込ませると心の中で小さく呟いた。


「……木嶋さん、生きていてくれ」


 小さな嘘で象られた街角。行き交う酔客たちに、愛想笑いを浮かべた男が近寄っていく。

 その媚びた声がビルの狭間に反響する。

 見下ろす卑猥なネオンは、まやかしと知りつつ今日も派手に点滅し続けていた。


 bar DESCEND(ディセンド)の夜は、今日もひとつ、言葉にならなかった想いを沈めていく。


 ──Tonight’s Tune: Paul Chambers Quartet / Yesterdays

この物語はフィクションです。

登場する人物・団体・地名・事件・サービス名などは、現実のものとは一切関係ありません。

実在の個人・企業・団体・宗教・NPO・メディア等を批判・肯定・評価する目的で描かれたものではありません。


筆者:蛯永 終 (えびなが おわり)

音楽とお酒、そして「沈黙」を愛する物書きです。

感想やスキ(♡)をいただけると、店の照明が少し明るくなります。


noteでは、作中のジャズに関する情報や物語とリンクしたオリジナルカクテルのレピシなども公開中です。ぜひそちらもご覧ください。

https://note.com/owari_ebinaga


短編小説 bar ディセンド ~沈まる場所~ プレイリスト

■Spotify

https://open.spotify.com/playlist/4R4RSwzqq6m5ug2jCVcj6u?si=l8Gz_nYFT2qIyi-Tlq2Rpg


■Youtube

https://music.youtube.com/playlist?list=PLG61IYnktsjSGSkIzavao5ncwhen83mr9&si=kdO9a4mBjSJXfm_k


【著作権に関する注意事項】

本作品『bar DESCEND』の著作権は、著者えびなが おわりに帰属します。

本文・画像・あらすじ等を含め、無断での転載、複製、改変、朗読、再配布、および生成AIの学習データとしての利用を固く禁じます。

著作権法上の「引用」の範囲を超える無断使用が発覚した場合、法的措置を検討する場合がございます。


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©蛯永終

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