求めていたもの
いつの間にか、外に出るのが楽しみになっていた。
理由は、分かっている。
見られるからだ。
その快感が、ずっと残っている。
玄関のドアを開ける前に、一度だけ鏡を見る。
髪の流れを整えて、服のシワを軽く払う。
それだけで。ただそれだけで、完成する。
「……楽だ」
前は、ここまで来るのに時間がかかっていた。
どう見えるか。
どこがズレているか。
どこまで“それっぽく”できるか。
いちいち考えて、調整して。
でも今は違う。
何もしなくても、ちゃんと成立する。
ドアを開け、外に出る。
歩き出す。視線がある。
もう、それに気づかないふりはできない。
でも、嫌じゃない。
むしろ、心地いい。
「……見てる」
小さく呟く。視線が、分かる。
顔に触れて、少しだけ留まって。
そこから、ゆっくりと下に落ちていく。
追っている。確かめている。
「……」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
——気持ちいい。
分かってしまう。
これは、前より強い。
ただの“可愛い”じゃない。
ちゃんと、“対象として見られている”。
それが、そのまま身体に入ってくる。
「……すご」
小さく笑う。
笑いながら。
どこかで、分かっている。
この視線は。ただ見てるだけじゃない。
でも。それでも。
「……」
逃げない。
逃げようと思えば、逃げられる。
でも。
——動かない。
そのまま、受け取る。
胸の奥の熱が、少しだけ強くなる。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
分かってる。これ、ちょっと変だ。
でも、やめる理由が、ない。
気持ちいいから。
「……」
もう一度、視線が来る。
今度は、少し長い。
その“長さ”が、少しだけ嬉しい。
同時に。ほんの少しだけ。
——怖い。
気持ちいいのに。その中に。
ほんの少しだけ、嫌じゃない“違和感”が混ざっている。
それが、一番気持ち悪かった。
カフェに入る。
窓際の席に座る。
少しだけ落ち着くはずだったのに。
視線は、ここでもある。
「……」
メニューを開く。
でも、文字が頭に入ってこない。
代わりに。周りの声が、やけに耳に入る。
「ねえ、あの人」
小さな声。
でも、はっきり聞こえる。
「めっちゃ可愛くない?」
「え、どこ?」
「ほら、窓際の……」
一瞬、間があって。
「あ、ほんとだ。やば」
笑い声。軽いトーン。
でも、ちゃんと“見られている”のが分かる。
「モデルとかじゃない?」
「いや、一般人であれはズルくない?」
「てか、顔ちっさ……」
言葉が、断片的に届く。
「スタイルもよくない?」
「脚やばいよね」
「ね、ちょっと見ていい?」
視線が、重なる。
「……」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
——気持ちいい。
そのとき。
少し離れた席から、別の声が混ざる。
男の声。
「ねぇ、あの子くっそエロくない?」
「普通に声かけられてるタイプだよな」
低くて、軽い言い方。
「分かる分かる。てか、今一人だし、いけそうじゃね?」
「いや、ああいうのは慣れてるからな。普通にあしらわれるって」
くすっと笑う。
でも。
その言葉の中にあるものが、はっきり分かる。
「でもさ」
もう一人が続ける。
「逆に、ああいうタイプの方がハマるとやばそうじゃね?」
「……あー、それな」
短い沈黙。
それから。
「ワンチャンあるなら、行く価値あるだろ」
軽く言う。冗談みたいに。
でも、完全な冗談でもない。
「……」
胸の奥の熱が、少しだけ変わる。
さっきまでと同じはずなのに。質が違う。
見られている。評価されている。
それは同じ。
でも、その先が、はっきり見える。
「……あ」
わずかに、息が漏れる。
気持ちいい。
ちゃんと、気持ちいい。
でも、その中に。
“触れられる前提”が混ざっている。
「てかさぁ」
さっきの女の声が戻る。
「ちょっと遊んでそうじゃない?」
「え、分かる」
「なんか、慣れてる感じ」
「ね、分かるそれ」
笑い声が重なる。
悪意じゃない。ただの雑談。
でも……
「……」
全部、繋がる。
見られて。決めつけられて。
そのまま、“触れていい存在”にされる。
「……変だな」
ぽつりと呟く。
カップを持つ。
指先が、わずかに震える。
気持ちいい。
でも、同じじゃない。
「……同じじゃない」
小さく、繰り返す。
その言葉だけが、やけに重く残った
帰り道。通りを歩く。
人とすれ違う。
また、視線。
——と、同時に。
距離。
一人、すれ違う。
ほんの少しだけ、進路が被る。
避ける。相手も、同じ方向に寄る。
一瞬だけ、真正面に来る。
「……」
近い。
顔が、ちゃんと見える距離。
目が合う。逸らされない。
そのまま、一拍だけ止まる。
「……」
胸の奥が、じわっと熱くなる。
——気持ちいい。
見られている。
ちゃんと、意識されている。
その距離で。そのまま。
「……」
相手が、わずかに笑う。
口角だけ。声は出さない。
でも。
“分かってる”みたいな笑い方。
「……」
一瞬だけ。目が逸らせない。
肩が、触れそうになる。
避ける。
でも。
完全には離れない。
すれ違う瞬間。ほんの一瞬だけ。
距離が、残る。
「……近いな」
小さく呟く。
振り返る。
さっきの人は、もう人混みに紛れている。
でも。
一瞬だけ見えた横顔と、
あの笑い方だけが、頭に残る。
「……なんだよ、あれ」
ぽつりと呟く。
ただの通行人のはずなのに。
妙に、引っかかる。
完全に不快じゃない。
でも。
完全に気持ちいいわけでもない。
その中途半端さ。
そして、その中に、確かに混ざっていた“気持ちよさ”。
「……やっぱり変だ」
空を見上げる。
少しだけ、息を吐く。
「……まあ、いいか」
小さく首を振る。
考えすぎだ。
見られるのは、悪いことじゃない。
むしろ、望んでいたことだ。
そう思って、前を向き歩き出す。
でも。
さっきの“止まった距離”だけが、
なぜか、頭の中に残り続けていた。




